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「タレント」ということばはどうもよくわからない。

wikipedia の「タレント政治家一覧」という項目を見てみると、「えっ、このひとがタレントなの」と納得のいかない政治家がたくさん載っている。橋本聖子さん、福島瑞穂さん、舛添要一さん、竹中平蔵さんなどである。たんご屋には、それぞれ、(元)スポーツ選手、弁護士、学者という認識しかない。

今回の参院選で当選したひとにもタレント候補といわれたひといる。丸山和也さん、横峯良郎さん、丸川珠代さんなどがそうである。わたしにはこれらのひとたちがタレントだとは思えない。丸山さんは弁護士、横峯さんは事業家、丸川さんは(元)会社員でアナウンサである。

現代用語の基礎知識「外来語年鑑1998年」と新辞林では、タレントという用語は次のように説明されている。

才能。才能のある人。芸能人。(現代用語の基礎知識「外来語年鑑1998年」)
テレビ・ラジオなどに出演する芸能人。(新辞林)

これに従えば、上記のひとたちはタレントにはあたらない。芸能人ではないからだ。

しかし、広辞苑では次のようになっている。

才能のある人の意で、テレビ・ラジオなどの職業的出演者。(広辞苑第四版)

この定義によれば、丸川さんはタレントということになる。テレビ局のアナウンサというのは、まさに「テレビ・ラジオなどの職業的出演者」に違いない。

英語の辞書では、「ランダムハウス英語辞典」が personality(パーソナリティ)という単語の語義の 1 つとして「タレント」という訳を載せている。また、「研究社新編英和活用大辞典」では celebrity(セレブリティ)に「タレント」という訳語がある。日本語では「セレブ」と「タレント」の意味合いが大きく違うところがおもしろい。

それにしても、石原慎太郎さんや田中康夫さんのような作家までタレント政治家というのはやはり妙だと思う。作家は芸能人ではないし「テレビ・ラジオなどの職業的出演者」でもない。
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梅雨が明けていないというのに蒸し暑い日が続いている。最近は焼きナスや焼きピーマンをキンキンに冷やして食べるのにはまっている。たくさん買ってあったミョウガも焼いて細切りにしたら、えもいわずおいしかった。

これらはどれも少しかつお節をかけたりしてショウガ醤油で食べるのでショウガ醤油が余ることがある。そこで、ついでにちくわや油揚げなども、軽く焼いて食べている。ショウガがさっぱりしているので食欲がなくても食べられる。ごはんに冷たいお茶をかけて、こういったものを載せて食べると実にうまい。

そういえば、香港で中国人ふたりをうちに招いてお寿司をごちそうしたことがあるが、あたたかいものを食べないと食事をした気がしないといわれて評判が悪かった。中国料理はその場で炒めたり蒸したりしてあたたかいうちに食べるものが多い。いまでこそお寿司や刺身が中国で人気があると聞くが、もともとは日本の日の丸弁当のような冷たいごはんを食べる習慣がないらしく彼らは違和感を覚えたらしい。

それはまあ文化の違いに過ぎないが、自分としては、冷やした焼きナスや焼きピーマン、冷たいお茶漬けなどを食べると、ああ日本人でよかった、と思う。
no-single-point-of-failure ということばがある。略語は NSPOF である。わたしのもっている辞書でこの単語を収録しているものはなかった。現時点ではオンラインの英辞郎にも収録されていない。どういう意味かというと「機器が 1 つ壊れただけで全体が停止することがないようにシステムを組み立てること」である。

個人のパソコンは使用時に起動して用が済んだら停止するが、多くのひとの利用するコンピュータ システムは常に稼動状態(up and running)でなければならないことが多い。

しかし、機械というのは壊れることがある。どこかの部品が壊れたり機能が低下したりすることはありうる。それでシステム全体がすぐに停止してしまっては困る。そのため、構成部品を複数用意しておくという方法がある。本来は 1 つしか必要がなくても、わざと同じものを 2 つ使用するのである。こういった方法は二重化とか冗長化とかいわれている。英語では redundancy である。そして、このような構成によってシステムを停止しにくくしたものを no-single-point-of-failure というのだと思う。

いってみれば常にスペアを用意しておくということだから資源は必要以上に使うことになる。効率よりも安全性を重視しているわけだ。無在庫生産のカンバン方式とは逆方向の発想である。カンバン方式はすべて順調な状況なら効率がよいが、部品の供給元が 1 つ停止しただけで生産全体を停止しなければならない。

人間に肺や腎臓が 2 つあるのもこれと同じ理由だと聞いたことがある。本当かどうかは知らない。その割りには脳や肝臓は 1 つしかないが、それらは大きくて能力に余裕があるということか。


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西日本では梅雨が明けたといっているが関東では来月になるらしい。とはいっても、当たり前だが気象庁が「梅雨が明ける」というから梅雨が明けるわけでもない。

iGoogle に天気予報のガジェットを載せている。寝る前に見たときは翌日の天気予報は雨になっていて一週間先までずっと雨か曇りという予報だったのに、翌日起きるとなんと晴れている。ガジェットを見てみると当日の予報は快晴に変わっていて週間予報もほとんど晴れに変わっていた、なんてことはこれまでに何回もあった。下駄を蹴り上げたほうが当たるのではないかとさえ思ってしまう。

