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歳をとれば短気になるとは聞いていたが、わたしも最近こらえ性がなくなってきて、サービス業、とくに接客業の人の仕事ぶりなど他人のちょっとしたことに腹が立つことが多い。

自分が短気になったというだけではなくてサービス業にたずさわる人の仕事の質が本当に落ちてきているのではないかという気がしないでもない。人のため社会のために仕事をしているのではなく、なんだかしかたなく仕事をしているような、もうかりさえすれば別に顧客のためにならなくてもよいと思っているように感じられる人が多い。そういうきもちが態度に透けて見えるから、客であるこちらも不快になる。

そりゃあ、仕事というのは自分が飯を食うためのものであって無償の奉仕活動ではない。それでも、自分の仕事が多少なりとも世のため人のためになっているからお金をもらえているのではないか。いかによいサービスを顧客に提供できるかがそのまま自分の仕事の質の良し悪しだと思う。顧客の喜ぶできるだけよいサービスを提供できるように心がけるのがサービス業者の職人気質だろう。世間知らずで青臭い考えかもしれないが、ともかくわたしはそう考えたい。

そういうことを考えていたら、NOVA とかグッドウィルとか船場吉兆とか、企業でも顧客をないがしろにした不祥事が多いことに気付いた。ああいう不祥事は、ようするに、顧客のためになる仕事をして喜んでもらうことで自分も儲けさせてもらおうという職人気質的なやり方ではなく、顧客なんてどうでもいい、ばれずに儲かればなんでもいいからやっちゃるという商人気質的な経営をしてしまってそれが問題になったということだろう。

つまり、それはわたしが最近サービス業の人に感じていることと同じだ。会社も個人も、国全体の気質が職人気質から商人気質に変わりつつあるのかもしれない。まあ、最大のサービス業、行政で働く公務員が保身と金儲けのことしか考えていないようなことが多々報道されているからなあ。あれは役人気質か。まじめにやっているのがバカらしくもなろうというものだ。
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ハチとクローバー1 ハチとクローバー2

「ハチミツとクローバー」ではない。ハチとクローバー。

よく行く公園にお気に入りの場所がある。晴れた日にそこに座って本を読んだり考えごとをしたりするのがたのしみの 1 つだ。そこにはクローバーがいちめんに生えていて、その花の間をミツバチがせわしなく飛び回ってミツを集めている。as busy as a bee とはこういうことか。

意外なことに世界のハチミツでいちばん量が多いのはクローバーのハチミツだそうだ。そういえば、子どものころからクローバーのあるところでミツバチをよく見かけた。

しかし、クローバーというのは日本ではそんなに古い植物ではないはずだ。江戸時代にオランダからの荷物の詰めものに使われていたので「白詰め草」と呼ばれるようになったと聞く。それ以前には日本にはなかった。こうやってクローバーのミツを集めているミツバチたちはむかしは何のミツを集めていたのだろう。
「よみがえれ日本」というユニバーサル デザインを考える番組で全国の地域活性化をすすめる団体の理事長さんだという関幸子さんというかたの話を聞いた。これからは女性が中心となって地域活性化をすすめていくべきという関さんの意見を受けて番組ホストのばばこういちさんが「男性はなぜだめなんですか」と聞いた。それに対する回答が次のとおり。

(関幸子)よく生きていないと思いますね。まず、生活していないですよ。自分たちが社会を作っていると思っているかもしれないんですが、実は家庭を作るところから、自分を作り、家庭を作り、そして社会を作るというステップを飛び越えちゃっているんですよ、男性って意外なことに。(中略)女性のほうが一貫した生活者としての目線を実感として持っていますので、それを、今、活かす時代だと思うのです。

関さんという人のことはよくは知らないが、この発言には膝を打って納得した。

わたしも会社を辞めてからしばらくして、縁あって地域活性化にかかわるとある NPO 団体にしばらく所属していたことがある。そこで知り合ったひとたちのほとんどは 60 代、70 代の男性定年退職者だった。ひとりひとりを見れば地元の名士だったり博士号をもつインテリだったりするのだが、「このひとたちは『生活』というものをしたことがないのだなあ」とつくづく思った。経済活動やら研究生活やらに明け暮れて、生活者としての側面はすべて奥さんが持っていってしまったのだなという印象だ。

