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将棋:第67期名人戦 羽生名人が防衛 郷田九段に4勝3敗--通算6期

昨夜、羽生さんが名人位を防衛した。最終局(第7局)は一方的な展開になって全7局でいちばん短い手数で終了した。挑戦者郷田は、得意の終盤の競り合いにならないので途中であきらめてしまったという感じだった。

今回で2回目の挑戦だった郷田はまたしても名人獲得を逃したが、これまで、名人位に複数回挑戦したことのあるほとんどの棋士は一度は名人になっている。例外は3回挑戦したものの一度も名人位に就くことのなかった二上九段(羽生の師匠)だけだ。郷田もいずれ名人位を獲る可能性が高いと思う。

それにしても、羽生の通算タイトル獲得数が合計73にもなっているというのには驚いた。これまでの最多獲得者は大山康晴で80。大山の時代とはタイトルの数が違うとはいえ、69歳で亡くなるまでA級棋士で居続けた大山の記録は羽生をもってしても抜くのはむずかしいのではと思っていたが、あと8つだからこのままいけばあと2年ほどで抜いてしまうことになる。羽生が2年後にタイトルをまったく獲れなくなっているというは考えにくい。ほぼ確実といってよいだろう。やはりとんでもないひとだった。
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「ものしりはおとなのたしなみ、英語はものしりのたしなみ…」というフレーズで始まる「英語ものしり倶楽部」というラジオ番組に劇作家の平田オリザがゲストで出ているのを聴いた。インタビューの中で、小学校で英語を教えるのは必ずしも反対ではないが中国語や韓国語もあいさつ語ぐらいは教えたらどうか、といっていた。

なるほど、と思った。世界にあるすべての言語を教えるわけにはいかないが、どうせ中学からは外国語として英語ばかりを教わることになってしまうので、たとえば国連の公用語などに絞って「こんにちは」「ありがとう」「さようなら」程度の挨拶語を教えれば、世界にはいろいろな民族があって言語や文化があるということを漠然とでも認識するようになるかもしれない。ついでに挨拶程度のかんたんな手話も教えれば、将来、より多くのひとと意思疎通ができるようになるだろう。
珍しいことに英字新聞と研究社リーダーズ英和辞典をもって公園に出かけた。英字新聞をもって公園に行くのはべつに珍しいことではないが、辞書をもって行くのが珍しいのである。重いのでいつもは辞書を持っていかない。わからない単語があっても適当に流して読んでいる。しかし、少しまじめに勉強しようという気が最近湧いてきているので今回は辞書をもっていった。

公園のベンチに座って新聞を読み、さっそく辞書を引いてみたら、これが笑ってしまうほどに手間がかかる。われながらびっくりした。紙の辞書ばかり使っていたころはパッとひらいたら目的の単語のページがひらいていて目的の単語に自然に目がいっていたものだった。だから、引こうと思ってから目的の単語に目がいくまでの時間はだいたい 1、2 秒、長くても 5 秒以内だったと思う。いまは、目的のページを一発でひらくことができず、前後に何十ページも繰ってやっと見つけるというざまだ。おそらく紙の辞書を長く使っていなかったから勘が働かなくなってしまったのだろう。

このリーダーズ英和辞典は我が家に残っている唯一の紙の英和辞典で、国語辞典を含むほとんどの辞書は電子辞書に替えてしまった。ランダムハウス、リーダーズプラス、コウビルドなどはパソコン内の CD-ROM 辞書、ロングマンやジーニアスは ATOK の辞書を使っている。

携帯用電子辞書を買えばよいではないかといわれそうだが、わたしは隠遁者みたいなものでほとんど家の中で生活しており、外出先で辞書を引く必要に迫られることが極端に少ない。せいぜい今回の公園のベンチぐらいなものだ。費用対効果の点でどうか。1000 円ぐらいで手に入るのなら買ってもよいが。それに、使ったことがないのでわからないが、あれは紙の辞書のように速く引けるものなのだろうか。
常用漢字巡る権威VSネット 「大論争」になる理由 (J-CAST テレビウォッチ)

この見出しを見たときは先日放送の「クローズアップ現代」で取り上げられていた常用漢字のことがネット上で大論争になっているのかと思ったが、そうではなくて審議する委員会内で大論争になっているという放送内容と同じ意味の見出しらしい。そりゃ、考えてみれば常用漢字なんて地味な話題がネット上で論争になるわけがないか。

この放送はわたしも見ていたが、いちばん印象に残ったのは上のリンクの記事にもある

「俺」を入れてしまえば、常用漢字は「まあ作りました。参考してください」程度の存在になってしまう

という、ある大学教授の発言だった。

常用漢字は「目安」のはずだから、もとより参考程度の存在だと思っていたが、その大学教授はそうではないと考えているらしい。それならいったい何だというのか。まったくわからない。この教授はわたしの「バカの壁」にぶち当たってしまったようだ。文部科学省サイトの「常用漢字表」のページには次のように書かれているのだが。