うちでは毎年梅干しを漬けているが、土用干しをするというときに天気予報が当たったことがない。梅干しの土用干しは 3 日か 4 日ぐらい晴天が続いてくれないと困るわけで週間予報を参考にするのだが、土用干しをした 3 日間のうち晴れた日は 1 日もなかったということもある。そんな天気でも、けっこう食べられる梅干しになるのだが。

天気予報が当たらないというのは、気象というのがそれだけ複雑だからなのだろう。人間のからだとか健康状態というのも、それに似ているのかなあという気がする。酒がからだに悪いといってもお酒ばかり飲んでいて天寿をまっとうしたように見えるひともいるし、健康法としてジョギングを提唱していたひとはジョギング中に心筋梗塞で死んでいる。

気象とか人間のからだのような複雑なシステムは人間の小さな脳でああしたからこうなるはずだなどと考えても当たるはずがないのだろう。そもそも、そうしなかったらどうなっていただろうかということを知ることは永遠にできない。

まあ、週間天気予報が完全に当たったり、自分がいつ死ぬかがあらかじめ完全にわかっていたりするのなら生きている甲斐がないか。
小学生のとき家の改装のためにうちに来ていた大工さんや設計士さんと毎日将棋を何局も指した。それが将棋を好きになったきっかけである。その設計士さんは将棋を指しながら

ははーん、ははん(母)の十三回忌

のような地口、口合をよく使っていた。

将棋は、ご隠居さんの打つ碁とは違って、熊さんと八つぁんの指す大衆的なゲームだから、むかしからこのような地口を言い合いながら縁台で気楽に指されて楽しまれていたのだと思う。おもしろいのでいろいろな地口を知りたいと思うが、その設計士さんがそのほかにどんな地口を言っていたのかほとんど忘れてしまった。残念だ。

全国区の地口には「その手は桑名の焼きはまぐり」「そうはイカのきんたま」とかいうのもある。東京では「うーん、そうか。草加、越谷、千住の先よ」というのもあるらしい。都内の将棋会所で聞いたことがあるような気がする。

将棋を指しているときにかぎっていえば「初王手、目のくすり」というのはよく耳にする。初王手は効果がないというような意味だろうか。「鼻くそ丸めて万金丹」のように「はつおうて」に似た発音のくすりでもあったのかなと思うが、どうなのかわからない。

これをお読みのかたで、こんなおもしろい地口もあるよ、というひとがいらっしゃったら、ぜひコメントでご紹介いただきたい。
コンピュータの電源を切ってすぐにまた入れるという操作をすることがあるが、そういう操作を power cycle という。わたしのパソコンに入れてある英辞郎にはなかったが、オンラインの英辞郎には収録されていた。おそらく最近収録されたのだろう。最初は jargon(専門語)だったのだろうが、現在は取扱説明書などでも使われている。

power cycle
《コ》電源スイッチを切ってすぐに入れなおすこと

コンピュータだけではなくプリンタやモデムなどの周辺装置でも使えると思う。コンピュータと関係のない家電製品や工作機械などでも使えるかどうかはわからない。

power cycle は「電源スイッチを切ってすぐに入れなおすこと」という名詞でも使えるし「電源スイッチを切ってすぐに入れなおす」という動詞としても使える。また、動詞としては cycle the power というのも同じ意味である。

似た意味の単語に rebootrestart がある。reboot には「再起動する」「再ブートする」「リブートする」などのいろいろな日本語訳がある。restart は「再起動する」としか訳せない。

よく知られていることだが、DOS、Windows 系のパソコンでは Ctrl キー、Alt キー、Delete キーを同時に連続して 2 回押すと再起動することができる。この操作を Vulcan nerve pinch というらしい。

Vulcan nerve pinch とは、スタートレックに出てくるバルカン人の特技で相手の首のつけねのあたりをつかむことで失神させる技のことである。ドラマでは、この技をかけられた相手が意識を失って床に崩れ落ちることになっている(どんな宇宙人でも同じ場所に急所があるというところが可笑しい)。それと同じように、この操作でパソコンが意識を失うということなのだろう。

追記:
なお、スタートレック オリジナル シリーズ(TOS)のデジタル リマスター版が先日の土曜深夜から NHK BS で放送されているので、ご興味あるかたはごらんになれる。また、スタートレックに関する英語については子守男さんがブログ「英語の海を泳ぐ」で詳しく解説なさっている。


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大賀蓮の写真1 大賀蓮の写真2 大賀蓮の写真3 大賀蓮の写真4

少し前に撮ってきた大賀ハスの写真である。

大賀ハスは、東京大学の大賀博士が約 2000 年前のハスの種から開花させたものだそうだ。

2000 年も前の種が発芽するいうことにちょっと驚くが、考えてみれば、それは長くても 100 年ほどしかない人間の意識の寿命を基準にしているからで、植物から見ればたいした年数ではないのかもしれない。

以前、「生きものは死なない」という生物学者の岡田節人さんのことばを何かで読んでびっくりした。たしかにこの大賀ハスのことを考えると、人間の意識なんて数十年で消えてしまうけれども生きものが子孫を残そうとする執着は尋常ではないし、生殖細胞はこのようにしてむかしから綿々と生き残り続けてこれまで途絶えたことがないのだなあと感じる。

意識を基準にして見るのではなく、細胞とか DNA といったものを基準にしていのちとか世界を見ている岡田先生のようなひともいるわけで、いろいろな見かた、考えかたがあるものだ。


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ずさんな中国製品のことが話題になっているが、わたしも被害にあったことがある。といっても食に関することではない。まあ、むかし香港に住んでいたことがあるので食に関することでも知らないうちに被害に遭っているかもしれないが。