たとえば、地元の店舗をインターネットで紹介したいということで、料理屋の分類をしたいというが、何か何料理なのかまったくわかっていない。「ステーキは洋食です」というと、「何でステーキが洋食なんだよ」と真顔でいわれてわたしは本当にびっくりした。また、逆に、鉄板焼きは海外でも有名な典型的な日本料理ですよ、といっても信じてくれない。そもそもステーキと鉄板焼きと焼き肉の区別がよくわかっていないのだろう。浮世離れしているというかなんというか、「よく生きていない」とはまさにこのことだ。あほうらしくなった。

だいたい、料理をしたこともない、地元の料理店にもいったこともない、スーパーで買い物をしたこともないというようなひとたちばかりなのである。そういうひとたちが口先だけで地域活性化を唱えてもだれもついてきてくれるはずがないと思う。
G+英語館」というミニ番組がおもしろくて、よく見ている。「英語館」というのは「映画館」と掛けているのだろう。この番組は、新作の洋画(英語の映画)を紹介し、その映画のシーンから簡単な聴き取り練習をさせてくれたり、関連表現も紹介をしたりしてくれるというものだ。まあ、映画の宣伝番組に英語学習番組の要素を取り入れたのだろうと思う。

聴き取り問題は、自分でもびっくりするぐらいできない。わたしってこんなに英語を聴き取れなかったのか(笑)と思う。やはり字幕翻訳なんてぜったいできないな。紹介してくれる関連表現も初めて知るものが多い。勉強になる。

進行役のハワードさんは番組の最後に I'm off to the movies. と言う。off to というのは「出かけていく」というような意味の口語らしい。それはよいのだが、the movies がよくわからなかった。「番組で紹介した映画を見に行く」という意味なら I'm off to the movie. と定冠詞の単数形になりそうなものだ。特定しないで「何か映画でも見に行く」だったら、 I'm off to a movie. か I'm off to movies. と不定冠詞か無冠詞複数形になりそうな気がする。

調べてみたら、the movies というのは英国英語の the cinema と同じような意味と用法で、「映画館」あるいは「上映中の映画」というような意味になるようだ。

いやあ英語って本当にむずかしいもんですね。
離婚を考えるきっかけになったという、夫から妻へのことばでいちばん多いのは
誰のおかげで飯が食えてると思ってるんだ
で、妻から夫へのことばは
稼ぎが少ないくせに
だと聞いた。

どちらも夫が稼いで妻を食べさせるということが前提の発言だが、同じことを互いに裏側から言っているだけのような気もするし、逆のことを言っているような気もしておもしろいと思った。どっちにせよ、自分の使うお金は自分で稼ぐという方式の共働きの我が家では想像もつかない発言だ。

どちらがよりひどいことばかというと、「稼ぎが少ないくせに」だと思う。「誰のおかげで」は事実に基づいた発言なのに対して、「稼ぎが少ないくせに」のほうは事実ではなく主観に基づいた発言だからだ。稼ぎが多いか少ないかは相対的なもので、たいていの人はビル・ゲイツに比べれば稼ぎが少ない。夫の稼ぎが少ないせいで貧しい生活を強いられていると言いたいのだろうが、そう思うのなら自分が働けばよい。親は子どもを養育する義務があるが、大人の男が大人の女を扶養する義務は、本来はない。
[毎日新聞] 将棋:羽生新名人、一夜明け「ようやく終わったんだな」

羽生さんが通算 5 期目の名人位につき、永世名人の資格を得て歴史に名を残した。

実力制名人制度での永世名人は、木村義雄、大山康晴、中原誠、谷川浩司、森内俊之、そして今回の羽生善治と 6 人目だ。木村さんと大山さんは故人だが、中原さん以降の 4 人はなんとすべて現役だ。永世名人有資格者でトーナメントができてしまう。どこかの新聞社が主催してくれないかな。
友人とお酒の席で話していたら
「印刷しないと校正できないって本当なんですか」
と問われた。明らかに「そんなこと信じられないよ」という顔や口調だった。

