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動画を見ながら画面に字幕をつけていくという作業をやっている。英語のスクリプトをもらってそれを日本語に訳す、というのは2回ぐらいやったことがあったけれど、こういう作業は生まれて初めてだ。

もちろん、わたしの聴解力では完全に理解することを保証できないので、別の人の取ったスクリプトももらって作業をしている。しかし、そのスクリプトも完璧ではなくて、こりゃ間違いだろう、と思う部分もけっこうある。

いまのところ、新鮮でおもしろいと感じている。映画のようなものではなくてインタビューなので芸術的な要素はまったくないけれど、それでも、文章の翻訳と違って「すべてを訳せない」というところが逆におもしろい。それと、テレビで鳥飼玖美子先生が意味を説明するときのように、発言の順番のとおりに前から前から訳していく、という作業にも工夫が必要で、それも楽しい。
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英語の原稿にインチ、フィート、ポンド、華氏などの単位があると、メートルとかキログラム、摂氏などに変更して訳さなければならないことがある。そういうとき、ずっと前は、アクセサリの電卓や Excel を起動して手動で計算したり、JavaScript で度量衡換算できるサイトを利用したりしていた。

このごろは Google 電卓機能を使っている。Google の検索窓に式を入れれば簡単に換算してくれるのでとても便利だ。原稿に「7 inches」という表現があったとしたら、その「7 inches」をコピーアンドペーストで検索窓に貼り付け、後ろに少し付け足して「7 inches in cm」を検索すれば、「7 inches = 17.78 cm」という換算結果が出る(「7インチをcmで」とか「7インチは何cm」と日本語で打ってもいいが、翻訳作業では英語原稿からコピーしたほうが面倒くさくない)。

「白髪三千丈」の三千丈とはどのくらいの長さか、というような場合は、「三千丈」と入力するだけでよいようだ。「三千丈 = 9.09090909 キロメートル」と出てくる。同様に「百貫デブ」の「百貫」は「百貫 = 375 キログラム」だそうだ。小錦より重い。

定数もあって、たとえば、「天文単位/光速度」あるいは「au/c」とすると、太陽光が地球に届くまでの時間(1天文単位 /光速度 = 8.31675359 分)がわかるし、「4/3*pi*太陽の半径^3」で検索すると太陽の体積がわかる。おもしろい。
先日、英語にたいへん造詣の深い子守男さんが、「good question は『いい質問』ではない」というおもしろい記事を書いていらっしゃった。

子守男さんは、インタビュー記事などの「That's a good question.」という英語は文字どおりの意味ではない場合があるから、たとえば「いいところを突いてきましたね」などとするとよいのではないかとおっしゃっている。

「That's a good question.」というのは、会社員だったときに会議か何かでだれかにいわれたこともあるし、自分でいったこともあると思う。また、日本語で「いい質問だね」などといったこともあったと思う。そういうときの自分の気持ちを内省してみると、たしかに文字どおりの意味でそういったわけではない。子守男さんの引用なさっている辞書にあるように、適当に場をつないで時間をかせぐためにとりあえず口に出した、あるいは「困ったことを聞くね」というような含意で、しかもその意図を相手も理解してくれるだろうと思って発言したこともあるような気がする。

それでも、やはり、「That's a good question.」を「それはいい質問ですね」と訳すべきなのではないかと当初わたしは思ってそのようにコメントした。なぜなら、そのとき、これは先ほど書いたような場つなぎなり皮肉なりの意図で使われる表現なのだろうとわたしは思っていたからだ。場つなぎや皮肉であれば、文字どおりのことを意味していないことはよくある。たとえば、ふつうは感謝の表現である「It's kind of you.」が状況によっては「大きなお世話だ」という意味で使われることもあるだろうし、「いいお天気ですね」などといっていても本心では天気のことなんかまったく気にしていない場合も多い。