香港で中国象棋を覚えた。マグネット盤を求めてふだんはそれを使っていたのだが、好事家としてはやはりちょっと高級な木製盤駒で指してみたくなった。そこで、中国系百貨店に行き木製の盤駒を買った。うちに帰って駒箱を開けてみると、なんと、本来あるべき駒が 1 枚足らず、代わりに別の駒が 1 枚多く入っていたのである。日本将棋でいえば角行が 1 枚と飛車が 3 枚だったようなものといえばわかりやすいだろうか。

「なんじゃこりゃ」とびっくりしたが、苦情を言っても無駄だろうなと勝手に考えてそのまま飾りとして部屋に置いておくことにした。それで中国象棋熱も冷めてしまった。

中国象棋(シャンチー)、西洋将棋(チェス)、日本将棋は世界の三大将棋だという。日本で言われていることなのでむりやり作ったんじゃないのという気もするが、競技人口の多さや専門棋士がいることなどを考えるとそれほど我田引水ないいかたでもないのかもしれない。世界には、タイのマークルック、朝鮮半島のチャンギといった将棋もあるらしいが、三大将棋ほどさかんではないようだ。

将棋は、インドのチャトランガというゲームが発祥だという。西洋に伝わったのが西洋将棋であり、東洋に伝わったのが中国象棋、朝鮮将棋、マークルック、日本将棋だといわれている。日本将棋の伝来については、おもしろいことに北伝説と南伝説があるようだ。

たんご屋は上記三大将棋のどれも指すことができるし指したことがあるが、どれがおもしろいかというとそれはもう圧倒的に日本将棋である。わたしが日本人だからということもあるかもしれないが、香港の中国人で日本将棋を覚えたひとも日本将棋のほうがダイナミックでおもしろいといっていた。それに、たんご屋は中国象棋がけっこう強い。自慢ではないが(いや自慢だが)、香港の中国人にほとんど負けたことがない。ルールを覚えてすぐに指したゲームに勝ったぐらいである。それでも、日本将棋のほうがおもしろいと思う。

島国日本らしく、日本将棋には、将棋類の中で唯一、相手の駒を利用できる(持ち駒)というルールがある。狭い国土の日本ではいくさの相手を根絶やしにするより捕虜にして自分の味方にしたほうがよいという考えが背景にあるのではないかといわれている。このルールのおかげで日本将棋は、終盤になればなるほど戦況が複雑になり、引き分けも少なく、最後の最後までダイナミックで逆転の可能性も多いという非常に優秀なゲームになっているようだ。


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ベルギーはムール貝が有名で、前菜としてバケツ 1 杯の茹でたムール貝が出てくる。現地の人は女性でもそのバケツ 1 杯の貝をぺろりとたいらげてしまう。最初の 1 つを食べたらその殻をつかみばさみとして次々と食べるのが正しい食べかただと聞いた。ベルギーで仕事をしたとき、現地に住んでいる日本人男性ふたりといっしょにあるレストランでそのバケツムール貝を食べた。

このカラスガイというやつは日本では食べないのかねえ
「いや、これはカラスガイではなくてムラサキイガイという貝ですよ。これとまったく同じではありませんがほとんど同じイガイという貝をわたしの実家では食べますよ。わたしも子どものころから食べています」
それはちがうよ、そんなのはムール貝じゃない

その人は顔を真っ赤にして怒った。その人がなぜ怒ったのか未だにわからない。自分の住んでいる国、ベルギーの名物料理をけなされたような気持ちになったのだろうか。わたしは別にけなしたつもりはなかったのだが。

イガイ(貽貝)はやや細長いほぼ真っ黒の貝で、養殖の牡蠣や桟橋などに真っ黒のかたまりになってくっついている。ベルギーで食べられているムール貝(ムラサキイガイ)の半分かそれ以下の大きさしかない。

たんご屋の郷里ではこれを「クロクチ」と呼んでおり、塩茹でにしたり味噌汁の具にして食べる。茹でたものを酢につけて食べることもある。味はムール貝と変わらない。

しかし、少なくともわたしの郷里では市場に出回るような食材ではない。食べるつもりなら食べられるし家庭料理として食べることもあるけど、それほどよく食べるものではないし、ごちそうというわけでもない。おからとかパンの耳に近い存在だろう。牡蠣ほどうまみが強くなく、ノロウィルスを媒介したり貝毒があったりすることがあるのも、あまり食べられない理由の 1 つかもしれない。

貽貝は英語で hard-shelled musselsea mussel、ムラサキイガイは blue mussel というらしい。日本語では「瀬戸貝」「東海美人」「淡菜」ともいうそうだ。「ニタリ貝」という名前もあるが、これは女性の身体の一部に似ていることから付いた名前である。

(以前別のブログに書いた記事を改変して再掲しました)
携帯電話端末の機種を変更した。端末機器の分割支払金額と割引金額が同じというふしぎな売りかたをしている商品を選んで実質的に無料で端末を替えることができた。

この機種変更のために自転車で販売店に向かっていたときに新潟県中越沖地震が起きたらしい。その前の新潟県中越地震のときは東京都下の将棋会所で将棋を指していてかなり長い横揺れを感じたのだが、今回は自転車に乗っていたからなのか揺れを感じなかった。

被災地に住む縁者がいるので心配したが、171 にも伝言が録音されておらず、けっきょく、公共の迷惑をかえりみず相手先の固定電話に電話することで無事を確認することができた。

