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先日の NHK の「クローズアップ現代」の「実験が苦手~理科離れする教師たち~」(2009年11月12日放送)を見た。ゆとり教育を受けてきた教員が子どもに理科を教えることに困難を覚えているとのことだ。子どももいないので「ゆとり教育」というものに興味をもったことはなかったが、その番組によれば、ここ 30 年で小学校の理科の授業数は半減しており、さらに、近年では月の満ち欠けのしくみを教えることなく満月とか上弦とかいった月のかたちを覚えさせているという。

びっくりした。月のかたちの名前というのは理科ではなくて国語の範疇だし、それも学校で教えるようなことではなくて各家庭で教えることだろう。半減した貴重な授業数を使ってそんなことを教えているとは。あほらしい。学校で何を教えるかをどういうひとが決めているのか知らないけれど、ともかく覚えさせりゃいいんだろう、という悪い意味で文科的、官僚的な発想のように感じる。理科の意味がわかっていないひとが決めたとしか思えない。

理科が暗記科目と考えられているというのにも驚いた。漢字を覚えさせる国語や年号を覚えさせる歴史が暗記科目というのならわかるが、理科のどこが暗記科目か。理科というのは、自然の中にある不思議なことをなぜだろうと疑問に思い、筋道を立ててそのしくみを考え、観察や実験によって確かめる、その心や技術を教える科目ではないのか。そういう事実や筋道立てた考えかたを尊ぶ理科的な見方によって、社会の作った偏見や差別、自分の中の嫉妬心や損得勘定を度外視した、公正さ、客観性、潔さが養われるのだろうと思う。理科の「理」は「ことわり」つまり「ものごとの正しい道筋」でもあるのだ。

思えば、わたしの子どものころは、夜の星を見たり、昆虫やカエルを捕まえたり、砂を掘ってカニを捕まえたり、食べられる野草を摘んでおやつとして食べたり、海でおぼれかけたり、タツノオトシゴをコップに入れて出産のようすを観察したり、さまざまなかたちで「自然」とつきあった。自然の中で生きているという実感があったし、自分も自然の一部だという実感もあった。そういった中で、どの昆虫でも足は 6 本でどの足も胸から出ているとか、セミのお腹は空っぽとかいうのは当たり前のように知った。

しかし、わたしの姪や甥を見ているとわかるが、田舎の子でももはや自然とつきあっていない。どういう科目に力を入れればよい学校に行けて将来の金儲けに役立つかという人間の決めた社会のことばかりを気にして生きている。地位やら名誉やら財産というのは社会の産物だ。いまの若い先生、あるいはそういった教育を考えたひとたちは、ある意味、人工的な価値で構築された社会という環境の中で生きてきたから、つまり、よい学校に行って毎月毎月きちんと給料をもらえることを至上の目的として育ってきたから、理科(自然科学)でさえもただ教わったことを覚えた上でテストで正解できればよいというふうに考えているのではないか。
コメント
この記事へのコメント
私もふくめて自分で考えたり工夫したりするということがしにくい時代になっていると思います。
人のたどったあとの安全な道を子供が歩いていくことに親が安心しているので。
少子化の影響で親が子供に冒険させなくなったように思います。
日本の教育をどうこう言うつもりはありませんが。
(教育だって産業ですからね。)
2010/01/19(火) 03:32 | URL | 匿名 #-[ 編集]
おっしゃるとおりだと思います。この六十年余平和な世が続いた反面、社会が硬直してしまって自然という現実から乖離しても生きていけるようになった、いやむしろ自然から乖離したほうがうまく生きているようになったのでしょうかね。
義務教育が産業だとはわたしは思っていません。義務教育は人間を育むためのものなので、経済性や効率を重視してはいけないと思っています。
2010/01/19(火) 09:35 | URL | たんご屋 #Qhkulfr2[ 編集]
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