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レジ袋有料化の動きの中で、マイバッグといわれる買い物袋が売れています。

とテレビのニュースでいっているのを見たことがある。

「マイバッグといわれる買い物袋が売れています」という言いかたがなんともおもしろい。「my bag が売れているって?わたしのかばんを勝手に売らないでよ」というのは陳腐な冗談。それにしても、どうして買い物袋に「マイバッグといわれる」という枕詞が必要なのだろう。ふつうに「買い物袋が売れています」でよいと思うのだが。「買い物袋」ってだれにでもわかる平易な言葉なのに。

「マイバッグ」ではなく「マイバック」という言葉もよく使われているようだ。「"レジ袋" +"マイバック"」で Google を検索すると、41,800 件ものサイトが見つかる。

新聞記事もある。中日新聞や日本繊維新聞が「マイバック」という言葉を使用している。「my back が売れているって?わたしの背中を勝手に・・・」いや、失礼。

買い物袋の正しい英語は a tote bag でよいのだろうか。それで買い物袋と同じ意味になるかどうかわたしにはわからないが、少なくとも my bag というよりは通じるだろうと思う。

わたし自身は折り畳みができる綿の買い物袋を 2 つ、内側にアルミホイルが貼ってあって保冷機能があり上部がファスナーで開閉できる大きな買い物袋の合計 3 つを使っている。保冷機能のある袋は夏に冷凍食品や刺身などを買ってくるときに便利だ。

(以前別のブログに書いた記事を改変して再掲しました)
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会社員の連れ合いが休みをとった。わたしは平日でも週末でもうちにいるのがふつうだが、勤め人の連れ合いが平日にうちにいることはめずらしい。前から行きたいと思っていた蕎麦屋で昼食をしたいというので、いっしょに行くことにした。

その蕎麦屋は「そ連(そば連合会)」を立ち上げた、そば好きの故杉浦日向子さんが本に書いていた店だそうだ。そういうミーハーな理由で行ってみることになったわけだが、わたしも蕎麦は大好きで蕎麦屋でうだうだと食事をするのにやぶさかでない。となりの市にある店だが公園を自転車で通り抜けて行くとよいサイクリングにもなる。ふだん運動をしないわたしにはちょうどよいだろう。

蕎麦屋の店員さんは「うちは『ジュウわり蕎麦』を出しています。ランチは・・・」と説明した。そこで、「まずはビールをください。蕎麦はあとで注文します」と答えた。

店員さんがいなくなってから、
「あの店員さんは『ジュウわり蕎麦』といっていたが、あれは『とわり蕎麦』と読むのではないのかい」
と連れ合いに聞いてみた。すると連れ合いも
「うん、わたしも『とわり蕎麦』だと思ってた」
という。
「『ジュウ』は音読みだから『ジュウわり』は重箱読みだよね。でも、長年商売をしているお蕎麦屋さんが『ジュウわり』と言っているわけだから間違えているとも思えないなあ」

けっきょく、その場ではどちらが本当なのかわからないまま、わたしたちはうちに帰った。

帰ってから広辞苑などの国語辞典を引いてみたが「十割蕎麦」という単語は載っていない。そこで、Google で検索してみると『ジュウわり』でも『とわり』でもよいと書いてあるサイトが多かった。

二八蕎麦は「ニハチ(にっぱち)蕎麦」。これを「ふたや蕎麦」と読む人はいない。そう考えれば、「十割蕎麦」は「ジュウわり蕎麦」でよいのだろう。だいいち、「勝率十割」というときはわたしも「ジュウわり」と読む。

なぜわたしや連れ合いは「十割蕎麦」を「とわり蕎麦」だと思っていたのかと考えてみると、蕎麦は日本の伝統的な食べ物なので使われている漢字は音読みではなく訓読みで読むべきなのだろうな、と勝手に推測してそのように読んでいたのではないかと思う。

(以前別のブログに書いた記事を改変して再掲しました)
前々回、「メールマガジン」の英語は mail magazine だろう、しかし Google で検索しても日本のサイトしか見つからないので和製英語かもしれない、ということを書いた。

すると、英語教育者の mamarimama さんにコメントで「メールマガジン」の英訳が英辞郎に書いてあることを教えていただいた。

e-mail newsletter [magazine]〔e-mail magazineよりもe-mail newslettersの方が使用頻度がはるかに高い(2002年9月現在)〕

ということだそうだ。mamarimama さん、ありがとうございました。

さらにわたしのローカル電子辞書を「メールマガジン」で串刺し検索してみると、研究社新和英大辞典に

【電算】 an e-mail newsletter [magazine].