携帯電話端末は災害のときに役立つと聞いている。通話やメールの送受信ができればそれに越したことはないが、仮に通話ができない状態でも手元の明かりとして利用することができる。どこかに埋もれてしまって自分の存在を外部に知らせたい場合には指先の操作だけでからだに負担をかけずに音を出すことができる。最近はテレビを見られる端末機器も多いだろう。

考えてみれば、携帯端末は写真を撮ったり音声や動画を記録したりすることもできる、身近だが高機能のガジェット(gadget)である。スタートレックの通信装置よりも機能が豊富なのかもしれない。まるで、わたしの子どものころに少年たちがあこがれたスパイ用具のようだ。

今回の機種変更で使わなくなった携帯端末は避難袋にでも入れておこうかなあと思った。
むかしコンピュータ技術者をやっていたので、大型/中型コンピュータを「立ち上げる(起動する)」という言いかたはよく聞いていたし自分でも使っていた。まったく違和感はない。英語では start (up) とか boot (up) などという。

しかし、この言いかたに違和感を覚えるというひとは多い。「立つ」は自動詞で「上げる」は他動詞だから複合語にするのはおかしいという。文法的に正しくするなら「立て上げる」「立たせ上げる」「立ち上がらせる」になるそうだ。

ふーん、そういうものなのかと思う反面、「立ち上げる」なんていうのはもともとコンピュータ技術者が現場で使っていた隠語なのだから文法的な正しさを求められても困るなあとも思う。

「日本語の乱れ」を嘆き、文法的な正しさや語源的な正しさを振りかざす権威主義的なひとは苦手である。権威主義的なひとというのは何も他人の誤用を指摘する側だけにいるのではない。誤用を指摘されたことで卑屈になって異常に恥ずかしがるのも同様に権威主義に毒されている。

わたしたちは学者の考えた文法に基づいて日本語をしゃべったり書いたりしているわけではない。日本語の根底にきっちりした正しい文法構造があるはずだと考えるのは話が逆になっていると思う。学問的にはどう考えられているのか知らないが、母語というのはだれもが自然に身につけて自然に使っているものであって、そのようにすでに世の中で自然に使われている言語の世界を学者が観察してなんとか見つけた規則らしきものが文法だとわたしは思っている。だから、決定的な文法なんていうものはなく、学者の数だけ文法が存在する。

現実に通用していることばと文法のどちらが本質かといえば現実に通用していることばにきまっている。規則なんて本当はないのかもしれないのだ。

だいたい、現代仮名遣いと常用漢字を使って文を書いている現代人が「本来の正しい日本語」ばかりを求めても詮なかろう。


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野球のイチロー選手が大リーグのオールスターゲームで MVP を獲得する大活躍をしたという。そのニュースをテレビで見ていたら、相手リーグチームの監督がイチローを称えて

He's an artist with that bat.

といった。そして、字幕だったか、少し遅れた吹き替えだったか忘れたが

彼は芸術的なバッターだ

と訳された。なぜ a bat でなくて that bat だったのかはわたしの英語力ではわからないので措いておくとして、an artist with that bat をふつうに訳すと「バットを持った芸術家」になる。それを「芸術的なバッター」と訳しているということは何かそういう成句でもあるのかなと思った。

ところが、ネットで検索してみると多くのニュースサイトは「バットを持った芸術家」と訳しているようである。「芸術的なバッター」と訳したメディアは少なかったようだ。

もう 1 つ、芸術家というとわたしは画家、彫刻家、音楽家などを連想する。新辞林でも「画家・音楽家・作家など芸術活動を行う人」と定義されている。この発言での artist はたぶんそうではなく、日本語の「アーチスト」、つまり、演奏者や演技者などを含むいわゆる芸人、performer に近い意味なのではなかろうか。だから、「バットを持ったアーチスト」のほうがよいのではないかと思った。

an artist with a bat を複数の翻訳サイトに訳させてみると「バットをもつアーティスト(Yahoo 翻訳)」「バットをもっている芸術家(Excite 翻訳)」などという訳がほとんどだった。しかし、ブラザー TransLand はなんと「バットの名人」と訳した。おお、idiomatic だ。なんとなくそれらしい。

あらためて artist をいろいろな辞書で引いて見てみると、Collins COBUILD English Dictionary に次のような定義と用例があった。

If you say that someone is an artist at a particular activity, you mean they are very skilled at it.
Jack is an outstanding barber, an artist with shears.

なるほど、これか。この用例は「ジャックはすばらしい理容師で、ハサミの名人である」と訳してもよいだろう。そしてそれは「芸術的な理容師」のことでもある。

そうすると、最初に戻って「芸術的なバッター」という訳は間違いだったのではなく、むしろうまい訳だったということか。


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漢字と英単語
performers
前回「ようつべ(YouTube)」「ほめぱげ(home page)」といった隠語は気恥ずかしくて使えないということを書いたが、「おあいそ(お勘定)」「あがり(お茶)」「しゃり(ごはん)」といった寿司屋の隠語、符丁も気恥ずかしくてわたしは使えない。

そういうことばを使っているひとを非難する意図はない。通じるのであれば使うのは自由だと思うが自分は使えないということだ。これは理屈ではなく感覚の問題なので自分でも一貫性が取れているわけではない。「ガリ(ショウガの甘酢漬け)」も符丁だといわれているが、この語はわたしも使う。

