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タンポポ タンポポ

タンポポは、かわいい。とても強い植物で、踏んづけても踏んづけてもまた生えてくるらしい。道ばたなど他の植物が避けるようなところに平気で咲いている。
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「暴れん坊将軍」を放送字幕(聴覚障碍者用字幕)付きで見ていると、将軍が「ことわりにかなう」というようなことを言って、字幕は「理にかなう」で「理」の上に「ことわり」という小さな仮名が振られていた。「理(ことわり)」は「盛者必衰の理」で知られるとおり理屈とか道理という意味だが、日常使う語ではないので子どもなどには知らないひともいるだろう。仮名を振るのは親切でよいことだと思った。ただ、字幕自体が本来キャプションなのに、さらに振り仮名という一種のキャプションをつけているのはおもしろいと思った。

日本語には文字だけで読み方が決まらないことがよくある。肉を焼いたときに出てくる「肉汁」は、わたしは「ニクジュウ」と読むが、「ニクじる」と重箱読みするひともいる(「ニク」は音読み、訓読みは「しし」)。料理の本に

肉汁を逃がさないようにホイルに包んでください

と書いてあったとしたら、「ニクジュウ」と読むか「ニクじる」と読むかは読むひとに任されている。

川端康成「雪国」の冒頭も有名だ。「国境」を何と読むか。

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。

コッキョウ」という読み方をするのは国家同士の境界のときで、これは上野の国(?)と越後の国の境界だから「くにざかい」が正しいという話も聞く。しかし、川端康成本人はラジオの対談か何かで、「コッキョウ」のつもりで書いたと言っていたそうだ。

英語では文字として書かれているものは同時にその読みかたも規定しているが、日本語では文字は必ずしも読み方を規定しないというところがおもしろい。その証拠に、「知識人(インテリゲンチア)」とか「ルサンチマン(うらみつらみ)」のいうふうに字と読み方に何の関連もない仮名が振ってある場合もあるし、「親切(おせっかい)」とか「正義(たてまえ)」のように矛盾する仮名を振ることで複雑な意味を表現することもできる。

つまり、日本語は、マンガと同様に、文字(絵)と読みかた(キャプション、吹き出し)を組み合わせて完成する。解剖学の養老孟司さんは日本がマンガの先進国である理由はこれだという。

養老先生によれば、脳の障害で文字が読めなくなる失読症という病気があるが、日本人の失読症には2種類あって、漢字が読めなくなる人と仮名が読めなくなる人がいるそうだ。つまり、漢字を読む(絵を見る)部分と仮名を読む(吹き出しを読む)部分では脳の使っている場所が違う。そのどちらに障害があるかによって漢字が読めなくなったり仮名が読めなくなったりするということだ。

西欧人は脳の漢字を読む(絵を見る)部分をその目的で使っていないから(つまりマンガを読むような文字の読み方に慣れていないから)、マンガ文化に遅れたわけだ。

冒頭に書いたとおり、最近は放送字幕を表示してテレビ番組を見ることがある。耳が悪いわけではないが放送字幕付きで見たほうがよく意味がわかることが多いからそうしている。これも、マンガのように文字を読む日本人の特性なのかなと思う。

でも、日本人ならみなそうとはかぎらないようで、妻は「うっとうしい」といって嫌がっている(笑)。
Yahoo!知恵袋という Q&A サイトで、「お名前様」という言い方はおかしいかというような質問をしたひとがいる。

電話応対で、先方のお名前を伺う際、「お名前様を頂戴できますか?」と、言ったらお名前に様を付けるのは、二重の敬語になるのでおかしいのでは・・・?との意見があり、アドバイスをお願い致します。