という項目が見つかった。

magazine か newsletter かということはともかくとして、「メール」をそのまま mail だと思ったのはまずかった。日本語に引きずられていた。考えてみれば、英語の mail は郵便という意味だ。電子メールのことならきちんと electronic mail、e-mail、email といわなければならないのだろう。

逆にいうと、日本語では、「郵便」と漢語でいえば (snail) mail、「メール」とカタカナ語でいえば electronic mail と妙にうまく使い分けているわけだ。

さらに、同業者のアールさんは、英語ネィティブにわざわざ確認してくださった。

・online newsletter、Internet newsletterなど
・「e-mail newsletter や e-mail magazine とも言う?」 → 「言わない」
・「メールマガジンって英語でなんて言うの?」(と、最初に言ったとき) → 「なにそれ?」
一米国人の回答でした。

とのこと。アールさん、ありがとうございました。

うーむ。英辞郎や新和英大辞典の載せている訳語、e-mail newsletter も使わないとのことだが、Google のフレーズ検索では "e-mail newsletter" が約 10,500,000 件、"email newsletter" は約 24,000,000 件もある。やはり、これらの用語を使っている英語ネイティブもいるのだろうと思う。もしかすると、日本語の「メールマガジン」とは違って専門用語として使われているのだろうか。ちなみに、"online newsletter" と "Internet newsletter" は、Google のフレーズ検索でそれぞれ約 1,170,000 と約 603,000 件だった。

わたしの語感では、ニューズレター(newsletter)は日本語の「メールマガジン」で指しているものよりも堅い内容のものを指すような気がする。たとえば、次のように定義している辞書もある。

1. a written report, usually issued periodically, prepared by or for a group or institution, as a business firm, charitable organization, or government agency, to present information to employees, contributors, stockholders, or the like, and often to the press and public.
2. a written report and analysis of the news, often providing forecasts, typically directed at a special audience, as business people, and mailed to subscribers: a stock-market newsletter.

newsletter. (n.d.). Dictionary.com Unabridged (v 1.1). Retrieved April 26, 2007, from Dictionary.com website: http://dictionary.reference.com/browse/newsletter


たとえば、毎朝 joke を配信するというような電子メールサービスでも英語で newsletter というのだろうか。そのあたりは、まだ、よくわからない。
碁は「打つ」、将棋は「指す」。子どものころから何十年も将棋を趣味としているたんご屋にとってはまったく当たり前のことで間違えようがない。しかし、碁将棋に興味のないひとは間違えやすいことのようで、アナウンサでも間違えて「将棋を打つ」といったりするのを聞くことがある。

もう 1 つ、碁と将棋で似ていて違う言葉に「定石」と「定跡」がある。どちらも「じょうせき」と読むが、前者は碁、後者は将棋の用語だ。

日本では「」という漢字が碁と将棋の両方を意味する。「棋界」といえば囲碁界と将棋界のことだし「棋士」といえば碁打ちと将棋指しのことだ。

香港で中国象棋の本を買ったことがある。中国語は読めないが図面を見て定跡を勉強しようとしたのである。繁体字では「其」という字の下に「木」をくっつけた文字(「棋」の部首を縦に並べた文字)が将棋(象棋)の意味で使われているようだ。つまり、「碁」の「石」の部分が「木」になると将棋(象棋)の意味になるらしい。もともと「碁」「棋」は異体字だとも聞いたことがある。

将棋を指したり碁を打ったりすることを「対局」という。これもあまり知られていないようだ。一般の新聞、雑誌やテレビでよくインタビューされている羽生三冠は、「将棋の試合のときは...」と「試合」という馴染まない用語を自分で使ったりしている。「対局」というと通じないかもしれないという気遣いなのだろう。しかし「将棋の試合」といういいかたはわたしにはそうとう違和感がある。

対局は 1 、2 と数えるのがふつうだが、 5 番勝負のように「」を使って数えることもある。これは、相撲あたりから流用したいいかたなのかもしれない。

チェスは「対局」というのか「試合」というのか知らない。ググってみるとどちらも使われているようだ。英語では game ではなくて match になるのだろうか。中国象棋については、少なくとも香港のひとは英語で game といっていたような気がする。
メールマガジンとは、インターネットの電子メールを利用して情報を購読者に配信するシステムのことである。「メルマガ」と略すこともある。電子メールを利用した雑誌のようなもので企業の広告宣伝活動によく使用されている。

英語はたぶん mail magazine だと思う。「たぶん」というのは、Google で "mail magazine" をフレーズ検索しても日本のサイトしか見つからないからだ。もしかすると「メールマガジン」は和製英語で、米国や英国では違う言いかたをするのかもしれない。

無料で購読できるものがほとんどで英語学習に役立つ情報を配信しているものもある。貧乏なたんご屋の購読している英語学習関連の無料メールマガジンを紹介する。

毎日1分!英字新聞
かなりクールな英語表現
コンピュータ英語メールマガジン
2パラグラフで英字新聞を読もう!「ダイジェスト版」
毎日ちょこっとリスニング特訓【クリアな英語音声付き】
辞書にない英語で世界がわかる
笑える英語の実践講座
英語を“楽習”しましょ

Effective Public Speaking Skills

英語学習一般に関するもののみ。翻訳関連のものは除いた。
みなさんもおすすめのメールマガジンがあったらご紹介ください。

追記(07/04/25):
mamarimama さんにコメントで「メールマガジン」の英訳が英辞郎に書いてあることを教えていただいた。

e-mail newsletter [magazine]〔e-mail magazineよりもe-mail newslettersの方が使用頻度がはるかに高い(2002年9月現在)〕

ということだそうだ。
さらにわたしのローカル電子辞書を「メールマガジン」で串刺し検索してみると、研究社新和英大辞典に

【電算】 an e-mail newsletter [magazine].