ガリって本当に符丁なのかなと思って広辞苑で引いてみたが、寿司屋の符丁だとは書かれていなかった。もちろん、本当のところはどうなのかわからない。

がり
(古く、大きなショウガをがりがりとかんで食したことからという) 握鮨・押鮨などで、口直しに添える薄切りにして熱湯に通し甘酢につけたショウガ。(広辞苑第四版)


寿司屋の符丁といえば「むらさき(醤油)」というのも有名だ。これは女房詞(にょうぼうことば)ではなかったか。女房詞についてはこのブログでこれまでもよく取り上げてきたが、むかし宮中の女官が使っていたことばで、これまた隠語である。たとえば、「おでん」「おこわ」「おかき」「しゃもじ」などはいまでも使われている。隠語でもこのくらい人口に膾炙すれば使うのが気恥ずかしいということはない。

ところが、「むらさき」を広辞苑で引いてみると「(女房詞) 鰯(いわし)。」とあった。あれれ、醤油のことじゃあなかったのか。


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ようつべ、ほめぱげ
美化語「お」と「ご」について
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動画共用サイトの YouTube(ユーチューブ)を「ようつべ」という言いかたがあるらしい。ローマ字で読んでいるのだ。似たようなのに home page(ホームページ)を意味する「ほめぱげ」というのもある。一種のことば遊びで、わかるひとにはわかるように表現した隠語なのだろう。

わたしはこういう隠語は嫌いというか恥ずかしくて使えないが、こういう隠語を使うひとたちは逆に「ユーチューブ」「ホームページ」といったまっすぐな言いかたのほうが恥ずかしいのだと思う。

そういえば、知り合いの 70 代の男性はアメリカン スクールで英語を教えていたとかいうひとだが、ホームページのことをいつも「エイチ・ピー」という。そのたびに
「そりゃどう聞いても Hewlett-Packard(ヒューレット・パッカード)社のことやがな」
と密かに思う。そんなに英語のできるひとがなぜそう言うのか未だによくわからない。

ちなみに、日本語の「ホームページ」ということばが和製英語かどうかはという話はややこしいのだが、少なくとも日本語でふつうに使うホームページということばの意味と英語の home page ということばの意味は異なるようだ。もともとは英語の home page はブラウザを起動したときに最初に表示されるページのことらしい。日本語の「ホームページ」に当たる英語は web page(Web ページ)か web site(Web サイト)である。


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メールマガジンは mail magazine ではない
前回、ぐうたらぅさんから「バスがいる」と言うかどうかとのコメントをいただいた。ぐうたらぅさんは言わないとお考えとのことだが、わたしは言う。たとえば、駅の前から電話で道を聞いてきた友人に

白いバスがいたらそれに乗ってください。

と伝えることがある。

白いバスがあったらそれに乗ってください。

とはわたしは言わない。

前回ご紹介した番組「NHK知るを楽しむ - この人この世界 日本語のカタチとココロ」の第6回「『ある』と『いる』にはルールがある」では、表題のとおり「ある」「いる」の使い分けについても論じられていた。

「クマのぬいぐるみがある」というのに「ぬいぐるみのクマがいる」というのはなぜか。金田一秀穂さんは、「心をもった存在と感じられるかどうかが、『ある』と『いる』を分ける判断の基準だろう」とおっしゃっている。

何を「心をもった存在」と感じるかはひとによって違うから、特定のものに「ある」を使うか「いる」を使うかは個人によって異なるし、どういう感じかたが正しいということはもちろんない。バスに関しては、ぐうたらぅさんは心のない存在、わたしは心のある存在と感じているようだ。

一般に子どもはおとなより共感しやすいだろうから、たとえば、海に潜ってウニをみつけたとしたら「あ、ウニがいた」ということが多いだろうと思う。おとななら「あ、ウニがあった」というひとも半分くらいはいそうだ。

追記:
「ウニがいた」か「ウニがあった」かは、単に子どもとおとなの違いというわけではなく、海に棲む生物としてウニを純粋に見るか、獲物として見るかという違いもあるのかもしれない。子どもでも漁で海に潜る場合は「ウニがあった」というだろう。


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故芦屋雁之助さんは「わて雁之助だす」と言っていた。また、人気番組「探偵!ナイトスクープ」の司会をしていた上岡龍太郎さんは「わたし局長の上岡龍太郎です」と言っていた。

「わて雁之助だす」と「わて雁之助だす」は、どのように意味が違うのだろう。

今週月曜日に放送された「NHK知るを楽しむ」の「この人この世界 日本語のカタチとココロ」第6回「『ある』と『いる』にはルールがある」では、金田一秀穂さんが「は」と「が」の違いについて取り上げていた。秀穂先生によれば、「『が』には必ず大切な言葉が前に来るというルールがある」「『は』は、大切な言葉が必ず後ろに来る」そうである。

「私は金田一です」と「私が金田一です」はどう違うか、というのも同じことです。「私は金田一です」と言うときには「私は誰なのか」、つまり「金田一」が重要な言葉になります。ですから「は」の後ろに「金田一」が来て、旧情報である「私」が前に来ます。
一方、「誰が金田一か」の答えである「私が金田一です」では、「が」の前に大切な言葉である「私」が来ます。このときの「金田一」は旧情報、つまりすでに知られていることなので、「が」の後ろに来るのです。
(「日本語のカタチとココロ」テキスト p.100 より)

つまり、「わてが雁之助だす」は、Who is Gannosuke? の回答である I am (Gannosuke). に対応し、「わては雁之助だす」は、Who are you? の回答である (I am) Gannosuke. に対応するのだなと理解した。