「お名前様」という言い方は、これまで聞いたことがない。目にしたのもこれが初めてだと思う。そのせいか、わたしにはなんとも違和感のある言い方だ。

質問者は「二重の敬語になるのでおかしいのでは」という意見を聞いたという。「お」と「様」で丁寧語が二重になっているということか。しかし、「苦労さま」「おみおつけ」などのように丁寧語を重ねることはよくあるし誤用とはされていない。そうではなくて、「様」は固有名詞とか特定の役割名につけることが多いのに、「名前」という普通名詞に「様」をつけているから奇妙に感じるのだろう。

「ご苦労さま」「お世話さま」「ご馳走さま」の「苦労」「世話」「馳走」は普通名詞じゃないかといわれるかもしれないが、それらは決まり文句だし、他人の具体的な「苦労」「世話」「馳走」を感謝したり評価したりすることばだから奇妙に感じないのだと思う。

「お名前様」という言い方は、むしろ京都弁の「お豆さん」「飴ちゃん」という言い方に似たものを想定しているのかもしれない。わたしの母も「お豆さん」「飴ちゃん」とよくいう。やはり豆や飴を擬人化しているのだろうと思う。しかし、「名前」というのは具体的にかたちのあるものではなく単なる属性なので擬人化するには無理がありそうだ。

この質問者がふだんの生活で「お名前様」ということばを使っているとは思えない。それなのにこういう奇妙なことばを使おうとする理由は、敬語のことを、暗記して使うための外国語のような特殊なことば、自分のくらしと縁のないことば、と思っているからではないだろうか。

敬語とは、生活の中で使うことば、敬意を表そうとすると自然に出てくることばであるべきだと思う。尊敬する先生と話すときや大好きなおばあちゃんと話すときに自然に出てくるようなふつうのことばを使えば、多少間違っていても気持ちが伝わって「敬語」本来の役割を果すことができるだろうに。
どんぐり

公園でどんぐりを見つけたので拾ってみると芽が出ていた。芽の出たどんぐりを見たのは初めてだ。何だかめでたい。
フゲンゾウ

関山はほとんど散ってしまったが、普賢象がまだ咲いている。

ふげん‐ぞう【普賢象】 ‥ザウ
サトザクラの代表的な園芸品種。古くから各地に栽培。4月ころ、淡紅色大形の八重咲き花をつける。花の中央の2本の雌しべが緑色で葉のようになって突出する。これを普賢菩薩の乗るゾウの鼻に見立てて名づけた。
(広辞苑第六版)


普賢菩薩は絵などで象に乗った姿が描かれているらしい。知らなかった。
今後、絵や像を見る機会があったら注意してみてみようと思う。
... provide customers a way to ... という英文に出くわし、最初はとくに変と思わずに訳したのだが、考えてみたら、これは学校で習わなかった構文だなと気がついた。provide という動詞は provide A with B または provide B for A というかたちで「A に B を提供する」という意味だったはずだ。

辞書を引いてみたら、ランダムハウス英語辞典に次のような記述があった。

Her prose provides us (with) a model of how to write.
彼女の文章は文章の書き方の手本になる
米では二重目的を取ることもある.

なるほど、そうだったのか。

with のない表現はこれまでにも何度か出くわしていたのだろうが、意味にまぎらわしいところがないので意識することなく通り過ぎていたのだろう。今回はじめて気がついた。

Google で "provide customers a way" をフレーズ検索すると、約 473 件のサイトが見つかった。"provide customers with a way" は約 9,830 件だった。やはり、with 付きのほうが多いようだ。

ランダムハウスによれば with を省略するのは米国の用法とのこと。試しに uk ドメイン限定で "provide * a way" を検索してみると、何と、この with のないかたちの文がいくつも見つかった。

The aim is to provide parents/carers a way to communicate with their babies through positive touch.
(www.wakefield.gov.uk/Education/EarlyYears/Choosing/ChildrensCentres/FamilyPlay/)

These files, such as “password.txt” and “log.nsf”, are known to provide hackers a way of penetrating Web applications.
(www.lodoga.co.uk/attackinfo/background/attackdetails.htm)

VME products helps to provide OEMs a way to extend. the life and capability of their current designs without.
(mototracker.atomicserver.co.uk/tracker/downloadfile.php?id=85)