その人には、ずっと前、もう何年も前に
「文章を画面上だけで校正するのは不可能に近いよ、画面上で問題ないと思っても印刷してみると必ず校正もれが見つかる」
というようなことを話したことがある。この人はそのことを何年にもわたって疑っていたのかとちょっとショックを受けた。

わたしの言ったことは、プログラマ、マニュアル書き、翻訳といったこれまでの職業から得た、知識というか職業上の心得だ。プログラムのバグつぶし(不具合を見つけて直すこと)でも、マニュアルの用字用例の間違いを見つけるときも、翻訳の訳抜けや不自然な表現を見つけて直すときも、印刷してチェックしないとうまくいかない。

どのような職業にもやってみて初めてわかるというような知識や技術があるとわたしは思っている。その人はそう思っていないらしい。「世の中のたいていのことは実際にやらなくてもわたしにはわかる」と思っているのだろう。

うーん、やはり「話せばわかる」なんてのはおおうそなのだ。何年もの経験からわかったことを話してもそれを最初から信じる気がないなら何を言っても無駄だ。人とわかり合うのはむずかしいとつくづく思った。
子どものころから寝付きが悪い。ふとんに入ってから何時間も眠れないことがある。眠れないのなら眠らなきゃいいじゃないと思われるかもしれないが、眠いのに無理に起きているのではなくて、眠れないから起きているだけなのに次の日はしっかり寝不足でつらくなる。困ったものだ。

最近は部屋の灯りを切ったあとでどこかの飛行機に乗ったときにもらったアイマスクをつけて眠っている。どうせ灯りを消しているのだからアイマスクなんてつけてもつけなくても同じようにも思えるが、これが意外に入眠に効果がある。まぶたに光がまったく当たらない状態は睡眠を促進するらしい。

ところで、「アイマスク」を英語でいえば当然 an eye mask なんだろうなと思っていたら、どうもそうではないらしい。

アイマスク
〔(和)eye+mask〕
飛行機の機内などで,明るさを避けて,眠るために使う目かくし。
(新辞林)

というわけで、新辞林によれば「アイマスク」は和製英語らしい。

さらに WordNet には、次のように書いてあった。

eye mask
n : a mask covering the upper part of the face but with holes for the eyes [syn: {domino}, {half mask}]

目の穴だけ空いた顔の上半分を覆う仮面といえば、たとえは古いが、仮面の忍者赤影の仮面ではないか。あるいは、ヤッターマンというアニメの主人公がそういう仮面をつけていたような気がする。なるほど、an eye mask というのはそう言う仮面のことなのか。

で、さきほど書いていた「アイマスク」のことは英語で何というかというと、どうやら a sleep shade というらしい。shade は日よけという意味。

ちなみに、目の上を布で覆う「目隠し」は a blindhold、風邪のときにつける「マスク」のことは、a flu mask というらしい。なんだかややこしい。
福田首相に対する「問責決議」というのが参議院で決まったらしい。

問責決議というのは差別発言とか公約違反のような何か不祥事を起こした政治家に対してその責任を問うものなのだろうとわたしは思っていた。たとえば、五千万件の年金記録を名寄せできなかったことで桝添厚労相を問責するという主旨ならわかるのだが。

今回の決議は「後期高齢者医療制度の廃止要求に政府与党が応じない」というのがおもな理由だそうだ。特定の考えに反対することは責任を問われるようなことだろうか。自分の考えと違う考えに反対するのは政治家の大切な仕事だと思うのだが。仮に問われるべき責任があるのだとしても、それは福田さん個人の責任なのか。

自民党びいきなわけではないが、今回は伊吹自民幹事長や町村官房長官のいっていることのほうが筋が通っていると思う。


追記:
これに対して、衆議院の内閣「不信任」決議というのは、「内閣を信じて任せることができない」ということだから特定の責を問わなくても出せるという感じがする。
タイのタイ

母の日のお返しということか、田舎の両親がタイを送ってくれた。身の部分は松かさ造りでおいしくいただいた。アラは、ふつうは潮汁かあら炊きにするのだろうが、今回は妻の希望で兜焼きで食べた。実にうまかった。