古い話だが、スポーツニュースの見出しに「安藤美姫が初優勝、浅田は銀」というものがあって、この「が」と「は」はどう使い分けられているのかいうことを日本語学習者の ゆ さんが書いていらっしゃった。

秀穂先生の説明にならえば、「安藤美姫初優勝」というのは Who won the championship? の回答としての Ando did. に対応する表現であり、「浅田銀」というのは How was Asada? の回答としての (She won) the second place. に対応する表現だと考えられる。

追記:
もちろん雁之助さんや上岡さんの「が」の使いかたは本来の使いかたではない。自己紹介のとき、相手は自分の顔はわかっているが自分の名前は知らないのだから「は」を使うのがふつうである。彼らは、わざと違和感のある言いかたをすることで諧謔味を出しているのだろうと思う。


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COBOL というプログラミング言語がある。わたしが社会人になって最初に覚えたプログラミング言語である。

プログラミング言語とは、簡単にいえば、人間がコンピュータに命令するために作られた人工言語だ。コンピュータは本来 0 と 1 の組み合わせしか理解できないのだが、人間は 0 と 1 の組み合わせを理解できない。そこで、まず、人間でも覚えられる言語で命令を書く。これをソースコード(source code)という。そして、コンパイラ(compiler)というソフトウェアで 0 と 1 の組み合わせに翻訳してやる。そうしてできたものがオブジェクト(object)、目的プログラムなどといわれる、いわゆるプログラムである。こういう手順を経て人間はコンピュータに命令しているのである。

田原総一朗さんが「年金問題はコンピュータの問題」といったことを書いていらっしゃる。社保庁のシステムで使っているのが非常に古い言語の COBOL だから年金問題が起きたという。

単なる勘違いなのか、何か意図があるのかわからないが、問題をすり替えているようにわたしには思える。COBOL はたしかに古い言語であり、ゲームやグラフィックなどのプログラムを書くことはむずかしい。しかし、年金のような大量データの事務処理にはむしろむいているはずなのである。もともとそういう目的に特化したプログラム言語なのだ。問題があるとすれば、コンピュータが古くて拡張や移行がむずかしい、コストがかかるということなのだろう。


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政治のことにはたいして知識も興味もないけれども、なぜ安倍さんは閣僚をとりあえずかばおうとするのだろうと思う。仲間をかばうのが美しい国にふさわしい美しい風習ということなのだろうか。

一般企業で役員のだれかに不祥事の疑惑が浮かんだとしても会社の代表はその役員をただかばうことばかり考えたりはしないと思う。同じ役員とはいえしょせんは他人だ。自分の知り得ない不祥事を起こすこともあるだろう。せいぜい「厳正に調査して適切に対応する」とでもいうのではないか。

では親族だったらどうか。自分の子どもや親兄弟に不祥事の疑惑が浮かんだとしても無条件でとりあえずかばうということはやはりしないと思う。「そういうことはないと信じている」とくらいはいうかもしれないが、本当に何かしでかしたということが明らかになれば本人以上に恐縮するだろう。

とりあえずかばおうとするのはあまり美しいことだとは思えない。泣いて馬謖を斬った中国の孔明のほうがはるかに美しいと思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?(© きっこ)


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大人のための文章教室」という本をご紹介する。小説家の清水義範さんによる文章の手引き書である。とても読みやすい。通勤の一往復で読めるだろう。清水さんの本は小説でもエッセイでもたいてい読みやすい。あまりにすらすらと読めてしまうだけに頭に残りにくいくらいだ。

前半は、ワープロと手書きの問題、接続詞の使い方、句読点の使い方、「ですます調」と「である調」の使い分け、口語的な文の効果的な使い方といった、まさに「文章教室」といった内容が書いてある。中ほどからは、マネをしてはいけない文章、手紙の書き方、紀行文の書き方、随筆の書き方といった、ハウツー本のような内容になっている。

1 つの文章は 1 つの主題にしぼって書けという指南がためになった。このブログのようなとりとめのない文章を書いていると、これも書こう、あれも書こうと欲が出て、まとまりのない冗長な文章になってしまうことがわたしには多い。自戒しようと思う。

(以前別のブログに書いた記事を改変して再掲しました)
妻の実家に行ったときのこと。義兄がスポーツを好きでサッカーのヤマザキナビスコカップの決勝のテレビ中継を見ていた。サッカーには興味がないが他にやることもないし、いっしょにその番組をぼおっと見ていた。すると、義母がぽつりと次のように言った。

なんでサポーターなんていうのだろうね。応援でいいのに
そうですね、そういえば『ヤマザキナビスコカップ』っていうのも変ですね。なんで『ヤマザキナビスコ杯』といわないんでしょうね
そうだよ、『ナビスコ』だってさ …
いやあ、『ヤマザキナビスコ』は会社名だからしかたないですよ。日本語にはできません

義母のいうとおりである。「サポーター」ということばはわたしもきらいだ。むかし少しだけバレーボールをやっていたのでサポーターといわれると足を保護する帯のことをいまでも連想する。

サポーターという言いかたがよく使われるようになったのは、日本にJリーグができてサッカー人気が高まりつつあったころだと思う。それまではプロ野球が日本の人気スポーツだったが、巨人軍のファンとか阪神のファンのように「ファン」というのがふつうだった。あるいは相撲の「贔屓筋(ひいきすじ)」とか「谷町(たにまち)」ということばもある。