というのが見つかった。
magazine か newsletter かということはともかくとして、「メール」をそのまま mail だと思ったのは日本語に引きずられてしまっていた。英語の mail は、考えてみれば当然「郵便」という意味だ。

追記(07/04/27):
mail magazine について、アールさんからもコメントをいただいたので新しい記事に書かせていただいた。
こんなわたしでも、かつてはラジオの英会話番組を聴いたり英字新聞や Newsweek を読んだりして英語の学習に力を入れていたことがあったのである。しかし最近は英語学習熱がすっかり冷めてしまっていて、このブログもただ自分がおもしろいと思ったことを書いているだけにすぎない。

このブログにコメントをくださる mamarimama さん、りりさん、子守男さんなどのみなさんが真摯に英語に取り組んでいらっしゃるのをブログで拝見するにつけ「わたしも勉強しなきゃなあ」と思うようになってきた。

そこで、今日からまた英語学習に力を入れていくことにした。その過程で何かおもしろいことを見つけたらこのブログで紹介していこうと思う。とりあえず、英検準一級と工業英検一級の取得を目標にして学習するつもりだ。
漢字には異体字というものがある。たとえば、island の漢字表記には「」のほかに「」や「」もある。これらはみな同じ文字で「鳥」と「山」の 2 つの要素からできている。漢字は要素の配置方法に関しての柔軟性が高い。

「秘密裡にことを運ぶ」というときの「」は「」と同じ文字だ。だから「秘密裏」と書いてもよい。これらの文字は「衣」と「里」からできていて衣偏(ころもへん)に里が「裡」であり、「衣」の鍋ぶたの下の部分に「里」が埋め込まれているのが「裏」だと思う。これは、あるときとつぜん気がついた。これに気がついたときは、なあんだそういうことかとちょっとうれしかった。

英語の語根も、ああそうだったのかと後で気がつくことがある。business という単語は、最初はそのまま「業務」と覚えたが、busy に ness をつけて名詞化させたものだと気がついたのはそれから何年も経ってからだった。ああなるほどと思った。disease もそう。何も考えずに単に「病気」という意味だとして覚えていたが、ease を dis で打ち消しているのだということに気がついたのはつい最近のことだ。

なお、上記は文献などで確認したことではなく、わたしがかってにそう思っているだけであることをお断りしておく。こういったいいかげんな解釈を「民間語源(folk etymology)」というらしい。

むかしソ連のゴルバチョフさんの提唱した「ペレストロイカ」は、日本で有名なロシアのトロイカからの連想で「ペレス・トロイカ」という区切りだと思いがちだが、正しくは「ペレ・ストロイカ」だそうだ。「ストロイカ」は英語の structure に対応する単語らしい。これは何かの本で読んだ。
昨晩、NHK BS のドキュメンタリ番組で、将棋界最高のタイトル「竜王」をもつ渡辺明九段と、最強将棋ソフトウェア「ボナンザ」との対戦のようすを詳細に紹介していた。とてもよくできたおもしろい番組になっていた。さすがは NHK 、視聴料を取っているだけのことはある。この対戦のことは「コンピュータ対人間」という題で以前書いた。

番組中のナレーションで、渡辺竜王がボナンザの将来の無理攻めをさそうような手を指したことを「布石だった」と表現した。「布石」は「将来のための用意」という意味で日常的に使われる言葉ではあるが、もともとは囲碁用語で現在でも囲碁用語として使われている。思わず
「将棋の番組でわざわざ布石という言葉を使うなよ」
といってしまった。それを聞いた妻が
「じゃあ、何といえばいいのよ」
とつっこんできた。
「布石は囲碁用語じゃないか。布石と同じような概念は将棋にもある」
「それはわかっているわよ。じゃあ何といえばよかったの」
「えーっと、ちょっとまってくれ」
わたしは、いっしょけんめい考えたがなかなか思い出せなかった。しばらく考えたあとで
「そうか。布陣だ」
「ああ、なるほどね」
ということになった。
布石は明らかに囲碁用語だが、布陣はもともと将棋用語というわけではない。いくさで使った用語だろうから、それこそ孫子のむかしからあった言葉だろう。でも、将棋はいってみればいくさを模したゲームだから布陣というほうが布石というよりふさわしいと思う。

Web、つまり World Wide Web のことを「ウェヴ」「ウェッヴ」という表記しているサイトがある。個人のサイトなら一種の冗談、洒落っ気でわざとそのように書いているのかなとも思うが、まじめな団体や企業のサイトでも「ウェヴ」と書いているものがある。

「ヴ」という表記が英語の v、つまり唇を噛んで発音する音に使うものだとすれば、Web を「ウェヴ」と書くのはもちろん適切ではない。

Beethoven は、ふつうは「ベートーベン」または「ベートーヴェン」だが、意外にも音楽のサイトに「ヴェートーヴェン」とする表記がたくさんある。これはどういう心理によるものか。

わたしは「ヴ」という表記は使わない。日本語で唇を噛んで発音することはないからだ。たとえば、native を意味するカタカナ語は「ネイティブ」と表記するし、そのように発音する。だって、外来語はもう外国語ではなくて「日本語」なのだもの。

(以前別のブログに書いた記事を改変して再掲しました)
とても残念で悲しい事件が日米で続けて起きた。バージニア工科大銃乱射事件の犠牲者とその関係者のかたがた、および故伊藤一長さんとその関係者のかたがたに衷心より弔意を表したい。

