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「超」文章法
野口悠紀雄 中央公論新社 2002年10月

「『超』整理法」の野口先生による文章読本。前半の三分の二ぐらいは、なぜ文章を書くのか、どのような構成や技法で書けばよいのかといった、文章の種を見つけてふくらませる方法を中心に書かれている。後半は、主部と述部の組み合わせかた、修飾語と被修飾語の並べかた、読点の打ち方など、具体的な作文技術になっている。

後半部分は、本多勝一「日本語の作文技術」など類似の本に書いてあることとあまり変わらないが、最も力を入れて書かれていると思われる前半部分は野口先生独自の発想法の紹介になってとてもおもしろい。著者の書いているとおり、従来の文章読本で論じられてこなかった点だと思う。

ただ、発想法についての新書は読んでいるときはおもしろいしすぐにでも役に立ちそうな気がするのに、現実に応用しようとするとなかなかうまくいかないことが多い。『発想法』のKJ法や『知的生産の技術』の京大式カードなどもそうだったが、考えてみれば、野口先生の「『超』整理法」もそんな本だった。

とはいうものの、第1章(「メッセージこそ重要だ」)に、論説文が成功するかどうかは「見たまま感じたまま」を書くのではなく「書きたくてたまらないもの」「盗まれたら怒り狂うもの」を書くかどうかで決まる、とあって、これは自分がブログを書く上でとても参考になると思った。ブログを書いていて最近思うのは、ためになりおもしろい話の種を見つけるのはとてもむずかしい、ということだ。まだ日本であまりブログが流行っていなかった 2002 年に、そのことに焦点を当てた本を書かれたのはさすがの先見の明だと思う。


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NHK BS で放送している米国の SF ドラマ「スタートレック」のデジタル・リマスター版を見ている。

先週放送していたのは邦題「単細胞物体との衝突」という回で、主人公たちの宇宙船が宇宙に浮かぶ超巨大な生物に出くわしてひどい目に遭うというお話だった。

その生物はアメーバのような単細胞生物という設定なのに、なぜか、吹き替えではその生物のことを主人公たちは「ウイルス」に例えていた。誤訳かなと思ってその部分の副音声を聞いてみたら、英語でも virus (バイラス)と言っていた。

単細胞生物なのだから、ウイルスではなくてバクテリア(bacteria、細菌)に例えればよかったと思う。番組では、その生物が銀河系にとってまるで病原体のような脅威になるという理由でウイルスに例えたのだろう。たしかに風邪や AIDS の原因はウイルスだが、結核やコレラの原因はバクテリアだ。バクテリアに例えてもおかしいことはない。だいいち、ウイルスは生物ではない。


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「舌ざわりがいい」と発言したテレビ番組の出演者をその番組の司会者がそう叱りつけている場面を見たことがある。その司会者は「『舌ざわり』は『舌障り』だ。まったく、ちかごろの若いモンはなっとらん」と思ったのだろう。それを見て一瞬「あれ、そうだったっけ」と思ったものの、なんとなく納得してしまった。

しかし、改めて考えてみると「舌ざわり(触り)がいい」といういいかたはやはりある。むしろ「舌障り」という言葉のほうが存在しない。これでは逆に「ちかごろの年寄りは若者のいうことはなんでも間違っていると思ってやがる」といわれてもしかたがない。

最近、「耳ざわりがよい」という言いかたをよく聞く。別に気にならないというひとも多いと思うが、わたしには、どうも「耳障り」である。

広辞苑を見てみると、「障り」を使う言葉には、耳障り、目障り、気障り、心障り、当たり障り、差し障り、月の障り、雨障り、故障り(ゆえさわり)などがあり、「触り」のほうには肌触り、口触り、舌触り、手触り、指触り、畳触りなどがある。

おもしろいのは足で、「足触り」と「足障り」の両方がある。わたしはどちらもあまり聞いたことがない。「足触りのよい靴下」とか「どうもゴミ箱が足障りだ」とかいうのだろうか。

その「足障り」を Google で検索してみると、次のように「足触り」のことだと思われる使われかたのほうが多かった。なぜだろう。

「足障りが良い」
「足障りが柔らか」
「敷き詰めたる絨氈は毛深くして足障り悪しからず」
「足障りが心地よく」
「足障りは快適」

(以前別のブログに書いた記事を改変して再掲しました)
魚のアンコウについて調べるテレビ番組を見ていたら
「ここはアンコウのギョばですか」
というような台詞があった。

ああ「漁場」のことかとその場で理解したが、わたしの感覚では「漁場」は「ギョジョウ」か「りょうば」である。「ギョば」という言いかたはあるのだろうか。そう思ったので辞書で調べてみた。

ぎょば【漁場】⇒ぎょじょう(漁場)
(新辞林)
ぎょ‐ば【漁場】⇒ぎょじょう
(広辞苑第四版)