「サポーター」と「ファン」に何か違う意味があるのかどうか知らないが、もし同じ意味だとしたら、むかしのように「ファン」ということばを使えば高齢者にも違和感がないのにと思う。

なお、「ファン(fan)」を「楽しみ」という意味の fun と混同しているひとがいるが、fan は英語の fanatic からできたことば(和製英語ではない)で、fun とはとくに関係がない。

(以前別のブログに書いた記事を改変して再掲しました)
個人情報が流出する可能性のあるというソフトウェアを厚生労働省が半年間ほど配布し続けていたらしい。脆弱性があることに気づいたのは先月の 26 日だそうだが対応したのはけさの未明とのこと。気づいてからも「利用者に迷惑をかける」(!)という理由で 10 日間ほど放置していた。

参考:東京新聞の記事

うーむ、すばらしく意識の低いお話である。問題のソフトウェアは Sun Microsystems 社の JRE だとのことだが、このお役所のシステム部門と Sun Microsystems 社とはどういうふうに情報をやり取りしていたのだろう。わたしのもっているソフトウェア、たとえば SDL Trados 2006 Freelance の製造業者は修正プログラムが発表されると電子メールで連絡をくれる。一個人事業主でさえそうなのだからお役所相手ならたいていの企業がそれくらいの連絡をしてくれると思うのだが。

最近、年金記録漏れ、未統合が問題になったことで、多くのひとが不安になって自分の年金保険料支払い記録を確認しているという。インターネットでも確認できるそうだし、「ねんきんあんしんダイヤル」という通話料金着払い電話サービスによる相談窓口も用意されている。

たんご屋は 2 回転職をしているし住所もかなり頻繁に変わっている。海外に住んでいたこともある。何らかの記録漏れ、統合漏れがあってもふしぎではない。しかし、いま確認しようという気にはならない。

「ねんきんあんしんダイヤル」ではにわかに多くのアルバイトを募って対応させているというではないか。アルバイトという職種を蔑視するわけではないが重要な個人情報に関する相談なのだからせめて正規職員に対応してもらいたい。社会保険庁の正規職員を信用できるとはもう思っていないが、それでも対応してくれるひとが正規職員であれば何かあったときに責任を追及しようという気にもなる。一時雇いのアルバイトなら文句をいってもしようがないではないか。


関連記事:
「自主」返納を「求める」
foolproof と社会保険庁
ある翻訳学校が入学前の生徒のレベルを確認するために受けさせているテストに次のような日英翻訳の問題があった(実際の問題そのものではなく主旨を変えない程度に変更した)。

当社製品の耐熱性は、他社のそれよりもすぐれている。

そして、模範訳として次の 2 つの文が紹介されている。

The heat resistance of our product is superior to that of others.
Out product is better than others in (terms of) heat resistance.


うーん、この模範訳はどうなのだろう。たしかに間違いではないのだろうが、何だか機械翻訳のようでもある。この問題文を右コラムの「その他リンク」にある Cross Translation のサイトで複数の翻訳サイトに翻訳させてみたところ、この模範訳とよく似た訳をはき出したものがあった。

The heat resistance of the products of our company is superior to that of the other company.
Livedoor 翻訳


私見だが、こういうのは元の日本語が悪い。元の日本語を(頭の中で)わかりやすく変えてから訳すとよいと思う。つまり、この問題文なら次のように変える。

当社製品は他社のものより耐熱性が大きい。

そうすると次のようなすっきりした訳文になる。

Our product has greater heat resistance than others.



翻訳についての主な過去記事:
additional を訳す
additional を訳す(2)
古い話だが、社会保険庁長官が全職員に夏期賞与の自主返納を求めたというニュースがあった。「自主」返納を「求める」というのが、どういうことなのかよくわからない。

この件に関しては返納を命令することはできないとかいろいろなこともあるのだろうが、一般論としてわたしは自主的な行為を装った半強制はきらいだ。自主的というのなら完全に自主的に、強制するのなら強制にしてほしい。そうでないと責任の所在がわからなくなる。まあ、
「おまえが返納しろといったんじゃないか」
「自主的に返納したんだろ」
といったことにはならないのだろうが。

これまた古い話だが、大学で「ボランティア活動を義務化」する考えもあるとかいうことを安倍当時官房長官がいったという話もある。国家が国民に強制的な労働を科すのなら、むかし「役す」といっていた「使役」と同じだろう。それのどこが「ボランティア(volunteer)」なのか、安倍さんの日本語は本当にむずかしい。


関連記事:
安倍首相と「親切」ということば
子育てフレンドリー
日本テレビ系列で日曜の深夜(月曜の朝)に放送している「NNN ドキュメント’07」というドキュメンタリ番組を録画して週日に見ている。今週放送された北海道夕張市破産についての放送回をさきほど見ていたら、ナレーションが

炭坑はなやかりし(華やかりし)頃…

といったので、あれ、と思った。こうやって文字に書いてみると一見正しいようにも見えるが、声に出して読んでみれば、おかしいなと感じるだろう。

ふつうは「はなやかなりし(華やかなりし)頃」という。形容動詞「華やかなり」に過去を表す助動詞「き」の連体形「し」がくっついている、という説明がわたしにはもっともすんなり納得できる。しかし、形容動詞という品詞はないという考えで名詞「華やか」に助動詞「なり」、さらに助動詞「き」の連体形「し」がくっついているというひともいるかもしれない。いずれにせよ、「はなやかりし(華やかりし)」という表現は文法から判断すれば正しくないと思う。