どうやら、with なしの構文は英国でも使われているようだ。まあでも英語ノンネイティブであるわたしたちは、いつでも必ず with をつけるようにしたほうが安全なのだろうと思う。

追記:
『謎解きの英文法 文の意味』という本の「John donated the museum a painting は本当に『間違い』か」というコラムには、通常は SVOO の動詞とは見なされていない donate に二重の目的語を取らせる用法について書いてある。

さらに追記:
典型的な第四文型の動詞である give なども、このような過程を経て二重の目的語を取るようになったのかなあと思う。

関連記事:
謎解きの英文法 文の意味
関山-2 関山-1

八重桜の「関山」。桜もちに使う桜だと聞いた。

「関山」の読み方は「カンザン」でも「せきやま」でもよいようだ。そういえば、梅の「鴛鴦」も「エンオウ」「おしどり」のどちらでもよいそうで、植物の名前にはそういうものが多いのかもしれない。
「寝る」とはどういう意味だろう。なぜそんなことを考えたかというと日本語ノンネイティブの翻訳者、ゆ さんのブログ記事を読んだからだ。ゆ さんのブログは、さまざまな日本語表現に鋭くつっこんでくるので、ネイティブのこちらも考え込んでしまうことが多い。

「きのう、寝たとき電話して、ごめんね!」と ゆ さんが友だちにいったら、「寝る」は「ふとんに入る」という意味で、この場合は「寝ていたとき」が正しいと教えられたそうだ。

ゆ さんは「寝る」の意味を sleep だと思っていたので、「寝る」が「ふとんに入る」という意味だったら sleep じゃなくて go to bed じゃない、日本語では sleep と go to bed は同じことばなの、とふしぎに思ったらしい。

「寝る」は本来「床に入る(go to bed)」 とか「横たわる( lie down)」という意味で、sleep は「眠る」 だろうとわたしは思った。だから「寝たまま本を読む」ことはできるが、「眠ったまま本を読む」ことはできない。

「きのう、寝ていたとき電話して、ごめんね!」という言い方はもちろん正しい。思うに、「寝る」とは「床に就く」「就寝する」ということ、つまり「眠る」ことを中心とした私的な生活習慣的行為のことなのだろう。だれかが「寝ている」ときに「眠っている」かどうかはどちらでもよい。どちらにせよ、非常に私的な行為なので、眠っていようがいまいが、それを邪魔することは失礼なことだ。逆にいえば、「眠っているときに電話した」かどうかは本人でないとわからない。

しかし、どうやらそんなに簡単なことではなく、「寝る」という語は sleep という意味でもよく使われているようだ。たとえば、「立ったまま寝る」という表現をググってみると約 54,600 件もある。「寝る」の意味が go to bed/lie down だとすると「立ったまま寝る」ことは物理的に不可能だ。一方、物理的には可能なはずの「立ったまま眠る」という表現は約 4,820 件しかない。おもしろい。

英語にもあいまいな部分があるかもしれないと思う。sleep with という表現は、日本語の「だれそれと寝る」と同様に、性行為をもつという意味があるのではなかったか。眠りながら性行為をもつことは不可能なので、これは「眠る」というよりも「寝る」に近い。まあ、隠喩なのかもしれないけれど。
このところきつい仕事が続いて、ずっと前にある老人から「頭脳土方」と言われたことを想い出した。「頭脳土方」という語はそのときまで聞いたことがなかったが、聞いた瞬間に意味がわかった。「肉体労働者じゃなくても、土方と同じ過酷な仕事をしている単純労働者じゃないか」という意味だろう。それ自体が差別的だし建設作業員にも差別意識があるという何重にも差別的な語だ。

プログラム書き、システムの仕様書書き、マニュアルの原稿書き、実務翻訳と、労働集約的な仕事ばかりをこれまでやってきた。人間がやるしかない仕事で納期に迫られるある意味過酷な仕事だ。たいして儲かるわけでもない。「頭脳土方」といってバカにしたくなるひともいるのだろう。