写真は、その頭からとれた「タイのタイ」。タイの頭にあるタイのすがたに見える骨だ。「おめでたい」のタイの中にあるタイ、ということで縁起物だという。いまは宝くじの上に置いてある。
テレビ東京の「TVチャンピオン」という番組で一般視聴者の選手が礼儀作法の知識や習得度を競う「なでしこ礼儀作法王選手権」という企画をやっていた。

その中で、「他人のうちをたずねたときにやってはいけないこと」を 4 つの選択肢から選ばせるという問題があり、正解は、「つまらないものですが」といって手土産を渡す、というものだった。

どうやら、つまらないものを相手に差し上げるのは失礼というのがその番組の監修者の考えらしい。しかし、むかしは、手土産を渡すときに「つまらないものですが」というのが礼儀作法だったはずだ。日本らしい謙譲の美徳が表れた習慣だと思う。そのほうが「やまとなでしこ」にふさわしい作法なのじゃないのかとわたしは思った。

手土産を渡すときにいう「つまらないものですが」は英語に直訳するとおかしなことになるとよくいう。そりゃそうだ。英米の人なら、それこそなんでつまらないものを人にあげるんだと思うにちがいない。

つまり、「つまらないものですが」という決まり文句が無作法とみなされるようになったということは、欧米人と同じように感じる人が日本にも増えてきたということなのだろう。生活だけではなく感覚も西洋化してきたということか。「豚児」とか「愚妻」といったことばもそのうちなくなっていくのだろう。敬語というものもいずれなくなってしまうのかもしれない。

余談だが、この問題を正解した選手の 1 人は
「『つまらないものですが』というのは失礼に値すると思います」
といっていた。問題には正解したが、礼儀作法を気にするあまりか、ことば遣いには失敗している。「値する」は「値打ちがある」という意味だから「賞賛に値する」とはいうが「失礼に値する」とはいわないだろう。
フジテレビで「大奥」というドラマの再放送をやっていた。本放送のときにけっこう話題になったようだが見たことがなかったので見てみると、なるほどテンポがよくておもしろいドラマだった。

その中で、徳川家茂と安達祐実演じる和宮が橋の上で話をするシーンがあって、徳川家茂が自分の父親やそれまで自分のやってきたことを思い巡らして次のようなことを言った。

男というのものはすべからく女子(おなご)を不幸にするものやもしれぬ


メモしていたわけではなくいま想い出して書いているから、実際の台詞とは少し違うかもしれない。まあしかし、このように「すべからく」が「すべて」という意味で使われていたことは間違いない。

「すべからく」を「すべて」の意味で使うのは誤用だが、ふつうの文章や芝居であれば誤用だからといってどうこういう気はない。しかし、徳川将軍が「すべからく」を「すべて」という意味で使うというのはどうだろう。「すべからく」を「すべて」の意味で使うという誤用が江戸時代にあったとは思えない。そのころ教養の基盤は漢籍だったはずだから、漢文で使われる「須く」の使いかたを間違えるひとがいるわけがない。

せっかくおもしろいドラマになっているのに、ちょっとした遺漏で興が醒めてしまった。


関連記事:
「ざんきに堪えない」について


追記:
徳川家茂や和宮が本当にこのドラマのようなことば遣いをしたかというとそうではなく、いまのひとにもわかりやすいことば遣いで台詞が作ってあることはわかる。しかし、そのことと、明らかにあり得ないことば遣いにするということは違う。水戸黄門に「八兵衛、ファイト」という台詞があったというが、時代劇にそのような台詞があるとやはり興醒めしてしまう。
「おめでとうございました」という言いかたはおかしいという意見がある。わたしはおかしいとは思わない。たぶん、「た」という助詞が英語でいうところの過去時制の意味、つまり「過去に起きたこと(でいま現在とは関係ないこと)」を連想させるので、おめでたいことに「た」を使っては拙い、つまり、結婚式の忌詞のように一種の作法としてよろしくないということなのだろう。それはそれで 1 つの見識だと思う。

実際には「た」は必ずしも過去のことを意味するわけではないし、「おめでとうございました」の「た」も過去の意味ではないとわたしは思っている。

When the LED glows, press the button once.