ところが、Google で検索してみると意外なことがわかった。誤用と思われる「はなやかりし(華やかりし)」が約 1,490 件もあり、正しいと思われる「はなやかなりし(華やかなりし)」は約 617 件しかなかったのである。そして、やはり誤用と思われる「はなやかかりし(華やかかりし)」という表現が約 2,950 件もあり、これがいちばん多かった。

これはいったいどういうことだろう。「若かりし頃」の「かりし」の影響でこのこのような言いかたが広まったのか。それとも、わたしがまるっきり勘違いしているのか。何かご存じのかたがいらっしゃったら、ぜひご教示いただきたい。

追記:
「若かりし頃」というのだから「華やかりし頃」でいいんじゃん、というひともいるような気がしてきたので、なぜわたしが「華やかりし頃」を変だと思うかをもう少し説明してみる。
「かり」は形容詞、あるいは助動詞の連用形に「あり」がくっついてできたかたちだという(広辞苑 第四版)。つまり「若かりし頃」を分解すると「若く+あり+し+頃」である。その伝でいけば「華やかりし頃」は「華やく+あり+し+頃」に分解されることになるが、「華やく」つまり「華やい」という形容詞はないので、この言いかたはおかしいと思うわけだ。
このことは、別の形容動詞、たとえば「静かなり」などで考えればわかりやすい。仮に「華やかなり」が「華やかりし頃」になるというのなら、「静かなり」は「静かりし頃」といってもよいということになる。しかし、実際には「静かりし頃」というひとはいないだろう。ふつうは「静かなりし頃」である。
大学の同窓に仲のよい米国人留学生がいた。彼はもともと chess(西洋将棋)の好きなひとで日本将棋にも興味をもち、日本将棋連盟の主催する外国人将棋大会にも出たことがある。わたしはそのころから日本将棋を趣味としており、それが縁で親しくなった。東京千駄ヶ谷の将棋会館やデパートの将棋まつりによくいっしょに行ったものである。

考えてみれば彼と日本将棋を指したことはないのだが、将棋会館の近くにあった「白馬」という喫茶店でチェスを指したことはある。かなり手を抜いてくれたが最後はきれいに負かされた。

彼は日本語が堪能で、わたしとの会話は常に日本語だった。あるとき、中央線の駅のホームで
「どうしたら君みたいに外国語を上手にしゃべれるようになるの」
と聞いたことがある。

彼はしばらく考えていたが、次のように言った。
あのね、テレビとか見ていて○○ということばが出てきたとするでしょう。そうしたら、そのことばのことをずっと考えているのですよ。○○ってなんだろう、とずっと何日も気にするんですよ
○○の部分は何か具体的なことばを言ったのだが何だったかは忘れてしまった。

彼の言ったことはわかる気がする。わたしも数少ないがそういうふうに覚えた英語表現があったと思う。とてもふしぎなことに、そのように気にしていると数日のうちにまたその英語表現に出会うものなのである。そうして、ああ、そういう意味なのか、とわかる。そういうふうに覚えた英語表現はなかなか忘れないような気がする。

これは、子どもが母語の語彙を増やしていく過程と似ているのかもしれない。子どもは辞書や単語集で母語を学習するわけではない。母親や近所のおじさんが言ったことばを「あれはどういう意味だろう」とずっと気にしていて、どこかでそのことばをまた聞いたりすることで意味を理解して自分でも使えるようになるということはよくあることだろうし、自然な覚えかたのような気がする。
以前書いた「こだわり」という語についての記事で、「こだわり」の英語表現としてのらさんから picky子守男さんから selectivechoicest という単語をご教示いただいた。これらの単語についてまとめてみる。

「こだわり」は prejudice という訳語を載せている辞書もあるように嗜好や態度に偏りがあるということだろう。それは、「好き嫌いが強い」「偏見をもっている」「こうるさい」と否定的に評価される場合もあるし「信念がある」「審美眼がある」「安易に妥協しない」と肯定的に評価されることもある。

picky という単語は前者の意味で使われることが多いようである。

Don't be so picky [Don't be so fussy], or you won't grow up big and strong!
好き嫌いを言っては駄目。なんでも食べないと大きくなれないよ。
(英辞郎より)


selective
は、ものを形容して「えり抜きの」という意味がある。最初は、子守男さんはその意味のことをおっしゃっているのかとわたしは思った。たとえば、実務翻訳では次のような表現をみることがたまにある。

a selective line of data backup solutions
厳選されたデータ バックアップ ソリューション系列
(拙訳)

しかし、ひとを形容すると「選択能力を持つ」「目の肥えた」という意味になるらしい。

She was selective when it came to shopping for clothes.
彼女は服を買うことに関しては目が肥えていた
(英辞郎より)


choicest
は、「最高級の」「特選」という意味だそうで、「こだわりの宿」のような表現に使えそうである。choose の派生語で picky や selective と似た意味の単語には choosy がある。

これらは pick、select、choose といった選択関係の単語の派生語だと思うが、それ以外に particular という単語があるようだ。

He is somewhat particular about his food.
食べるものについては少しばかりうるさい
(研究社 新編英和活用大辞典より)

particular は辞書の定義を見るかぎり性質を中立的に叙述する形容詞のようで、否定的に評価するときと肯定的に評価するときのどちらでも使用できるようである。


関連記事:
「こだわり」にこだわる
「こだわり」にさらにこだわる(obsessed with)
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