友人の中には株の売り買いをして優雅に暮らしているひとたちもいる。わたしには資産がないから資産に資産を産ませるような暮らしはできない。ただただ働いているよりほかにない。もともと経済に興味がないし物欲もあまりない。わたしの親は漁師で、長寿医療保険を年金から天引きされる歳になった今でも漁に出ている。そういう姿を見ているので、人間、死ぬまで働き続けるのが当たり前と思っている。

実務翻訳者は翻訳業界全体でみると現場の生産者で、たしかに建設作業員や漁師と似ている。仕事をするのはよいとしても、無茶な納期で仕事を振られて質の悪いやっつけ仕事をするようにはなりたくない。

元請け業者からの圧力で下請け業者が手抜き工事をしたとかいう建設業界の事件をたまに見聞きして思うのは、下請けの単純労働であってもそれなりの矜恃をもって上流からの圧力に屈さずにやっていくことが大事なのではないかということだ。まあ、それには容易に切られない、切られても別の業者が使ってくれるというだけの実力がいる。けっきょく経験を積んで技術を磨いていくしかないという当たり前の結論になった。
むかし香港に住んでいたことがあるが、あるとき、ひょんなことから、中国の主催した盤上遊技コンベンションの日本将棋を紹介するブースに紹介者のひとりとして参加することになった。

若い女性が覚えたての日本将棋を楽しんでくれたし、ルールは知っているというおじさんが「このゲームはダイナミックで好きだ」と言ってくれたりして、とてもよい想い出になった。

中国という国は、囲碁、中国象棋、西洋将棋(チェス)などの盤上遊技の保護、振興に力をいれているようだ。北京や上海では日本将棋の競技人口も増えている。

一方、日本では、将棋は安土桃山時代から家元制で保護されてきたにもかかわらず、茶道や華道と比べると、確立された伝統文化としての地位を十分に得られていないと思う。

将棋の話題になるとあからさまにつまらなそうな態度になるテレビの有名司会者がいる。その態度を見て「なんだ、このひとは」と嫌いになった。伝統文化として認識していないというだけではなく、賭博、勝負事として蔑んでいるという感じもあった。

羽生善治氏が七冠王になったとき、そのニュースを多くのスポーツ新聞が大々的に取り上げたが、「なぜスポーツ新聞が将棋を取り上げるの」と言ったり書いたりした人がおおぜいいたと記憶する。将棋なんてスポーツじゃないんじゃない、というわけだ。「カーリングってスポーツなの」というひともいるが、それっと似たようなものかもしれない。

英語圏ではチェスは sport と認識されていると聞く。それが本当かどうか知らないが、Wikipedia には次のように書かれている。

Sport is an activity that is governed by a set of rules or customs and often engaged in competitively. Sports commonly refer to activities where the physical capabilities of the competitor are the sole or primary determiner of the outcome (winning or losing), but the term is also used to include activities such as mind sports (a common name for some card games and board games with little to no element of chance) and motor sports where mental acuity or equipment quality are major factors.

やはり、チェスや将棋は sports だという見方はあるようである。

先日、将棋名人戦の挑戦者を決めるリーグ戦最終局のようすを NHK BS の生中継で見たが、佐藤康光棋聖の気迫に満ちた姿が非常に印象的だった。それはスポーツの試合と遜色のない、感動的な戦いぶりだった。

寒さ対策をしてお出かけしたほうがよさそうです

今朝の NHK ニュースで、屋外で傘をさしたキャスターがこう言った。

何か変な言い方だと思って「どう思う」と妻に尋ねたら、「また妙なことを言い出したよ、このひとは」という顔で「べつにふつうじゃない」と言われてしまった。

お天気キャスターの言った「お出かけ(する)」は、街に買い物に行くときとか公園に犬を連れて行くときなど本人が希望して外出する場合に使う印象がある。

今日は平日だし、このニュースは六時台に放送されたものだったので、通勤通学のひとに言ったのだろう、それなら「お出かけする」は変だな、とわたしは思った。通勤通学のひとに対して言うのなら「出かける」でよいと思う。