ところで、日本ではバージニア工科大銃乱射事件の実行者の名前に「容疑者」という呼称をつけて報道されている。こういう言いかたは聞き慣れてきているものの、この事件のように実際に犯行が行われているところが多くの人によって視認されているにもかかわらず「容疑者」をつけて呼ばれるとさすがになんだか妙な気分になる。

故長崎市長を至近距離から射殺し、その場で取り押さえられたうえに犯行を認めている人物も「容疑者」の呼称つきで報道されている。これにも同様の違和感がある。

Google ニュースでバージニア工科大銃乱射事件のニュース記事からチョ・スンヒ氏に関する表現を拾ってみると、次のようなものがあった。

銃乱射事件の犯人チョ・スンヒ容疑者(東亜日報)
銃乱射事件で犯行後に自殺したチョ・スンヒ容疑者(福井新聞)
バージニア工科大学銃器乱射事件の犯人、チョ・スンヒ容疑者(ライブドア・ニュース)

どの例でも、一方では犯人と断定しながら、もう一方では「容疑者」という呼称をつけるという滑稽なことになっている。

むかしはこのような習慣はなかった。Wikipedia によれば、「容疑者」をつける言いかたがふつうになったのは 1989 年 12 月からだそうだ。たしかに、その年に連続幼女誘拐殺人事件で逮捕された男性は呼び捨てで報道されていたような記憶がある。

裁判で有罪が確定するまでは推定無罪であって犯人ではなく容疑者(被疑者)であるという理念はわかるが、現実には犯人扱いで報道しているのにかたちだけ容疑者をつけてごまかしているということも多い。堀江元ライブドア社長も「堀江容疑者」と呼ばれながら実際にはほとんど犯罪者扱いで報道されていた。

本当に問題なのは、現行犯を容疑者と呼ぶことではなく、容疑者を犯人扱いで報道すること、それをごまかすためか現行犯をふくめて形式的に容疑者と一律に呼ばざるをえないのであろうことのほうなのかもしれないと思った。
最近、日本語で「リフォーム」というと建物の改築のことだ。英語の reform についてふつうに思い起こす意味は「改革する」とか「改心させる」だが、さて「建物の改築」という意味はあるのか。

研究社リーダーズプラスによれば、なんとそれに近い意味がかつて存在したらしい。
《廃》 〈建物を〉再建する, 修復する
これは動詞だが、いちおう和製英語の「リフォーム」に近い意味だと思う。

「リフォーム」はまったくの和製英語だと思っていたが、こういう「偶然の一致」のようなことも世の中にはあるということか。

(以前別のブログに書いた記事を改変して再掲しました)
前回と前々回は、英語の名詞や形容詞を対応する日本語と一対一で記憶する連鎖記憶法という方法を紹介した。「奇跡の英単語」では英語の副詞の覚えかたをどうあつかっていたか覚えていない。そこで、「奇跡の英単語」から離れて英語の副詞の学習法について自分の思うことを書いてみる。

どのような品詞でも英単語が日本語と一対一で対応するということはありえないが、名詞や形容詞はとりあえず一対一対応で覚えることで後の学習が楽になると思う。しかし、副詞(前置詞や動詞も)は最初から文法と関連付けて覚えるのがよいような気がする。

たとえば、hardly、scarcely、seldom のような副詞が典型で、これらは例文で覚えないとしかたがない。日本語との一対一対応では覚えようがない。

副詞というのは、名詞、形容詞、動詞などと較べてわかりにくいところがあるのだろうか、以前アルバイトで高校生に英語を教えたときは here、there、home、today、yesterday といった単語を副詞(でもある)ということがわかっていない生徒が多かった。これらを名詞のつもりで覚えてしまうから

Where is here?
I'm coming to home.
He went to see the doctor on yesterday.

のような、ちょっと奇妙な英文を書いたり話したりしてしまうのだろうと思う。

また、高校では on、off、in、out、over などの単語を前置詞としてしか教えていなかったような気がする。少なくともわたしの学校の先生はそうだった。これらは副詞でもあるということは、早くから教えたほうがよいのではないか。そうすれば

Put your raincoat on.
Put on your raincoat.

のどちらでもよい理由が無理なく理解できると思う。
前回紹介した長崎玄弥さんの「奇跡の英単語」では、形容詞の覚えかたにも連鎖記憶法を採用している。

形容詞と名詞の組み合わせのリストがたくさんあり、その意味を覚えてからリストを目で追って 1 項目を 1 秒以内に想起できるように練習するようになっている。たとえば

obstinate mule
capricious cat
moody bear

というようなリストだ。この例に書いたのは実際に同書に掲載されていた項目である。いまでも覚えているのだからやはり記憶によく定着する方法だったのだろう。

なお、前回書き忘れたが、この本では英単語の一覧を見て日本語の意味を想起するだけではなく、日本語の一覧を見て英語を想起するという両方向の作業をやることになっている。そうでないと、読めるが書けないということになってしまう。

名詞のリストを覚えるのはわりあいに簡単だったが、形容詞のリストはかなり手こずった覚えがある。まあ、単語数が倍になるのだから当然か。

もちろん後で知ったことだが、(as) obstinate as a mule という成句がある。つまり、obstinate という形容詞は mule と相性がよいわけで、obstinate mule という組み合わせで最初に覚えておけば後になって obstinate as a mule という成句を見ても、ああそうか、と簡単に納得できる。長崎先生はそういうことも考慮して形容詞となじみやすい名詞との組み合わせで項目を作っていらっしゃったようだ。

