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新語・流行語大賞に「アラフォー」が選ばれたとのこと。around forty ということで、従来の日本語でいえば「四十がらみの(ひと)」「四十見当の(ひと)」ということだろう。とはいえ、ドラマから流行った新語らしいので、そのドラマではどういう意味合いで使われていたのか知らない。

最近は U35 世代とか U21 世代とかのように年齢による区分で世代論を語るむきもあるようなので、そういう意味合いもあるのかもしれない。いま四十前後のひとはバブル経済のときに社会人なりたてぐらいだったと思われる。若いころにバブル経済を経験したということで、他の世代とは何か違う感覚をもっているのかもしれない。

オンラインの辞書には around forty を「分別盛り」の訳語としているものもあった。「不惑」に影響されてそう考えたのかもしれないが、四十前後が分別盛りというのは編纂者の主観だろう。
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公園 公園の風景
東京の冬は、からりと晴れるので気持ちがいい。晴れるとおんもに出たくなる。以前は街に行ってお茶を飲んだり将棋を指したりすることもあったが最近は近所の公園に行くことが多い。仕事があってもかまわず公園に出かけるので、その分、夜の睡眠時間がけずられる。だから健康にはよろしくない。

平日の公園は、子どもを連れた女性、学生、老人が多く、わたしと同年代の男性は少ない。元厚労省事務次官殺傷事件の容疑者は近隣のひとたちから「ずっと家にいて働いているようには見えない」といわれていたそうだが、わたしも「働き盛りなのに公園にいるなんてリストラされたのかしら。気の毒に」と思われているのかもしれない。
麻生首相は「もっとも」「かなり」「激しく」「猛烈に」のように程度を表す語を多用するのがお好きなようで、「(医者には)もっとも社会的常識が、かなり欠落している人が多い」という発言では「もっとも」「かなり」というのが何をどう修飾しているのかよくわからない。「最も欠落している」人が「かなり多い」ということか。それとも「かなり欠落している」人が「最も多い」のか。

この発言について、そのとおりじゃないか、という人もいるみたいだが、そのとおりなのかどうかは検証のしようがない。そもそも「社会的常識」とは何なのかさえはっきりしない。企業に長く勤めているひとや政治家のひとたちから見れば政治経済のことを何も知らないわたしは「社会的常識」に欠けていると判断されるだろう。しかし、わたしからみると、ふだんはスーパーマーケットに行くこともなく「踏襲」も読めないひとは「社会的常識」に欠けていると感じられる。

けっきょく、個人的な印象論、もっとはっきりいっちゃえば「偏見」にすぎない。相手が医者という社会的に地位の高い職業だったからいいやすかったのかもしれないが、医者ではなくてフリーターとかニートに対して同じことをいっていたら差別表現としてもっと騒ぎになっていただろう。どちらにせよ、行政の長が、公の場で、特定の職業の人に対する偏見を堂々と披瀝してはいけない。
女流将棋「倉敷藤花戦」、高2・里見香奈さん初タイトル(読売新聞)

里見さんがついにやった。昨年のレディースオープントーナメントの決勝戦や女流王将戦の挑戦者決定戦ではいま 1 つのところで勝ちを逃していたが、今回は第一人者の清水市代さんに、なんと 2 連勝してタイトルを獲得した。高校生のころは年々強くなる。これから新しい花形棋士、第一人者になっていくことは確実だろう。

得意戦法が中飛車であるところ、実戦的で力感的な指しかた、終盤の逆転技など、師匠の森九段と似たところがある。キャッチフレーズの「出雲のイナズマ」は森九段の「イナズマ流」をもじってつけられたようだ。

出雲といえば NHK の連続ドラマ「だんだん」の舞台だ。「だんだん」のヒロイン役の三倉姉妹は将棋がテーマの連続ドラマ「ふたりっこ」でもヒロインだったということで、将棋にゆかりがある。そのうち、NHK か雑誌で里見さんと三倉姉妹との対談が企画されると見た。紅白歌合戦の審査員にも選ばれそうな気がする。

少女のタイトル保持者ということでマスコミにちやほやされるだろうと思うが、勘違いしてタレント活動に走り将棋の精進を怠るようなことがないようにしてほしい。だれとはいわないが、そういった例もかつてあった。


追記:
棋譜も見られる公式サイトがあった。


関連記事:
将棋女流棋士のこと
ネットの世界では毎日新聞や TBS の評判がよくないようだけれど、夕方 TBS で放送されている時代劇「水戸黄門」の再放送の件で、TBS ってのはどうしようもないなあ、とわたしも思った。