こういう英文を「LEDが点灯したら、ボタンを 1 回押してください」と訳すことがある。この場合の「た」は、もちろん過去のことではない。

これに似た文を訳すときに、たとえば「LED が点灯した場合は」にするか「LED が点灯する場合は」にするかと悩むことがあるので、日本語の「た」とはもともとどういう意味なのだろうと以前からよく考えている。言語学を体系的に習ったことはないし、これから学習する気もあまりないので自分で考えるしかない。

まだ考えがよくまとまっていないのだが、いまのところ、日本語の「た」の基本的な意味は、(過去でも現在でも未来でも)何かの動作が完了する、または何かの状態になる、ということではないかと思っている。そう考えれば、「来た、来た」とか「怒ったぞ」とかいう文も説明できる。

過去時制の英文は必ず何かの動作や状態が完了しているわけなので対応する日本語は「た」を使って表現する。しかし、逆は必ずしも真ならずで、日本語で「た」を使っているからといって英語でいう過去時制のような「過去」のことを言っているとはかぎらない。

日本語はもともと英語とはまったく異なる「時制」の概念で運用されているのだと思う。英語でいう「時制」の概念は日本語にはないのではないか。will は「だろう」に対応するなどというが、「だろう」なんていうのは本当は推量であって未来の意味ではない。

しかし、いま生きている日本人のほとんどは学校で英文法を習っている。そのせいか、英語と同じ「時制」の考えかたが日本語にも存在すると誤解していて英文法的に日本語を考えようとするところがあるのではないかという気がしている。
「お父上のかたきに組する輩(やから)のいうことなど…」という放送字幕があった。あれれ、これは間違いだなと思った。「与(くみ)する」が正しいはずだ。

ところが、明鏡国語辞典を調べてみるとどうも間違いとはいえないらしい。

くみ・する【▽与する】〘自サ変〙
[類語分類]会う/交わる
同意して加勢する。仲間に加わる。「少数意見に─」「いずれの提案にも─・しない」 「組する」とも。 くみ・す(サ変)


うーん、そうなのか。ちなみに、広辞苑第六版には「組する」という表現は書かれていない。

くみ・する【与する】
〔自サ変〕[文]くみ・す(サ変)
(1)賛成して仲間となる。味方する。力をかす。大唐大慈恩寺大師画讃(天承点)「天、善を与(クミセ)ずして」。「悪党に―・する」
(2)かかわる。関与する。「謀反に―・する」

広辞苑 第六版 (C)2008 株式会社岩波書店

個人的には、「組する」というと組体操でもするのかという気がしてどうも違和感を覚える。
ある超大手企業の製品サイトのサポート窓口を案内しているページに

お問い合わせをするときのご注意

という見出しがあった。

なんというか、半端な敬語だなあと思った。ふつうに「問い合わせるときの注意」でいいんじゃないのと個人的には思うが、これを書いた人は無理に敬語にしようとして変にしてしまったのだろう。

「お…になる」という尊敬表現を使うなら、「お問い合わせになるときのご注意」とでもいうのだろう。「する」の尊敬語「なさる」を使って「お問い合わせなさるときのご注意」でもよさそうだ。

あるいは、「お問い合わせいただくときのご注意」とか「お問い合わせくださるときのご注意」という言いかたもある。

もともと「お問い合わせする」という言いかたが妙だ。「ちょっとお伺いしますが」とはよくいうが「ちょっとお伺いをしますが」とはあまりいわないだろう。それと同じで、「を」が無駄に使われているような気がする。

こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当ほうじょうです。今日のテーマは、「夏に向けての準備、してますか?」です。気がつけば5月ももう明日で終わっちゃいます。梅雨の6月がやってきます~!梅雨が終われば暑い夏!夏はもうすぐそこです。気を抜いたらすぐに夏になってしまうと思うのですが、何か夏に�...
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東京の夏は年を追うごとに暑くなっているような気がする。わたしは寒さにはわりあいに強いが暑さに極端に弱い。だから、梅雨時期から秋ごろまで、ほぼ毎日、甚平か作務衣を着ている。

暑い夏を涼しく寝るために、「寝ござ」というものを買ってみた。シーツに代えてふとんの上に敷いて使う「ござ」で、中国や九州でよく使われてきたものらしい。さっそく使ってみるととても快適だった。い草のさらさらした感じが肌にとても心地よい。これで、この夏の熱帯夜を凌ぐことができればよいのだが。
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