長崎先生の連鎖記憶法を使わないにしても、このように形容詞を名詞と組み合わせたかたちで形容詞を覚えるのは理にかなっていると思う。

子どもが成長過程で言葉を覚えていくときに形容詞を単独で覚えるということはほとんどないだろう。形容詞が何かを修飾している文脈の中で覚えていくはずだ。だから「obstinate、頑固な、obstinate、頑固な…」と唱えるようなかたちで形容詞を単独で覚えるのは無理があるし、実際に書いたり話したりするときに使いかたを間違えてしまう可能性も高くなると思う。
英語・おおそーか!」のりりさんが語根を利用して英単語を覚える効用について書いていらっしゃる。

わたしのハンドルは「たんご屋」だが単語とは関係ない。英文科や語学科を出たわけではないし、そもそも文系ですらなかった。留学したこともない。したがって、知っている単語はかなり少ないと思う。

もちろん多くの単語を知っているに越したことはない。そうはいっても、すべての単語を覚えることはできないしそうする意味もない。母語でも同じことがいえると思う。いくら覚えてもきりがない。そういうわけで自分で単語帳を作ってむりやり単語を覚えるというようなことはいまはやっていない。

しかし、やはり受験生のときは英単語をむりやり覚えた。そのことについて書いてみる。

受験生のときに使ったのは長崎玄弥さんの「奇跡の英単語」という当時のベストセラー単語集だ。著者の長崎先生は連鎖記憶法という独特の単語記憶理論をもっていらっしゃった。関連のある一連の単語の意味を覚えてそれを上から順にできるだけ速く思い出していくという方法である。1語を1秒以内に思い出すのが目標だったと思う。たとえば

cat
tiger
lion
king
crown
milk
cow

といった単語を上から順に見て「ネコ、トラ、ライオン、王、王冠、ミルク、ウシ…」と、この場合なら 7 秒以内にすべての単語の意味を想起できればいちおう成功である。

上に挙げたレベルの単語なら多くのひとは日本語とほぼ同様に見た瞬間に意味が想起できるだろう。そういうレベルになって初めて本当に覚えたことになるというのが長崎先生の理論だった。
」という漢字を見ただけでドキッとするのと同じように danger という単語を見ただけでドキッとするようになれば、もう忘れることはない。

逆に、2 秒もにらんでから意味を思い出しているようでは覚えたことになっていない。実際、そんな記憶では実用にならないし、いずれ忘れてしまう。

もう 1 つ、他の単語集と大きく違う点は、覚える単語が abandon、abolish ... などとアルファベット順に並んでいたり、試験出現頻度順に並んでいたりするのではなく、意味に関連性のある単語の配列になっていることだ。こういう単語リストは自分で作ってもよい。たとえば、野球の好きな人なら

ball
gloves
bat

first
second
short
third

というようなリストを作って覚えてもよいわけだ。互いに関連のない単語の一覧をにらんでいるよりもこのほうが覚えやすいのは明らかだと思う。わたしは動物が好きだったのでいろいろな動物や鳥の単語リストを作って覚えたことがある。

こういう方法は試験に出そうもない単語も覚えることになるので試験対策としては効率が悪いが、たとえ受験生だったとしても英単語を覚えるのは本当は試験のためではない。一生を通じて使える英語力を身につけるために覚えるのだ。長崎先生はそう考えていらっしゃったし、わたしもそう思う。

また、これは視覚に大きく依存した覚えかたなので crown と clown を混同して覚えるようなことは少ない。漫画の先進国であり漢字を使用する日本の人には向いている方法ではなかろうか。
今が旬のえんどう豆の本当の名前は「豌豆(えんどう)」で、「えんどう豆」というと「豌豆豆」になるから正しくないという。でもこういう例はいくらでもあるし間違いとしてあげつらうほどのことはないと思う。

以前、直流電流のことを DC と書いて、英語ネイティブに DC current と直されたことがある。DC とは direct current のことだから、DC current は direct current current になってしまうと思ってわざと current を付けなかったのだが、そうであっても(その文脈では)DC current が正しいとのことだった。

「歌を歌う」「食べものを食べる」などはふつうだし「後で後悔する」「速度が速い」「硬度が硬い」などは少し変だが許容範囲内だと思う。

とはいうものの程度問題であって、度が過ぎると「頭痛が痛い」とか「危険が危ない」のように滑稽な表現になってしまう。

数日前のブログ記事でわたしは「贈り物を贈る」という表現を使った。「プレゼント」や「ギフト」のようなカタカナ語はあまり好きではないので「贈り物」という単語をあえて選んだのだが、今度は重複表現になってしまった。「贈り物をする」でよかったのだ。

以前のブログに「違和感を感じる」と書いていたこともある。自分ではこの表現にまったく違和感がなかったのだが、あるとき重複表現だということに気がついた。それ以降は「違和感を覚える」と意識して書いている。

こういうのはたしか畳語というんだったっけと思って辞書で確認してみたら、これもわたしの思い違いだった。畳語というのは「山々」「人々」「知らず知らず」といった言葉のことで重複表現とは違うらしい。
数日前、朝日新聞の朝刊で、神奈川県でハスの実に入った仏舎利が仏像から見つかったという記事を旅先で読んだ。