1 この表は,法令,公用文書,新聞,雑誌,放送など,一般の社会生活において,現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安を示すものである。
2 この表は,科学,技術,芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない。



関連記事:
「におい」、「臭い」も「匂い」もOK 常用漢字追加案
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権威主義の正体
コンビニエンスストアのローソンで「パーフェクトプラス 即攻元気ゼリー」という商品を買ってきた。

「即攻」という語は辞書にはないが、だれでも「ソッコウ」と読むし、意味もなんとなく想像できる。「すぐに攻める」という意味だろう。「ソッコウ」と読むちょっと似た語を広辞苑第六版から拾ってみると次のような語があるようだ。

そっ‐こう【速攻】ソク─ [名・他サ変]
すばやく攻めること。「─で活路を開く」

そっ‐こう【即行】ソクカウ [名・他サ変]
その場ですぐに行うこと。「地震対策を─する」

そっ‐こう【即効】ソクカウ [名]
ききめがすぐに現れること。「─薬」


たぶん、商品の開発者は「すぐに効く」という意味で「即効」を使いたかったのではないか。しかし、「即効薬」のような薬を連想させる語を食品に使うのは薬事法上問題があり、「即攻」というよく似た語を造語して使用したのではないかと思った。

最近よく聞く「ソッコーで食べる」とか「ソッコー帰る」とかいうときの「ソッコー」は、どれなんだろう。意味からすると「即行」がいちばん近い。でも、わたしはバレーボールをやっていたので「ソッコー」と聞くと「速攻」を最初に連想する。「ソッコー」というのは学生生徒がよく使うことから考えると、スポーツのクラブ活動で使う「速攻」をそのまま日常でも使うようになったのではないかという気もする。
所ジョージさんが司会をしている「1億人の大質問!?笑ってコラえて!」というバラエティ番組で、中央アジア日本語弁論大会で優勝したウズベキスタンの大学生を日本に招待するという企画をやっていた。その学生は日本語学習歴が短いのにとても上手に日本語を話すひとで、日光や鬼怒川温泉、富士山、原宿など本人の行きたいいろいろな場所に連れて行ってもらっていた。とてもよい企画だった。余談だが、所ジョージさんの仕切っている番組は良質なものが多い。

番組では、日本に来てどう思ったかについてのスピーチをスタジオのタレントたちの前でその学生にさせていた。さすがに、中央アジア大会で優勝しただけのことはあってユーモアのある堂々としたスピーチだった。本当に彼があの原稿を書いたのだとしたら、実に頭のよいひとだと思った。

唯一残念だったのは、学生がスピーチの最後で「ごセイチョウありがとうございました」と言ったときに、画面に「ご静聴ありがとうございました」というテロップが表示されたことだ。記念になることだから、この学生さんは当然この番組の録画を母国に持ち帰ったことだろう。熱心に日本語を勉強している学生さんが「ご清聴」ではなく「ご静聴」というテロップのついた映像を持って帰ったのだとしたら、残念なことだと思う。


追記:
「ご静聴」でも意味が通じないわけではないけれども、聴衆は学生さんの視点に感嘆の声を上げたり学生さんの冗談に笑ったりして全体にざわざわしており、決して静かに聴いていたわけではない。ここでは「ご清聴」が妥当と思う。

せい‐ちょう【清聴】 ‥チヤウ
他人が自分の話などを聴いてくれることを敬っていう語。「御―を感謝します」
(広辞苑第六版)



ひさしぶりに清水さんの小説を読んだ。小説の筋としては、おとなの恋愛の話、といえるだろうか。清水さんらしいナンセンスな味があるので恋愛小説というよりもユーモア小説というべきか。小説の本来の筋とは別に日本語についての雑学的なことがちりばめられている。それら雑学の部分は、ご本人が実際に経験して得た知識や他人から聞いておもしろいと思ったことを紹介していると思われる。

正直いって、単純に小説としてはいまいちの話だと思うし、日本語ウンチク本としてもさほど珍しい知識が書いてあるわけでもなくて中途半端な印象を受けた。しかし、つまらなくて読んでいられないというわけではなくそれなりにおもしろいので、電車や飛行機の中で読むのにはちょうどよさそうだ。1、2時間もあれば読める。
少し前の記事で NHK の「Style up スタイルアップ」という番組を見たというはなしを書いた。わたしの見た回は

イギリスの人気テレビ司会者で、カリスマ主婦でもあるアンシア・ターナーが、掃除も整頓も苦手な主婦たちを大特訓。(中略)毎回、2人の主婦が、アンシアの家で特訓を受けたあと、自宅の大掃除とおもてなしに挑戦し、パーフェクトな主婦を目指す。
(番組ホームページより)

というシリーズの 1 つだった。

番組では、掃除やパーティの支度のできない 2 人の主婦がカリスマ主婦からいろいろな家事のコツを教わり、自宅に帰るときにカリスマ主婦から家事のチェックリストを渡させる。「壁の表面にキズはないか」「夕食はみんなで食べる」「夕食は7時半までに食べる」といった細かいチェック項目のあるチェックリストだ。

主婦のひとりは、あまりの細かさにあきれたような顔で、次のようにつぶやく。

This must be an annual checklist, I think.

