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外国人に英語で日本語を教えるラジオ番組を聴いていたら、「ごめんなさい」は家族や友だちなどに謝るときに使うことばで、職場などでは「すみません」「もうしわけありません」を使う、と解説していた。

わたしはそういうふうに使い分けを考えたことがなく、そのときに自然に口をついて出てくるほうを使っていたが、なるほど、そういわれてみれば、「ごめんなさい」のほうが「すみません」よりも気軽な場面で使うかもしれない、と思った。

しかし、謝意の程度でいえば、「すみません」のほうが「ごめんなさい」よりも軽いような気がする。「すみません」は謝罪以外の場面でもよく使うということもあるし、子どものころに Excuse me が「すみません」で I am sorry が「ごめんなさい」だなどと習ったことも影響しているのだろう。

もともと「すみません」は「(わたしのきもちが)すみません」、「ごめんなさい」は「御免(御容赦)ください」ということだろうから、やはり、「ごめんなさい」のほうがより直接的にきちんと謝罪していることばなのではないだろうか。職場などでは本心から謝ることばよりも謝罪しているという形式を示すことばのほうが重宝されるのかもしれない。

なお、「もうしわけありません」(もうしわけございません)という表現は文法的には誤りなのかもしれないが、現実によく使われているので実践的な日本語会話を学習したい外国人に教えないわけにもいかないのだろう。
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わたしの住む地域では雲が厚くて日食をみることはできなかった。東京でも都心のほうなど地域によってみられたところもあったらしい。代わりに NHK の生中継を見ていたが、とてもすばらしかった。現地でレポートしていたひとも感動のあまり声をつまらせる場面があった。ラジオでも新聞でもこのような中継はできない。まさにテレビの面目躍如とするところだろう。

数日前に「日食にはなんで皆既日食と金環食があるの」と妻にたずねられた。最初は何を疑問に思っているのかわからなかったが、「地球から見て太陽のほうが小さく見えたら皆既日食で月のほうが小さく見えたら金環食やがな」と答えた。「地球から月までの距離や太陽までの距離はいつも同じなのになんで大きく見えたり小さく見えたりするの」とさらにたずねられたので、「地球の軌道も月の軌道も楕円だから大きく見えたり小さく見えたりするのよ」と答えると、「え、円じゃないの」とびっくりしていた。

惑星の軌道が楕円だと初めて気付いたのはケプラーだが、有名な天文学者のコペルニクスやガリレオでさえ惑星の軌道は円だと信じていた。神の創造した宇宙は単純で美しいはずだから円に違いないと思っていたようだ。それを考えると、妻が直観的に惑星の軌道を円だと思っていたのはそうふしぎでもない。

何にせよ、皆既日食や金環食が見られるということは地球から見た太陽の見た目の大きさと月の見た目の大きさがほぼ同じということだ。これはもちろん偶然だが、なんとも作ったようにうまくできているものだと感じる。もっとも、天文学的な時間の尺度でいえば、太陽はこれから少しずつ大きくなっていくし、月は毎年数センチずつ地球から離れていくので、何十万年も先になると地球から皆既日食を見ることはできなくなるだろう。いまのこの時期にたまたま地球上にいる脳をもった存在だからこそ皆既日食や金環食を見られるわけで、それもまた大した偶然だ。

皆既日食 a total eclipse of the sun; a total solar eclipse.
金環食 an annular [gold ring] eclipse (of the sun).
(研究社新和英大辞典より)

【今使うとかなり痛い!】ビジネス・IT用語

雑誌「SPA!」の記事らしい。「ウィンウィン」「ユビキタス」「コンプライアンス」「グローバルスタンダード」「IT革命」「勝ち組」「ヒルズ族」「ネットサーフィン」などの新語はすでに古くさくなって使うのが恥ずかしくなってしまった、というような内容のようだ。

こういう語は新語だろうけれど流行語といってよいのだろうか。個人的には、流行しているから使おうと思ったことはないし、流行していないからその語を使うのは恥ずかしいと思ったこともあまりないので、記者の感覚はちょっとわからない。

「ウィンウィン」「ユビキタス」「コンプライアンス」「グローバルスタンダード」は、それぞれ経済用語だったり技術用語だったりするものの、れっきとした英語(をカタカナ語にしたもの)だ。コンプライアンスは法令遵守、グローバルスタンダードは世界標準でいいじゃないとは思うけれども、ウィンウィンとユビキタスは同じことを日本語でいうのはむずかしいからカタカナ語になるのはしかたないと思う。ウィンウィンは、わたしもたまに会話で使う。

win-win [ADJ: ADJ n]
A win-win situation is one where you are certain to do well or be successful. 
(Collins Cobuild English Dictionary)

win-win adj.
双方の側が得する, 両者に満足の行く, 関係者全員にとって良い[有利な, 歓迎すべき]
(ビジネス技術実用英語大辞典第4版)


それより、この記事の「痛い」とか「腐る」とかいう語のほうがまさに流行語的だと思うけれど、それはよいのだろうか。
淫、呪…どうする? 新常用漢字登用で議論白熱 (MSN産経ニュース)