ということで、「ギョば」という言いかたはあるが、ギョジョウのほうがふつうの言いかたらしいということがわかった。

しかし、たとえば、「コウジョウ(「工場)」より「コウば(「工場)」、「シジョウ(市場)」より「いちば(市場)」のほうが小規模な印象があるので、「ギョば」は「ギョジョウ」よりも小さな区域を指しているような感じがする。

演歌では「りょうば(漁場)」という。だから、これがいちばんふつうなのかと思っていた。

しかし、辞書では

りょうば【漁場】魚・貝などをとる所。ぎょじょう。
(新辞林)
りょう‐ば【猟場】(1)狩猟する所。かりば。(2)魚や貝をとる所。漁場。
(広辞苑第四版)

ということになっている。

本来は「漁」という字に「りょう」という読みかたがないということは知っていたが、広辞苑で「りょうば(漁場)」を見出しにもしていないのにはおどろいた。

ところで、漢字原によれば、「漁」を日本語で俗に「りょう」と読むのは「猟」と混同したからだという。そうすると、「漁師」ということばよりも「猟師」ということばのほうが歴史が古いのだろうか。

上方落語の「池田の猪買い」では、狩人のことを「ヤマリョウシ」と呼んでいる。わざわざ「ヤマ」をつけているのは、「漁師」とはっきり区別するためだろう。ということは、「漁師」のほうが「猟師」よりも古いような気もする。

文献も何も調べずに勝手な推測すると、もともと狩人のことを「リョウシ(猟師)」と呼んでいたのが、肉食を禁じられていた時代に「いさりびと(漁人)」のことを「リョウシ」と呼ぶようになり、むしろそちらのほうがふつうになって逆に狩人のことを「ヤマリョウシ」というようになったということかもしれない。
厚生労働省がねんきん特別便を再送するとかいっている。最初に送ったものがわかりにくかったのだそうだ。

わたしも昨年末自分の納付記録を送ってもらった。大型汎用コンピュータの出力をそのまま送ってきたようなもので非常にわかりにくかった。それと同じようなものを今回も送ったのだろう。わたしはかつて汎用コンピュータの仕事をしていたので「こういう意味だろうな」となんとなく理解できたが、コンピュータの仕事などしたこともない高齢者が受け取ったら意味を理解するのはむずかしいと思う。

社保庁が最初からわかりやすい手紙を送らなかったのは、あまりいろいろな情報を載せると受け取った側が不正な申請をするのではないかと危惧があったと聞く。社保庁なんて大きな組織でも、個人の心理のしくみと何ら変わらない動機で仕事をしているのかなという気がしてとてもおもしろいと思った。

自分は不正など絶対にしないと思っているひとは、当然他人も不正などしないと考えるだろう。わたしもそういうほうの人間なので、ほとんどのひとは不正などしないと考えるし、例外的にそういうひとがいたとしても、それは詐欺犯としていずれ裁かれればそれでよいと考える。今回の場合は、それはやむをえない行政のロスだと思う。そういうひとがしかるべく裁かれないことがあったとしても、それは行政の問題ではなくて司直の問題だろう。

しかし、自分が不正をしているひと、あるいは機会があれば不正をしようと思っているひとは他人も当然そうだろうと考えてしまう。社保庁の危惧はまさにそういうことではないのか。国民のお金をさんざん食いものにした社会保険庁ならばこそ、国民も自分たちと同じレベルだろうと想定してしまうのだと私は考える。心根が卑しいのである。


論理思考を鍛える英文ライティング
富岡竜明 研究社 2003年10月

英作文をするときに日本語で下書きをしてから英語に訳すというひとはいないと思う。しかし、日本語母語話者は常に日本語で考えているはずだから、はっきりと意識していなくても、まず日本語的な発想で考えてからそれを英語で表現しているわけで、その結果、日本語的英語を書いてしまうことは多いだろう。

この本は、まず、日本語的発想の日本文を示し、どこが日本語的発想なのかを指摘し、英語にしやすい日本文に修正し、問題のある英文例を添削し、最後に模範訳を示している。英作文指南書なのに日本文の修正が中心的な作業になっているところがおもしろい。上で書いたような頭の中での無意識の作業を意識化させてくれる本だ。

論理性というのは突き詰めて言えば、文章の中の要素間の関係のあり方」という指摘はなるほどと思った。それがくずれると、論理の飛躍や類似表現のくり返し、脈絡のない話題の転換などが生じる。

また、系統だってはいないが、something と what の関係は不定冠詞 a (an)と定冠詞 the の関係に似たものがあるとか、「われわれ」は we ではなく you または one であるとかいった、ふつうの本には載っていないような、英語を書く上での具体的な技術も随所に盛り込まれていて参考になった。