難聴の父に見せるために放送字幕を表示させて「水戸黄門」を録画しているのだが、その放送中に自局他番組の告知などのテロップが表示され、それが放送字幕と重なって字幕が読めなくなることが、1 回の放送中に少なくとも 1 回は必ずある。

この件について、放送倫理・番組向上機構(BPO)に連絡して苦情を文書で伝えてもらったが何の効果もなかった。直接 TBS に電話して苦情を言ってみたが、字幕担当のひとが「これは再放送なのでむかしの字幕を使っているし、どこでテロップが入るかは字幕担当にはわからない」といった。それでも、「ご意見は上のものに伝える」とはいっていたが、その後もまったく改善されなかった。

一方、同じ時間帯に放送されている日本テレビの再放送ドラマでは、妙なテロップで放送字幕がじゃまされることはないようだったし、テレビ朝日で午前中に放送されている再放送の時代劇では、テロップが出るときにはそのテロップと重ならない位置に放送字幕が移動するようになっている。日本テレビとテレビ朝日が立派というよりは、視聴に問題がない状態で番組を放送するというのは放送事業者として当たり前のことだろう。TBS の言い分は通らないと思う。

聴覚障害者にとって途中の字幕がきちんと読めなくなるというのは、健常者でいえば一部だけ音声が途切れるのと等しい。よくそんな状態のコンテンツを平気で放送し続けていられるものだ。

ただし、現在放送中の西村晃さんの「水戸黄門」は放送字幕自体が存在しない。これは、その前に放送していた佐野浅夫さんの「水戸黄門」のときの話。
星空

右下の明るい星は金星、その左上の星は木星である。右上の星との 3 つで三角形になっている。これを「冬の大三角」と…いうわけない。右上の灯りはたまたま飛んでいた飛行機だ。

本物の「冬の大三角(ベテルギウス、シリウス、プロキオン)」は、これから数時間後に東の空から現れてくる。
きのうの夕方のニュースでアナウンサが卓球の福原愛選手の経歴を紹介して「…サイショウネンで優勝しました」といった。あら、最年少(サイネンショウ)のことだよね、言い間違えたなと思って聞いていたら、けっきょく言い直しも訂正もせずに何ごともなかったかのように経歴紹介が先に進んでいった。

自分が何か勘違いしているのかな、サイショウネンともいうのだろうかと思って辞書を調べてみた。はたして、サイショウネンは見つからなかったが「最年少」は広辞苑第六版にあった。

さい‐ねんしょう【最年少】 ‥セウ
ある集団の中で、最も年下であること。また、その人。

やっぱりそうだよねえ。とはいえ、辞書にあるから正しい、辞書にないから正しくないとはいいきれないので、「サイショウネン」を Google で検索して実際に使われているのかどうかを調べてみた。

「最小年」を Google で検索してみると「史上最小年」という表現はいくつか見つかった。あまり多くはないので、これは書いたひとが何か勘違いして覚えているのではないかと思った。

ところが、次に「最少年」で検索してみると、こちらは非常に多くて約 18,300 件もヒットした。しかも、「最少年王者」とか「史上最少年プロ野球選手」「最少年の自衛官」のように、明らかに「最年少」と同じ意味で使われているようだ。ちょっとびっくり。

「最年少」という語は、もともと「年少」が young という意味で、the youngest だから「最」+「年少」と書くわけだ。一方、「最少年」は、「最少(the least)」+「年(age)」という組み合わせのつもりのように思われる。最初は、「最も少年(boy)」って何だと思ったが、そう考えるとまあ変でもないか、という気もしてきた。備忘録と忘備録の関係みたいに、「最少年」もそのうち辞書に載るかもしれない。


関連記事:
「備忘録」と「忘備録」
ネットオークションサービスに登録はしていたが、落札、出品ともに数回しか利用したことがなかった。たまには利用してみようと思って本を数冊出品したら意外に高く売れてびっくりした。定価の 3 分の 2 くらいの金額で売れた本もあったし、古い本で定価よりも高く落札された本もあった。

東京という大都市の郊外に住んでいるので思いが至らなかったが、考えてみれば近くに古書店のない地域もたくさんあるだろうし、古書店があったとしてもそうそう欲しい本を置いているものでもないだろう。そういう地域のひとにとってネットオークションは欲しい本を手に入れるためのとても便利な方法なのだろう。

今回わかったことだが、わたしはネットオークションを利用するのに適した環境にいるようだ。郵便局も宅配業者の集配所も近くにあるし、切手や封筒を売っていてポストまであるコンビニエンスストアも近くにある。日本郵便も宅配業者も電話をすれば集荷にも来てくれる。また、一日中うちにいることが多いので、相手のかたとの連絡も迅速にできる。