そういう場合、発言者の真意は日本語でそのとおりに書いても伝わるだろうし、伝わらなければそれはそれでしょうがない。たとえば発言の意図が皮肉だとしたら、もともと皮肉というのは真意が伝わるかどうかを最終的な聞き手なり読み手に任せている表現であって、「いや、皮肉に聞こえるかもしれないけど本当にそういう意味でいったんだよ」と言いわけできる余地を少なくとも形式的には残しているわけだ。翻訳者が皮肉だと理解したとしてもそれは翻訳者の解釈になる。また、皮肉であることが明らかだとしても発言者は直接的な表現を使わずに皮肉で表現したという事実を残すことには意義があるだろう、と思った。

しかし、わたしのコメントに対して子守男さんが丁寧に説明してくださって、これは単に個人が皮肉として使うような表現ではなくて、すでに多くのひとがそのようにしか理解しないであろう表現になっているということかと理解できた。つまり、日本語でいえば「ご大層なことで」のようなものだ。これはほとんどの場合は「きみ、それはちょっとおおげさすぎるよ」というような意味だ。明鏡国語辞典でも次のようになっている。

ご‐たいそう【御大層】[形動]
他人の言動を大げさだとからかい、または皮肉っていう語。「─に理屈をこねるじゃないか」

このくらいはっきりと意味がきまってしまう言いかたなら、表面的な表現が示す意味ではない意味で訳すしかない。そういえば、英語にも big deal なんていうこれに似た表現があった。

わたしの認識が足らず、翻訳者の端くれとしてなんとも不甲斐ないことだった。これから精進していきたい。




文筆業として確定申告をしているものの、わたしの仕事は文筆業というよりパソコン入力業に近い。したがって、いかに効率的に入力ができるかが仕事の効率に直結する。

以前、音声入力を試してみたが、どうもあまり快適でなくてそのうち止めてしまった。一般に思われているであろうよりも入力精度は高く、ほぼ話したとおりに文字が入力されるのだが、ぼそぼそと話したのではダメで声を張り上げなければならない。パソコンの前でそのように話し続けるのはけっこうエネルギーが必要で、最初に想像したよりも楽なことではない。それに、翻訳は単純なデータ入力と違って少しは考えながら入力するわけなので、いつも同じペースで入力することはできない。「ファイルが変換されて…サーバに…保存され…」などと緩急をつけて話すのでは音声入力の精度も悪くなる。

音声入力を有効に使えるのは、おそらく、すでに完成した紙の原稿があって、それをパソコンのデータに変換するときではないかと思う。しかし、それなら OCR のほうが楽か…。まあ、わたしが試したのは何年も前なので、最新の製品ではもっと使いやすくなっているかもしれない。

けっきょく鍵盤から文字を入力するとなると、かな漢字変換システムが問題になる。わたしは、Windows に付属の MS-IME ではなく ジャストシステムという会社の ATOK というかな漢字変換システムを使っている。これはとても便利で、もう手放せない。

特に、省入力機能がすばらしい。省入力機能というのは、一度変換した内容が記録されていて、次からは数文字入力しただけで過去に入力した内容が候補として表示されてすぐに入力できるというものだ。たとえば、いま、「しょう」と入力すると、小さなポップアップウィンドウで「省入力機能」と表示される。そのまま shift + enter キーを押せば「省入力機能」と入力されるというわけだ。

この機能は、コンピュータ関係の長い語を入力するときに大きな威力を発揮する。「ドロップダウンコンボボックスメニュー」なんて語であっても、「どろ」と入力して tab キーを押し、「ドロップダウンコンボボックスメニュー」を選択すれば簡単に入力できる。いつもこの方法で入力すれば、入力の手間が省けるだけではなくタイプミスも少なくなるはずだ。ただし、最初にタイプミスをすると、その後ずっとタイプミスのまま変換されていくことになるが。