ところが、その記事には「仏舎利が見つかった」と書いてあるだけでその正体については書かれていない。「この仏舎利って何のことだ」と疑問に思った。

仏舎利については、シャカの遺灰として扱われているものという知識しかない。もちろん実在したかどうかも定かでない紀元前の人物の遺灰がこの極東の地にあるわけがないので「何か」を仏舎利と称して祀ったのだろうが、その朝日新聞の記事ではその「何か」が何なのかわからない。この記事の書きかたでは本物のシャカの遺灰が入っていたと思う人がいるかもしれない。

続けて読売新聞を読んだ。同じニュースが載っていたが、そちらには「仏舎利とされている貴石」というような書きかたになっていた。これならまだ理解できるが、貴石とはまたあいまいな書きかたをするものだなあと思った。

旅行から帰ってきて自宅で購読している日経新聞の対応する記事を見るとこの仏舎利の正体が「水晶」とはっきり書かれていた。なんだ水晶だったのか。同じ新聞の記事内容でも版によって違うのかもしれないが、わたしが旅先で読んだ新聞はなぜ「水晶」とはっきり書かなかったのだろう。

旅行中だったのでたまたま 3 つの新聞を読み比べることになったが、ふだんは複数の新聞を読み比べたりすることはない。同じことについて書いていても新聞によって書きかたはいろいろなのだなと思った。当たり前のことだろうが、同じ事件だからといってだれもがほぼ同じ知識をもてるわけではないということを改めて認識した。

ご参考:東京新聞の記事

あさりの砂抜き

土鍋活用ずぼら料理シリーズ第四弾。

あさりが旬ということで、スーパーで見かけたあさりを 1 パック買ってきた。

以前は砂抜きのためにあさりをボールに入れて蓋代わりに新聞のちらしをかぶせて暗くしていた。しかし、あるとき土鍋は最初から蓋があるのだから土鍋を使えばいいじゃないかとひらめいた。
それがこの写真である。なお、土鍋の大きさ(小ささ)がわかるように缶ビールを横に置いてある。

砂が戻らないように底に網のようなものを敷くとよいという話をよく聞くが、うちではそこまで面倒なことはしない。潮干狩りで取ってきたあさりならそういうくふうが必要なのかもしれないが、スーパーで売っているパックのあさりの場合は塩水につけておいて最後に勢いよくザルに空けるだけで十分なようである。


あさりバター蒸し

砂出ししたあさりは、同じ土鍋に戻し、酒蒸しなら日本酒を、ワイン蒸しならワインを、バター蒸しならバターを適量入れる。それを 3 分ほど中火にかければ酒蒸し、ワイン蒸し、バター蒸しのいずれかができあがるので、適当に小口切りのネギなどを振りかけてそのまま食卓に持ってくればよい。

直接箸を入れて食べて、鍋ぶたに殻を入れるようにすれば、洗いものはこの土鍋だけである。ボールで砂抜きし、フライパンで蒸し、皿に移して食べるのと較べるとずっと手軽な方法だと思うがいかがだろうか。


学校の英語は「直訳」ばかりで「意訳」は教えないという印象がある。でもそうでもない。

受験英語で有名な構文に "too ... to ..." というのがある。これは「...すぎて...できない」と訳すことになっている。

He was too tired to do any work.

この例文なら
「彼は疲れすぎていて何もできなかった」
と訳せば正解だ。これは意訳ではないのか。
直訳なら
「彼は何かするには疲れすぎていた」
となるだろう。

ほかの例をいえば "not ... until ..." というのもある。

The man did not come until the meeting was over.

これは
「会が終わってその男はようやく姿を現した」
と訳すのが受験英語では定番になっている。これも意訳だと思う。
直訳なら
「会が終わるまでその男は姿を現さなかった」
になるはずだ。

It was not until the meeting was over that the man came.

というかたちも多いが、これは
「男が現れたのは会が終わるより前ではなかった」
というのが直訳になるだろうか。

ともかく、学校で教えている構文といわれるものは、実は「意訳のしかた」のことなのかもしれないと思う。

コンピュータ関係のマニュアルを訳していると

You will be prompted to delete the file.

というような文によく出くわす。これは
「ファイルを削除するかどうかをたずねるメッセージが表示されます」
と訳すのが定番だと思う。こういうのは意訳のような気がするが、英文はまさにそういう意味だから直訳といってもよいようにも思われる。よくわからない。

Repeat step 1 through step 7 until all items are added.