「こんな細かいこと毎日やってられないわよ。1 年に 1 回チェックすればいいことだわ」とでもいいたいように聞こえる。しかし、字幕は次のようになっていた。

これはきっと毎日のチェックリストね


字幕といっても吹き替えの音声を字幕で表示させているだけなので、吹き替えがこのようになっているということだ。なぜ an annual checklist が「毎日のチェックリスト」になるのか。もしかしたら annual には「一年間毎日ずっと続ける」という意味があるのかもしれないと思って調べたが、そういう意味はなさそうに思える。翻訳者がこんな言葉を聞き間違えるとは思えないので、何か演出上の都合があるのかもしれない。

何かご存じのかた、あるいは「こういうことではないか」という意見のあるかたがいらっしゃったら、コメントをいただきたい。
ある会社の相談窓口に電話したら、別の番号にかけることをすすめられて次のように問われた。

別の電話番号がありますので、その番号をおっしゃってもよろしいでしょうか


いろいろな想いがくるくると頭の中に浮かんだが、落ち着いて「あなたがおっしゃるということですか?」と聞いたら、「はい。そうです」と返された。自分が何か変なことをいってしまったという自覚はないらしい。

何十年も生きてきて、こういう言葉遣いを聞いたのは初めてだ。若いひとは敬語が苦手というのはよく聞く話だが、これほどまでとは思わなかった。

この窓口の女性は「おっしゃる」が「いう」の敬語であることは漠然と理解しているが、それが尊敬語であるという認識はなかったのだろう。たぶん、彼女にとっては「おっしゃる」と「申し上げる」は同じなのだ。

このようにいわれると、「おっしゃる」のは果たして誰なのか、つまり主語は何なのか、一瞬判断に戸惑う。英語でいう主語の役割を日本語では「敬語」が果しているんだな、ということを強烈に再認識させられた。


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どうぞいただいてください
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芸能人にお会いしたそうで
NHK の「Style up スタイルアップ」という番組を見た。どうやら、服飾、料理、家事などの専門家が「おしゃれな暮らし」のための助言をしている海外の人気番組を紹介するという内容の番組らしい。

「スタイルアップ」という語は初めて聞いた。同じ和製英語でも「スタミナアップ」とか「グレードアップ」なら聞いただけで意図されている意味を理解できるけれども、「スタイルアップ」という語は、それを聞いただけで意味を想像できるひとが少ないのではないか。わたしはたまたま番組を見たので意味を理解できたが、たとえば番組表に「スタイルアップ」とだけ書かれていたとしてそれを見たとしたら何の番組か想像できなかっただろう。

「アップ」の付くカタカナ語は多い。「マナーアップ」という語も最近知った。「作法向上」という意味だが、まだ耳慣れないからかどうもしっくりこない。

「実力をアップさせる」とか「給料がアップした」というような言いかたがむかしからある。だから、英語の「アップ(up)」は漢語の「向上」と同じだという認識があって、日本人は漢語を駆使して造語するのが得意なので、それと同じ乗りで「アップ」を使って造語しているのだと思う。たとえば、「体力向上」「生産性向上」「アクセス向上」は、それぞれ「体力アップ」「生産性アップ」「アクセスアップ」と言い換えられるし、むしろそのほうがよく使われているかもしれない。

「スタイルアップ」という語の意味がわかりにくいのは「アップ」のせいではなくて「スタイル」の部分があいまいだからかもしれない。NHK のひとは、より洗練された生活に変えることを何か「おしゃれ」に表現できないかと考えて「スタイルアップ」というカタカナ語を考え出したのだろう。しかし、日本人が「スタイル」と聞いて連想するのは「生活様式」ではなくて「体型」や車などの「型」のことだ。実際、「スタイルアップ」をググってみると、体型をよくするための衣類や器具の宣伝文句などによく使われているようだ。

それにしても、ふだんは日本語にうるさそうな NHK が、あえてこのような造語をするのがおもしろい。「素敵な生活入門」とか「おしゃれな暮らしへの招待」とかいう番組名だと、それ自体がおしゃれでないということなのだと思う。