この省入力機能のデータは、通常、入力していく中で記録されていくのだが、すでに存在する文字データから学習させることもできる。たとえば、ソフトウェア マニュアルの翻訳では参考として過去バージョンのマニュアルや関連製品のマニュアルを支給されることがある。それをワープロソフトで開いてアドオンのツールバーから省入力データを学習させると、その製品独自の用語を省入力データとして記録させることができる。これによって、それから作業をする翻訳の入力作業を大きく効率化することができる。

また、話題の人名、映画名、流行語などがまとめられた省入力データや、はてなダイアリーのキーワードなどもジャストシステムさんのサイトからダウンロードできる。たとえば、いま、「のような」と入力すると「の・ようなもの」という変換候補が表示される。これは、森田芳光さんの映画のことだろう。これは、ジャストシステムさんのサイトからダウンロードした省入力データに入っているのだと思う。もちろん、この「森田芳光」という人名も「もりたよ」と打っただけで変換できた。

さらに、わたしの場合は、別売りの「広辞苑」、「明鏡国語辞典」、「ジーニアス和英/英和辞典」、「角川類語辞典」、「共同通信の記者ハンドブック」も ATOK に組み込んでいる。これらの辞書類は入力作業中にそのまま引くことができるので、たいへん効率がよい。

なんだか、ジャストシステムの回し者のようになってしまった。わたしはジャストシステムさんと特に利害関係はないが、本当に便利な製品だと思うので、パソコンに文字を入力する仕事のひとにぜひおすすめしたい。
要求のきつい仕事をした。単純な翻訳作業だけではなく、そりゃチェッカーか編集者の仕事だろう、というような付加的な作業もやらされるのだ。その分だけ報酬がよければ愚痴をいう理由はないが、単純な翻訳作業と同じ相場だから愚痴をいいたくもなる。

立場の弱い、しがない下請け翻訳者としては「そういう作業も込みならもう少しいただきたいですね」とはなかなかいいにくい。翻訳会社としては、翻訳の相場でチェック作業もやらせることができればコスト削減になるわけだから、とうぜん、そうしたいだろう。しかし、それで本当によいのだろうか。

産業翻訳の仕事では、翻訳者が翻訳し、チェッカー(校閲者)が校正するのが一般的だ。「分業」ということだが、単に作業負荷を分担しているというだけではなく、そのほうが完成度が高くなるからだと思う。

心理学によれば、人間は一度に複数のことをやろうとするとどちらかの精度が極端に落ちる、ということがわかっているらしい。たとえば、特定の色の図形と特定のかたちの図形を見つけるという 2 つの課題を与えて次々と変わる複数のスライドを被験者に見せると、どちらかの課題の成績が非常に悪くなる。つまり、何かの作業を行うときは 1 つずつ主題を決めてそれだけをやるべきなのだ。

この原理は前職でマニュアルを制作していたときによく実感した。文書を校正するとき、ただ漫然と頭から読んでいてもすべての誤りを見つけることはむずかしい。ではどうするかというと、たとえば、まず、頭から最後までノンブル(ページ番号)が通っているかどうかだけを先にチェックする。次に、また頭から最後まで柱だけをチェックする。このとき、ノンブルのチェックと柱のチェックを同時にやってはいけない。もし同時にやってしまった新人がいたとしたら、どちらもまだやられていないと見なして最初からやり直させなければならない。一度に 1 つの作業だけに集中するというのはそれほど重要なことなのだ。

翻訳作業と校正作業をそれぞれの専門職が分業するという翻訳業界の慣習は理にかなっているとわたしは思う。もちろん、翻訳者としても、当て字や俗語を使わないとか指定の表記基準に準拠するといったことは必要で、そんなことまですべて校正者に丸投げしていたら自然淘汰されてしまうだろうが、本来明らかに校正者、編集者がやるべき作業を翻訳者が負担させられることは、質の高い訳文を作るという本来の目的にそぐわないと思う。
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