というような文もマニュアルによく出てくる。これも
「手順 1 から手順 7 を繰り返してすべての項目を追加してください」
と訳すのが、まあ、ふつうだと思う。
「すべての項目が追加されるまで手順 1 から手順 7 を繰り返してください」
と訳せなくもないが、原著者の意図と少し違ってくるような気がする。
これはどちらが意訳でどちらが直訳なのか。やはり、よくわからない。
SMAP の中居正広くんが大御所喜劇俳優の間寛平さんをインタビューするのを見たことがあるが事前に何も調べていないらしく寛平さんをぽっと出の芸人扱いしていた。寛平さんが東京進出したばかりのころで当時の中居くんは寛平さんのことをよく知らなかったのだろうが、それにしても、インタビュアーという仕事はインタビューする相手のことをよく調べてからインタビューに臨むべきではないのか。そういうこともあって、中居くんは気に入らないタレントのひとりだ。

SMAP が料理を作ってゲストにふるまうテレビ番組がある。ずっと前のことだが、その番組で、料理が終わってゲストに食べてもらう段になって中居くんが「それでは、どうぞいただいてください」とそのゲストに大きな声でいった。驚いてのけぞった。それでは、作ってやったのだからありがたくいただきなさいということになってしまう。ただしくは「それでは、どうぞお召し上がりください」だろう。アナウンサーじゃないのだからいつも正しい日本語を話しなさいというつもりはないが限度がある。そもそもゲストに対して敬意をもっていればそんないいかたにならないはずだ。

少し前、文化審議会というところが従来の敬語分類の「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」に「美化語」と「丁重語」という新しい分類を加えるように答申したという報道があった。美化語というのは「お酒」「お料理」「ご祝儀」などのようにものごとを美化するいいかた、丁重語は自分の行為を丁重に表現するいいかたで「参る」「申す」などがその例とのことだ。

この新しい分類を加えることで何を変えようとしているのかがよくわからない。これからそれを習うことになるかもしれない児童、生徒、学生たちには、かえって記憶の負担が増すだけなのではないかと心配だ。

(以前別のブログに書いた記事を若干修正して再掲しました)
ピラフ

今日は土鍋でピラフを炊いた。
土鍋の中でお米と具を炒めてからスープを入れて普通に炊くだけ。とても簡単だ。
電気炊飯器でピラフを作る場合は、別の鍋でお米を炒めてから炊飯器に移すことになる。土鍋を使えば 1 つの調理器具で完結する。洗いものが少なくてすむのでよいと思う。
「外国の人には理解しがたいだろうなと思う“日本の文化・慣習”」と聞いて思い浮かぶものは? というアンケート結果を見た。
10 位までは次のとおり。
  1. お歳暮・お中元
  2. 遠慮・謙遜(けんそん)
  3. 正座
  4. 節分・豆まき
  5. 宗教観
  6. おじぎ
  7. 家では靴を脱ぐ
  8. 納豆を食べる
  9. 風呂・湯船に浸かる
  10. わび・さび
「お歳暮・お中元」って要は贈り物の習慣のことだから、どの国の人でも理解できると思う。ポトラッチのような特殊な習慣ではない。お世話になっている人に贈り物を贈るというだけだ。クリスマスやバレンタインデーに贈り物をする習慣とどこが違うというのか。こういう贈り物の習慣は外国人にわからないだろうと考える日本人が多いということのほうがむしろわたしにはわからない。

「遠慮・謙遜」をわからない文化なんてあるのだろうか。もちろん、米国などでは遠慮や謙遜が日本ほど美徳ではないのかもしれないが、遠慮や謙遜という概念はあるだろうと思うが。

「正座」はできない外国人が多いだろうが、所詮は「座りかた」の 1 つなのだから理解できないということはないだろう。

「わび・さび」は、たしかになかなか理解されがたい概念なのかもしれない。

わたしが回答者だったらどう答えていただろう。おそらく、英語に訳すことがほぼ不可能といわれている概念を持ってくると思う。
粋(いき)か。「甘えの構造」の甘えか。貧乏性か。
うーん、どうもパッとした回答が思いつかないなあ。
ずいぶん前に引退したがスタン・ハンセンというプロレスラーがいた。日本でとても人気の高かった人で、アントニオ猪木やジャイアント馬場とよく戦っていた。

25 年ぐらい前、この人がまだばりばりの現役レスラーだったころに猪木と馬場を比較して語るのを聞いたことがある。具体的にどういう英文をしゃべったかはもちろん忘れた。
大意としては
「日本のファンは猪木と馬場のどちらが強いかをよく話題にするようだがタイプの違うレスラーでどちらが強いとはいえない。馬場はパワーファイターで猪木は scientific なレスラーだ」
といったようなことを言っていた。

猪木のことを scientific と表現したのだけはよく覚えている。そのときは「なぜ scientific なの」とふしぎに思った。scientific というと「科学的な」という意味だけしか知らなかった。そして「科学的な」といえば、事実に基づいていること、論理的、立証的、体系的といったことだと思うから、プロレスとは縁のなさそうな単語に思える。

あとでわかったのは、science に「(格闘技などの)わざ、技術」という意味があるということだった。そしてその形容詞である scientific には「技のうまい」という意味がある。

ランダムハウス英語辞典

科学的な(方法を取り入れた),(専門的な)知識[技術]を生かした;技のうまい,熟練した

研究社リーダーズ+プラスV2

わざ[技術]の(巧みな)

研究社 新英和・和英中辞典

(競技などで)わざ[術]のうまい


わたしの持っている学習者用の英英辞典にはこの意味は載っていない。もちろん、もっとちゃんとした英英辞典には載っているのだろうが。
なお、Google で定義を調べてもそれらしい意味は見つからなかった。あまり重要な語義だとは考えられていないのか、それとも、英語ネイティブにとってはあえて書かなくても「科学」と「格闘技のわざ」は同じ意味範囲としてとらえられるものなのか。