これまでは、要らなくなった本を段ボール箱に詰めて、自動車がないのでわざわざ自転車で何往復もして近所の郊外型大規模古書店に運んで引き取ってもらっていたが、ネットオークションで売っていればその何倍もの金額で売れていたにちがいない、とちょっともったいない気持ちになった。

まあ、だれかにとって不要になったものを必要とするひとが引き取るというシステムは、エコロジカル(ecological)でエコノミカル(economical)なことだ。それに、大規模古書店に引き取ってもらってもそれを必要とするひとに渡るかどうかわからないが、ネットオークションで落札してもらえれば具体的にだれかのお役にたったという実感が確実にある。これからも折を見て利用しようと思う。
話題になっている麻生首相の漢字の読み間違いのなかで、詳細を「ヨウサイ」と読んだというのは目が悪いとかいう話ではなくて単なる「物識らず」だと思う。「詳細」なんてのはとてもよく使う語で、わたしはこれまでの人生で何万回も遭遇したような気がする。70 年近く生きていてこういう日常的な語の読みかたを知らないというのはどうにも不可解だ。

未曾有を「ミゾユウ」、有無を「ユウム」と読んだともいう。麻生さんは「有」に「ウ」という読みがあることを知らないのだろうと思った。「ユウ」は漢音、「ウ」は呉音だ。漢音は儒学関連や新しくできた熟語によく使われ、呉音は主に仏教関連の語でよく使われる読みかたである。だから、「有象無象」とか「有頂天」のような仏教由来の語は「ウ」と呉音で読むことが多い。「有無(ウム)」というのもおそらく仏教由来の語で、だから「ウ」と読むのだろう。

と思って、調べてみると、「有無(ウム)」が仏教由来だというのはそのとおりだったが、有ると無いという意味では、麻生流の「ユウム」のほうが正しいらしいことがわかってびっくりした。

有無
[1]ユウム
あることとないこと。「楼台明滅山有無=楼台ハ明滅シ山ハ有無」〔→蘇軾〕
[2]ウム
(1) 〔仏〕万物が有に執着するという考え方と無に執着するという考え方。
(2) 〔国〕承知することとしないこと。いやおう。「有無を言わせず」
(漢字源より)


おそらく、「ユウム」と読ませるつもりで「有無」と書かれていても、ほとんどのひとは仏教からきた「ウム」と読むので、事実上そちらのほうが標準的な読みかたになっているということなのだろう。

独擅場(ドクセンジョウ)は「ドクダンジョウ」と読まれて「独壇場」になったし、洗滌(センデキ)は「センジョウ」と誤読されて「洗浄」になった。誤解から始まっても広く使われる状態が長く続けばいずれはその誤解のほうが正しいことになる。
きのうはひさしぶりにきもちのよい快晴だった。夕方 5 時ごろ、ベランダから南の空を見ると、西のほうに明るい星が 2 つ並んでいた。どちらも明るいが右の星はひときわ明るい。土星と木星かなと思ったが、ネット上の星座早見盤で調べてみたら、木星と金星だった。そうか、宵の明星ならそりゃ明るいはずだ。金星は、太陽と月を除けば、地球から見える星の中でいちばん明るい。星座早見盤によれば、その東側に天王星と海王星も並んでいるらしい。残念ながらそれらは見えなかった。

惑星

それからしばらくして妻から携帯電話に「月がすごいよ」というメールが来た。ベランダからは見えないので駐車場に出てみると東の空に大きな満月が浮かんでいた。たしかにすごくきれいな月だったので、立ったまま数分眺めていた。

ひさしぶりにゆっくり星を眺めた夜だった。死ぬまでにあと何回ぐらい、ゆっくりと星を眺める機会があるのだろう。


関連記事:
planisphere - 星座早見盤
「村山談話をフシュウ?」、首相誤読 議事録は「踏襲」

麻生首相が「踏襲」のことを「フシュウ」と発音していたそうだ。「踏」を「フ」と読んでいたということは、「踏む」の「ふ」だと思っていたのだろうか。テレビのクイズ番組などで読めない漢字をむりやり訓読みで読むひとをたまに見かけるけれど、そういう感覚なのか。

「フシュウ」といえば、多くのひとが連想するのは「腐臭」だろう。「腐」は「腐る」という字だから、麻生流に読めば「くさシュウ」になる。クサそうな発音で案外よいかもしれない。