寒さ対策をして出かけたほうがよさそうです

でよいと思うが、敬語を使うとすれば次のようになる。

寒さ対策をして出かけられたほうがよさそうです
寒さ対策をしてお出かけになったほうがよさそうです

これらの言い方なら、なんとも思わなかったのだが。

では、「お参り(する)」はどうか。たとえば、お彼岸のときの天気予報でキャスターが

今日は夕方から雨の予報になっていますので、早めにお墓にお参りしたほうがよさそうです

と言ったとしても違和感はないだろう。まあ、「早めにお墓に参られたほうが…」でもいいけれど。

たぶん、「お出かけ」と比べると「お参り」のほうがよく使われることばだし、特別な意味を含まないからだろうと思う。

ハナモモ


このハナモモは、ふしぎなことに、同じ木に白色と桃色の二種類の花が咲いている。

雲と一体化して見えるサクラの花の淡い色と違って、このハナモモの白はそこだけ浮き出るかのように明るい。夏の日差しに照らされた入道雲のようだ。


追記:
調べてみたら、こういう二色のモモのことを「源平桃」というらしい。

Use the following commands to restart the system to see if this corrects the entry in the database.

to不定詞句が 2 つある上記の英文をオンラインの自動翻訳サービスに翻訳させてみた。

これがデータベースのエントリを修正するかどうか見るためにシステムを再開しなさいという以下の命令を使ってください。
(Yahoo! 翻訳)

うーむ。to see if ... は目的を表す副詞的用法で restart を修飾しており、to restart the system ... は形容詞的用法で command を修飾していると認識したようだ。しかし、意味不明な文になってしまった気がする。

これがデータベース中のエントリーを修正するかどうか確かめるためにシステムを再開するために下記コマンドを使用してください。
(So-net翻訳)

どちらの不定詞句も目的の意味の副詞的用法だと判断したようで、後ろから後ろから訳している。これはこれで、意味不明というわけではない。

以下のコマンドを使用して、システムを再開して、これがデータベースへの登録を修正するかどうか確認してください。
(Excite 翻訳)

すばらしい。この中でいちばんよいと思う。これに少し手を加えて

以下のコマンドを使用して、システムを再起動し、データベースの項目が修正されるかどうかを確認してください。
(たんご屋)

とすれば、よく意味の通じる訳になっているように思うがどうだろう。

おそらく、Excite 翻訳では、こういう to不定詞句が出てきたら結果を表す(?)副詞的用法として前から順々に訳すようにプログラムされているのだろう。

そう思って、He went to the library to study Japanese. という文を訳させてみたら、「彼は、日本語を勉強しに図書館に行きました」と訳した。あれ、なぜだろう。「彼は図書館に行って日本語を勉強しました」と訳すかと思っていたのだが。

まあ、自動翻訳サービスにも個性があるようで、おもしろい。
先日の仕事で、厳密な「である調」に翻訳するように指示された。慣れなくて大変だった。

厳密な「である調」では、たとえば、「だから」ではなくて「であれば」、「だろう」ではなくて「であろう」、「ならぬ」ではなく「ならない」と書くことになっているらしい。

このことは、象牙の塔に住む人には当たり前なのかもしれない。わたしは大学の文系学部を出ただけだし、優秀でも熱心でもない学生だったからか、これまで、「だ調」と「である調」の違いを意識したことがなかった。

このブログはこれまでどうだったかと考えてみると、文末以外は「である調」、文末は「だ調」を主体に使っているようだ。まあ、はっきりいってちゃんぽんである。

「だ調」なら「せぬ」「ならぬ」と書くのがふつうらしいのだが、わたしはこれまで「しない」「ならない」と書いていると思う。また、文末を「である」で終えることに抵抗はないが「であれば」とか「であろう」という表現はなんだか大仰な感じがして使えない。