英語ノンネイティブであるわたしの感覚では格闘技の技術は個人的な「」なのだから science というより art のほうがふさわしいではないかと思うのだがそうではないらしい。
やはり英語はむずかしい。




匂いをかがれる かぐや姫 ~日本昔話 Remix~
ISBN:483871727X 原 倫太郎 原游 マガジンハウス 2006/11/22 ¥1,000




連れ合いが勤め先の同僚から渡されたといって、この本を見せてくれたことがある。

一寸法師、かぐや姫、桃太郎のお話なのだが、それらのお話をいったんコンピュータの翻訳ソフトで英語に翻訳し、できた英文をまたコンピュータの翻訳ソフトで日本語に戻した文章で作成した絵本らしい。もとの日本語とそれに合わせた絵、また、翻訳の途中の英文も載っている。

表題の「匂いをかがれるかぐや姫」は、「かぐや姫」がまず "As soon as it smelled, princess" と訳され、それを日本語に戻して「匂いをかがれるプリンセス」になったところから付けたものだそうだ。

絵はとてもきれい。Amazon の書評でも「おもしろい」と評判が高い。

ところが、これがわたしにはちっともおもしろくない。どんな妙ちきりんな文章になっていても「そんなの当たり前じゃない。だからなによ」としか感じない。

翻訳ソフトがどんなにひどい日本語や英語を作るかはよく知っている。以前、機械翻訳ソフトを翻訳(英日)の仕事に利用していた。もちろん機械翻訳ソフトが使いものになる訳を作成してくれるわけがない。大量のマニュアルなどを訳すときに少しでも入力の手間を省くために利用した。つまり、機械翻訳ソフトの作った妙ちきりんな文章を編集するようにすれば日本語をいちから入力するよりは少しは楽なのではという発想だ。いまもそういう方法で翻訳をしている人がいると聞いている。

ある翻訳ソフトは "He is" を「ヘリウムは」と訳してくれた。また、number を「より痺れた」と訳してくれたときに、ああ、numb の比較級のことね、と気づくのにしばらく時間がかかった。機械翻訳ソフトのこういう妙ちきりんな文章をいやというほど読んだことがあるので、この本の訳などは、けっこうよくできてるじゃない、翻訳ソフトも少しは進歩したのね、と思うのだ。

(以前別のブログに書いた記事を若干修正して再掲しました)

サクラ
サクラ

昨日の朝、小金井公園に行った。桜が本当にみごとだった。平日の昼間に公園に行ってなごむことができるのが自由業のよさだ。

小金井公園は都内最大級の都立公園。今日から日曜日まで桜まつりと銘打ったいろいろな催しが行われる。
昨日、女流王将戦の挑戦者決定戦で、中学生(今年度から高校生)の女流棋士、里見香奈初段が清水市代女流王位に敗れた。

第29期女流王将戦、挑戦者決定戦

ネット中継でこの対局をほぼリアルタイムに見ていたが、中盤の早い段階で里見さんが大きく不利になり、そのまま終わってしまった。里見初段は、先日のレディースオープントーナメントの決勝でも矢内女流名人を追い詰めながらもけっきょく優勝できなかった。久しぶりに出てきた大物だと思っていたが、こういう絶好のチャンスを生かせていないところに少し不安がある。

男性棋士の羽生善治三冠も中学生棋士だったが、彼が NHK 杯将棋トーナメントで優勝したときのことは鮮烈な記憶として残っている。谷川、加藤、大山、中原と4人の名人経験者を破って優勝したのだ。名人経験者4人に続けて当たるというだけでもくじ運の強さというか、何か偶然を超えた神の計らいがあるのではないかと思わせるぐらいすごいことだが、その人たちを破って優勝したのだから、とんでもない少年が現れたと思ったものだ。

のちに将棋ファン以外にも名を知られるほどの有名人になる羽生さんには、ここぞというときに負けない運の強さがあったと思う。里見さんは2回続けて絶好の機会を逃してしまったが、今後の奮起を期待したい。

なお、将棋の女流棋士が事実上分裂したという報道が流れている。日本将棋連盟から独立して女性棋士だけの法人を作ろうという人たちと日本将棋連盟に残るという人たちの間で調整がつかず、一部の女流棋士だけが独立した団体としてやっていこうということになったとのことだ。

いろいろな背景やおとなの事情があるのだろうがそれはわからないので報道でわかる範囲の情報だけから思うことをいえば、日本将棋連盟に依存していた女流棋士が独立してやっていこうと考えるのはよいことだと思う。

以前と違って現在はインターネットという比較的コストのかからないメディアがある。それをうまく使えば独立団体としてやっていくことも可能なのではないかと思う。将棋は情報に変換しやすいゲームなのでインターネットと相性がいい。なにより、どうやって団体を存続していくかを考えて実践していくのはやりがいのあることだろう。
国際基督教大学の桜

エープリルフールの日、近くの大学で、妻、妻の友人、甥、わたしの4人で花見をした。甥は4月からこの学校に通い始める。

風のないおだやかで暖かい天候に恵まれて、とてもよい花見になった。他の場所であれば、今日のような花見日和の日にはカラオケを持ち込むような人たちで大騒ぎになっているはずだ。ここにはそんな人はいない。花見の穴場だと思う。甥も、よい印象を持ってこの学校に通いはじめてくれるだろうと期待している。
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