ネットは単なるツールであって、新しくておもしろいことのできる画期的なメディアではないとし、ネットでものを売ったり宣伝したりしようとする企業に対してはネット利用者の大多数はバカか暇人だからあまり期待してはいけない、一般のひとに対してはネットによって人生が変わったりはしない、と主張する本。おもしろかった。

著者の中川さんは、「死ね」「ゴミ」「クズ」と他人を罵倒しまくる人が気持ち悪い、「通報しますた」と揚げ足取りばかりする人が気持ち悪い、アイドルの他愛もないブログが「絶賛キャーキャーコメント」で埋まることが気持ち悪い、ミクシィの「今日のランチはカルボナーラ」のようなどうでもよい書き込みが気持ち悪いという。

たしかに、2ちゃんねるなどの匿名掲示板では罵倒の投稿をよく見るし、アイドルブログではなく一般人のブログでもお互いただただ褒めまくり合ったりキズを舐め合ったりするだけの馴れ合いコメントはよく見るし、ミクシィでなくブログでも「今日のランチはカルボナーラ」式の記事もよく見る。

これはこの本に書いてあることではないが、いろいろなブログを見ていておもしろいなあと思うのは、ブログを書いている人たち同士がコメントをつけ合ったりして知り合いになると、そこに「世間」が自然にできてしまうことだ。誰に頼まれたわけでもなく自分で勝手に始めたブログなのに他人の目を気にして定期的に記事を書かねばならないという義務感を持ったり、ブログでの知り合いが新しい記事を書くと何かコメントしなきゃならないという強迫観念に襲われたりすることがあるようだ。

ひとが集まると世間(仲間集団)を作って安心し、その仲間うちでは正当な批判さえも控えて軋轢をできるだけなくすことに汲々とする一方で、世間の外にいるひとに対しては極端に懐疑的、排他的になって平気で罵倒するということがあるのかもしれない。なんとも日本的だなあとは思うが。やっていないから詳しくは知らないけれど、ミクシィのような SNS での日記ならなおさらそういう傾向があるだろうなと想像する。なんにせよ、実生活の世間だけでも息苦しいのにネット上の「世間」まで気にしなければならないというのはたいへんなことだ。

中川さんはネットの住人の多くは「バカ」と「暇人」だという。頭の悪い罵詈雑言や暇つぶしの難詰はたしかに多いと思うけれど、経済活動に最大の価値を置いていつも忙しくバリバリ働いている広告業界出身の中川さんが、そうではない価値観のひとを理解しかねているという面もあるのではないかという気がした。

東京在住のひと、地方在住のひと、外地在住のひと、高学歴のひと、低学歴のひと、大企業の会社員、派遣社員、主婦、引きこもりなど、ネットのない時代はそれぞれの集団の中でしかほとんど交流をしていなかったひとたちが、現在では、集団の垣根を越えて交流できるようになった、あるいは(ネットを利用する以上)交流せざるをえなくなった。つまり、それぞれのひとが自分とまったく価値観の違うひとの言動を目にすることが多くなった。まったく価値観が違うひとの言動はもちろん理解できないので、お互いに相手のことをバカといって切り捨てているというのは実生活でもよくあることだと思う。

たとえばわたしなどは、経済活動にしか意味を見いだせないひとはある意味「バカ」だと思っている。しかし、そういうひとたちはわたしのことなどまるきりの「バカ」だと思っているだろう。まあ、具体的な付き合いがなければお互いにそう思っていればよいだけなのだが、今のネットというのはそういうひと同士が出会い、否が応でも相手の言動が目に入ってしまうような場になっているということではないだろうか。
北尾まどかがフリー女流棋士に 初のケース

将棋名人戦第四局二日目が始まったばかりだが、LPSA(日本女子プロ将棋協会)所属の北尾まどかさん(「どうぶつしょうぎ」の考案者)が退会してフリーランスになるというニュースを知った。江戸時代や明治時代ならいざ知らず、現在のようなプロ制度になってからは男性棋士でもフリーランスの将棋指しというのはいないと思う。思い切ったことをするものだ。同じフリーランスとしては、ぜひがんばってほしい。

しかし、彼女がフリーランス棋士として棋戦に参加できるということになると、林葉さんや高橋和さんなどの退会(引退)した棋士や、笠井さんなどの有力アマチュア棋客との違いがわからなくなる。まあ、もともと現在の女流棋士という地位があいまいということはある。将棋界に興味のないひとには意外なことだろうが、男性棋士の基準でいえばプロ棋士になれない棋力の女性が、女性専用に用意されたトーナメント(棋戦)に参加しているというのが女流棋士といわれる職業の実情だ。特定の団体に所属している棋士だけが棋戦に参加できるというのは単なる既得権益に過ぎない。女流棋戦はすべてアマプロオープン戦にすべきなのかもしれない。
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