技術英文の正しい書き方
佐藤洋一 オーム社 2003年07月発売

最初にさっと読んだときは「なんだ、そんなことわかってるよ」と思ってしまったが、じっくりと読みなおすと高度なことがわかりやすく簡潔にまとめられている良書だと思うようになった。

最初の「基本編」は 17 ページほどだが、学習方法、手順、上達するためのコツ、冠詞、前置詞についての考えかたが書かれていてとても参考になる。次の「応用実践編」は、テーマごとに見開きで基本例文、好ましくない英文例、正しい英文、解説、キーポイントという構成になっている。

最初に書いたように、ただ読むだけだと頭の中をさっと通り過ぎてしまってもったいない。実際に自分で基本例文をノートに訳してみると、著者の示す模範訳例と自分の訳との違いがよくわかるし、解説の意味もよく理解できる。やはり、何でも実際にやってみるということは大切だと思った。

最後のほうに「技術英文で使用される基本ボキャブラリ」という付録もついている。技術英文に特化した解説になっていておもしろい。たとえば、「a(an)」の項は次のようになっている。

a(an)
1 一つの
2 (条件的ニュアンス、存在が不確定)もし~ならば、~の場合
3 何らかの(弱い any のニュアンス)
4 いわゆる、いわば
5 一種の

たくさん英文を読めば、a(an)が上記それぞれの意味で使われることがあるということは自然に身につくだろう。また、通常の辞書でも、大きな辞書を丹念に読めばこれと同じようなことは書いてあるだろう。しかし、それらの方法ではあまりに手間がかかる。この本のように、要点をまとめてくれていると効率的な学習に役立つと思う。
わかりやすいマニュアルを作る文章・用字用語ハンドブック改訂新装版
著者: テクニカルコミュニケーション研究会
出版社: 日経BP出版センター

マニュアルや技術文書を書く仕事をテクニカル・ライティング、書くひとをテクニカル・ライターという。

わかりやすくて間違いのない文章を書くのは本当にむずかしい。わたしはフリーランスの翻訳者をやる前はマニュアル製作会社に勤めていたが、マニュアルの原稿を何度書き直してもそのたびに朱を入れられて書き直しを命じられた。おかげで文章を意地悪く読むくせがついた。この本の誤植を見つけてしまったぐらいだ。

米国などではテクニカル・ライターは立派な専門職として認知されていると聞くが、日本ではテクニカル・ライティングにそれなりの技術、知識、経験が必要だと思っているひとはあまり多くないと思う。どちらかというと、文章なんてだれでも書けると思われている。

わたしだって、前の職場で自分の原稿に朱を入れられるたびに「そんな細かいこと、だれが気にするんだよ」と腹を立てながら直していた。いまでも下手な文章しか書けないけれど、文章を書くには高い技術と注意力が要るということは認識するようになった。

この本には、テクニカル・ライティングで気をつけること、知っておくべきことなどが懇切丁寧に解説されている。一般的な文章作法の本とはちがって非常に具体的で実践的な内容なので、すぐに役に立ちそうだ。

それなりの価格なのでどなたにもおすすめできるというわけではないが、ことばに興味のあるひとなら読みものとしてもおもしろいだろう。テクニカル・ライターや技術翻訳者だけでなく、ふつうのひとが社内文書やサークルの案内など、他人が読む文書を書くときにも参考になると思う。

テレビで、ある政治家が自党の主張する年金制度を説明するときに

「これは収入が増えるにしたがってザンジ減らしていきます」

というようなことをいっていた。

おそらく、その政治家の言いたかったのは「漸次(ゼンジ)」だろう。「漸次」の漸は「ようやく(漸く)」という文字で、gradually、つまり、「少しずつ、だんだんと」というような意味である。

「ザンジ」なら、「暫時」という語はある。これは、少しの間、という意味だ。
裸祭りポスター:JR東が「待った」…女性が不快感

「ことば狩り」の写真版なのかなあという気がする。つまり、「写真狩り」。

若いころ、下宿の部屋にプロレスラーのポスターを貼っていたことがある。同じ下宿に住んでいた米国人男性がそれを見て ugly といったので「へえ、そういう感じかたもあるのか」とふしぎに思った。「かっこいい」としか思っていなかった。もっとも、プロレスラーは見た目の「醜さ」を売りにしていることも多いわけで、わたしが鈍感すぎるのかもしれない。

記事のポスターもわたしにはまったく不快でない。裸祭りのポスターが裸の写真になるのは当たり前だ。それをセクハラというのなら、プロレスや相撲のポスターもセクハラだろう。

女性でもボクシングの亀田選手の裸の写真を机の前に貼っているようなひとはいるだろうし、ビーチバレーの浅尾選手の水着のポスターを貼っている男性もいるだろう。そういうのもセクハラなのだろうか。個人的には、祭りの参加者やスポーツ選手を性的な視線で見るのはよほど不純なものの見方をするひとだと思う。