「ですます調」と「だ、である調」は交ぜないほうがきれいだと思うが、「だ調」と「である調」も見る人によっては交ぜないほうがきれいに見えるのだろう。

そうはいっても、このブログを「だ調」で統一しようとか「である調」で統一しようとは考えていない。でも、文章を読むときや書くときはできるだけ意識するようにしようと思う。

歯を磨き、顔を洗う。
歯を磨いて、顔を洗う。


上の 2 つは似たような意味の文だ。前者は動詞の連用形、後者は接続助詞「て」を使って 2 つの語句を結びつけている。

こういう意味の文を実際に書くとき、ふだんは、どういう理由でどちらのかたちを選ぶというわけでもなく適当に書き分けている。ただ、3 つ以上の語句を結びつける場合は意識することがある。

次のように、連用形だけで続けるときはいくら続いても変だとは思わない。

手を洗い、歯を磨き、顔を洗う。


しかし、次のように、接続助詞「て」が 2 つ以上続くと違和感を覚える。

手を洗って、歯を磨いて、顔を洗う。(△)


次のように連用形による接続が交ざっていれば違和感はない。

手を洗い、歯を磨いて、顔を洗う。
手を洗って、歯を磨き、顔を洗う。


また、前の語句が後の語句の原因や手段になるときは、接続助詞「て」がよさそうだ。

電源ボタンを押して、パソコンを起動します。
電源ボタンを押し、パソコンを起動します。(△)


単に続けて起きるできごとを結びつけるときは、連用形だけのほうがよいと思う。

箱を開け、本体を取り出し、水平な場所に設置します。
箱を開けて、本体を取り出して、水平な場所に設置します。(△)


とまとめてみたが、翻訳の実務では判断がむずかしくて考え込んでしまうことが多い。
何かを推奨するという意味の和語は、個人的には「すすめる」と書くことにしているが、翻訳の仕事の表記規則では「勧める」と書くように指示されていることが多い。ある仕事では「薦める」を使うように指示されたこともあった。

「薦める」の「薦」は、漢字源によれば「よいと思う人や物をえらんで採用するように他の人に説く」という意味だそうだ。商品やサービスをすすめるときには使えるかもしれないが、何かの行動を促すときには使うと変かもしれない。

「勧める」の「勧」は「口々にやかましくいって力づけること」という意味で、「奨める」の「奨」は「ほめる。引きたててほめる」という意味だそうだ。ただし、「奨める」は常用漢字表外の音訓。

まあ、もともと「すすめる(進める)」に上のような漢字を当てたのだろうから、ひらがなで書くのがよいとわたしは思う。
素麺といえばやはり播州播磨が有名だ。先日西明石に住む友人と電話で話したら、今年は素麺が豊作で、姫路あたりの農家は収穫に大忙しだと言っていた。

素麺は果実のようでもあるが、実は植物学的には果実ではない。「花托(かたく)」と言われる部分にデンプンが集められてあのような姿となる。農家ではその部分を指で梳くようにつまみ、理容ばさみで切って収穫する。収穫した素麺には、薄く綿実油を塗り、手で延ばして干すのだそうだ。

素麺の木は、古くは奈良県桜井市の三輪地方で多く栽培されていたが、室町時代の中期に播州に移植された。播州での素麺栽培は基本的に家族経営で行われており、何年にも及ぶ交配の結果、長さの揃った素麺の掛け合わせに成功し、現在では全国一の生産高を誇るに至っている。

昨年の春は、西明石の友人が、まだ青みがかって透き通った取れたての素麺を送ってくれた。しかし、自宅で素麺を干すのは思いの外たいへんな作業で、上手な素麺にすることができなかった。

やはり、素麺は本物にかぎるようだ。


追記:
これは4月1日に書いた記事です。念のため。
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