「フシュウ」と読む熟語はほかにあるかなと思って調べてみたら、漢字源に次の語があった。

俯就
(1)自分の主義や主張などをむりにかえて他人に従うこと。〔→礼記〕(2)自分より身分の低い者の意見に従うこと。〔→元史〕(3)あやまる。〔→紅楼夢〕(4)自分の態度などをかえて卑しい職につくこと。

あれれ、これでも意味が通じるではないか。というか、このほうが麻生さんの本音に近いのかもしれない。もしかしたら麻生さんはとても教養のあるひとで、確信的に「村山談話を俯就する」と発言したのかも。


追記:
政治家というのは他の多くの職業よりも「踏襲」という語をよく耳にする職業だろうに、なぜ 70 歳近くになるまで学習できなかったのか、とてもふしぎだ。「舞踏会」「雑踏」なんて語は、どのように発音していたのか。それとも、そういう語を話すときに頭の中に漢字を連想しないひとなのだろうか。
教育テレビの「エリンが挑戦! にほんごできます。」という日本語学習者向けの日本語講座番組がある。日本語に興味があるということもあるけれど、むしろスキット(寸劇)に出てくる留学生のエリンやその仲間たちがとてもかわいらしいのに惹かれてときどき見ている。

その番組で、先日、「値段を聞く」というテーマの講座をやっていた。スーパーマーケットかどこかで店員さんに値段を聞くスキットなのかなと思ったら、バスの中で運転手さんに「どこそこまでいくらですか」と聞くという話だった。

ふつう、バスの運賃のことを「値段」とはいわないだろう。日本語講座なのだから「運賃」という日本語をきちんと教えたらいいのにと思った。運賃がむずかしいのなら「料金」のほうがまだしもだ。

英語でも、値段は price、料金は charge とか fee、バスの運賃は fare と別の単語を使う。英会話教室なら、fare という単語がむずかしいからといってバスの運賃のことを price を使って教えたりはしないだろう。
米大統領選のことなんてどうでもよいというようなことを前回書いたので何回も取り上げるのはどうかとは思うが、しつこく書く。今朝の東京新聞の「筆洗」に反応してしまった。

自分も一票を投じることができれば…と、米国の大統領選挙が行われるたびに思う。結果が米国の未来だけでなく、世界のもちろん日本の未来に直結するからにほかならない。(後略)

一読して、「なんじゃこりゃ」と思った。納税の義務も兵役の責任もない他国の人間が、大統領選挙の投票だけはしたいという考えかたは、不遜というのか、なんといえばよいだろうか。

米国民が自分たちの未来を賭けて自分たちで選択した結果に対して、日本にいるわたしの意見を反映させてくれたらもっとよくなるよ、と本気で思っているのなら、その楽観はちょっとうらやましい。
日本のテレビのニュース番組は、このところ米大統領選のことばかりやっている。わたしのよく見る民放のあるニュース番組では、投票日の前日から現地取材ということでメインキャスターが米国に行き、東京のスタジオはこの何日かサブキャスターだけで放送していた。そして、昨日の日中はどの局も開票速報の特別番組をやっていたようだ。前日のようすからリアルタイムの開票状況まで、こんなに大騒ぎして報道するようなことだったのだろうか。東京都の知事選でも東京ローカル局を除けばここまでの報道はなかったと思う。いったいどこの国のテレビなんだかわからない。

おとといの東京新聞に、ことしの 3 月から 4 月にかけて 24 か国の国民に米大統領選への関心を聞いたという米世論調査会社ピュー・リサーチセンターの世界世論調査結果が紹介されていた。なんと、世界でいちばん米大統領選への関心が高かったのは日本で、83% のひとが「関心がある」と回答したそうだ。米国は 2 位の 80% だったという。以下、ドイツの 56%、オーストラリアの 52%、ヨルダンと英国の 50% と続く。

本国のひとたちよりも日本人のほうが米大統領選に関心をもっているというのは、いったいどういうことなのか。わたしにはわからない政治経済的なむずかしい理由もあるのだろう。しかし、直観的に感じるのは、マスコミに煽られてオリンピックとかワールドカップとかに熱狂したり、納豆やココアやバナナが売り切れたり、狂言師や野球監督夫人のことをおもしろおかしく取り上げたりするのと同じような、野次馬的な精神性が働いているんじゃないの、ということだ。

日本人はそういう好奇心の高さによってさまざまなことを諸外国から学び、先進国の 1 つになったのかもしれないとも思う。とはいえ、個人的には米大統領選なんて結果だけ報道してくれれば十分だ。日本では「17%」に過ぎない少数派の意見だが。


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関心事と米大統領選
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