むかしは列車の中など公衆の前で女性が胸をはだけて赤ん坊にお乳をやっていることはよくあった。わたしも子どものころにそういう光景を何度も見たことがある。いまなら、それもセクハラになるのだろうか。
年末の深夜に、刑事ドラマ「相棒」という番組の再放送で「クイズ王」という回を見た。

主人公の刑事たちは一連のクイズに答えないと不特定のだれかを殺すと電話で恐喝されてクイズに答えていくが、けっきょく答えきれずにある男性が殺されるという話だった。そのあと、主人公たちはクイズに正解できなかったことを仲間の刑事たちに責められて責任問題になりそうになる。

見ていて、「えっ、なんで」と思った。犯人がだれかを殺害したことが事件の本質なのであって、刑事さんたちがクイズに正解できたかどうかは本質的な問題ではない。この刑事さんたちに対しては、ほとんどのひとは「たいへんな重圧の中、できるだけのことをやったのだな」と思うだろう。遺族なら、正しく答えてくれていれば殺人はなかったかもしれないとくやしい思いもするだろうし、正解してくれていたらと恨むことはあるかもしれない。しかし、答えられなかったことに対して業務上の責任を追及するなんていうのはありえないことだとわたしは思う。

また、犯人が主人公を事件に巻き込んだ動機も常識離れしていた。犯人が飲み屋で知り合いと話していて「怒り心頭に達する」という表現を使ったのを、たまたま同じ飲み屋いてそれを小耳にはさんだ主人公に、「怒り心頭に発する」ですよ、と正されたことで自尊心を傷つけられたのが動機だということになっていた。

飲み屋で別のグループのひとがちょっとことばづかいを間違えたのを近寄っていってわざわざ注意する主人公もそうとう変なひとだ。また、そのくらいのことを何ヶ月も覚えていて恨みに思っている犯人も、とても健康なこころの持ち主とは思えない。

主人公も犯人も東京大学出身で優秀な頭脳の持ち主という設定だったので、それなら犯人と主人公の謎解きの知恵比べを見たかったのだが、犯罪のトリック自体はそれほど手の込んだものではなく容易に想像のつくようなものだった。

それにしても、主人公の頭のよさや犯人の自尊心の高さを表現する手段が日本語の豆知識の披露合戦しかないというのはなんとも白ける。こんなブログを書いているわたしがいうのも何だが、そういう日本語の豆知識なんて何冊か本を読めばだれでも知ることができる。頭のよさとは何の関係もない。
知らず間に」という表現がネットではけっこう使われている。ふつうは「知らぬ間に」というと思う。
取らぬ狸の皮算用」とか「ならぬ堪忍するが堪忍」というではないか。ところが、念のために Google で「取らず狸」「ならず堪忍」を調べてみたら、そのように書いてあるページが実際にあったのでびっくりした。

「ず」は否定の助動詞でその連体形が「ぬ」ではないかと思う。国語辞典や古語辞典を引いてみると、「ず」の活用のしかたは特殊だそうで、いろいろとむずかしいことが書いてあってわたしの理解を超えている。でも、そういうことで大きく間違ってはいないはずだ。

まあしかし、ちょっと下品だったり差別語だったりするけれども、「行かず後家」「見ず転(不見転)」「やらずぶったくり」「ならずもの」といった語もある。これらは冷静に考えると「連体形+体言」ではないけれど、「連体形+体言」のような語感ではある。そういうことばが現に存在するので、「知らず+間」というふうに終止形と体言を組み合わせてもあまり奇妙には聞こえないということがあるのかもしれない。
タイトルだけはまるで子守男さんのブログのようだが、大したことは書かない。

トンカツやカキフライを作るには、具材に小麦粉をまぶし、溶き卵をつけて、最後にパン粉をまぶしてから揚げる。これはわたしの親がやっていた方法で、わたしもこの方法でやっている。たぶん、多くの家庭でもこの方法でフライ類の下準備をしていると思う。

しかし、串カツ屋とか総菜屋さんなどでは、小麦粉を水なり玉子液なりで溶いたものに具材を浸し、そのあとでパン粉をまぶすという二段階でやっていることが多いらしい。

この小麦粉を溶いたもののことを、ある総菜屋さんは「どろ」と呼んでいたが、一般的には「バッタ粉」「バター粉」「バッター粉」などというようだ。

これを英語では batter という。Collins COBUILD English Dictionary には次のように書いてある。

batter batters [N-VAR]
Batter is a mixture of flour, eggs, and milk that is used in cooking. 
・ ...pancake batter. 
・ ...fish in batter.


別の辞書には batter-fry という語も載っていた。butterfly の間違いではない。「…に衣をつけて油で揚げる」という他動詞だそうだ。
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