新たに加える予定の漢字のうち、「淫」「賭」「呪」「艶」などの漢字が教育現場から不適切との指摘を受けているために再検討をするという。

「淫」。みだら。淫らな行為というのは現実に世の中にある。世の中にあることを理解したり記述したりすることができるようになってほしいから子どもに文字を教えるのだろう。文字を教えるということと、教える職業のひとがその行為をどう思っているか、あるいは子どもにどう思ってもらいたいかということとは、とりあえず関係ない。それに、なによりも、根拠なく特定のひとを蔑むような語とは違って、「みだら」というのはだれでもそうなる可能性のある状態のことだ。あ、もしかして、委員の中にそう思っていないひとがいるのか。

「賭」。かける。とす。命を賭して家族を守る、人生を賭けて何かに取り組む、すばらしいではないか。なぜこれが教育現場では不適切ということになるのだろう。

「呪」。のろう。おのれの運命を呪う、呪文、呪術、呪詛、呪い(まじない)。うーん、こんなことばさえも知らなかったら、本を読むのに苦労するだろうな。

「艶」。つややか。あでやか。妖艶。なぜこれが教えられないのだろう。あほか。もう、そんなこというんだったら、「色」も「性」も「男」も「女」も、教えるのを止めたらどうか。


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交ぜ書き
現宮崎県知事の東国原さんに国民的人気があるということになっているらしいのがどうもよくわからない。そもそも彼が宮崎県でどのような政治をしてきたのか不勉強にして知らない。宮崎の特産品を宣伝して産業の振興に成功しているらしいというのは知っているけれど、元テレビタレントという話題性でメディアが取り上げてくれるのを大いに利用したのだろうから、政治家としての実績というにはどうか。少なくとも他の政治的課題に応用が利く方法とは思えない。

というか、考えてみればどの都道府県知事の実績もわたしはよく知らない。世の中のひとはそういうことをよく知っているものなのだろうか。

テレビで話を聞いてこのひとはよいことをいうなあと思う政治家は前鳥取県知事の片山善博さん。東国原さんはバラエティ番組などで見かけることはあっても政治とか政策のことについて語るのをあまり聞いたことがなく、その考えに感心させられたという記憶はない。本当に国民的人気があるのだろうか。

彼の師匠のビートたけしさんなら国民的人気があると思う。ともかく人気がありさえすればよいということなら、自民党はむしろビートたけしさんに出馬要請したほうがよかったのではないか。
ひとには門はないのだから「コーチの門を叩く」は誤用ではないかという考えかたがあるようだ。広辞苑第六版では次のようになっている。

もんをたたく【門を叩く】
弟子入りを願って訪れる。「名優の―」

たとえば、「王選手は荒川コーチの門を叩いて一本足打法を開発した」とか「長谷川町子は若くして田河水泡の門を叩いた」とかいう言いかたは別におかしくないとわたしは思う。この場合の「門」は物理的な門扉のことではなくて一家をなしたひとが弟子を受け入れたり追い出したりする境になる象徴的な「門」なのだろう。だから、「入門」を許されたひとたちは「門人」あるいは「門下生」になる。もともとは仏教あたりから来たことばではなかろうか。

もし誤用というのなら、「医者の門を叩く」「ハリウッドの門をたたく」「ハローワークの門を叩く」という言いかたのほうだろう。これらはいずれもネット上で見つけた表現だが、上記のように解釈すれば、それぞれ、医者の卵が高名な医師に指導を乞う、指導を受けにハリウッドに行く、ハローワークに弟子入りを志願する、というような意味になると思われる。しかし、実際には、それぞれ、治療を受けに医者に行く、ハリウッドに進出する、仕事を紹介してもらいにハローワークに行く、という意味で使われていた。やはりある種の比喩として使われているとはいえ、象徴的な「門」というよりも、物理的な門扉により近い意味で使われているようだ。

これは「敷居が高い」の意味が広くなってきているのと似ているなあと思った。またまた広辞苑第六版から引用する。

しきいがたかい【敷居が高い】
不義理または面目ないことなどがあって、その人の家に行きにくい。敷居がまたげない。

だから、「親に借金をしてから敷居が高くなって帰省できなくなった」というような使いかたが本来だろう。しかし、実際には、「あの店は高くて一般庶民には敷居が高い」とか「精神科はまだまだ敷居が高い診療科だ」とか「外国人には敷居が高いと見られている私立名門校」のように、辞書の語義とは違う意味で使われることが多い。もともとは心理的な抵抗感を象徴していた「敷居」が、ハードルのような物理的な障害物により近いものとして認識されるようになってきているのかなと思う。

まるたけえびすに、おしおいけ、あねさんろっかく、たこにしき

通りの名前を見ながら京の街を通っていたらこの手まり歌を想い出した。わたしが知っているのはここまで。続きは次のようになるらしい。

しあやぶったかまつまんごじょう、せったちゃらちゃらうおのたな、ろくじょうひっちょうとおりすぎ、はっちょうこえればとうじみち、くじょうおうじでとどめさす


何のことやらと思うひとも多いかもしれないが、これは、丸太町、竹屋町、夷川…と京の通りの名前が北から順に並べられている唄なのだ。この唄のおかげで京に詳しくないわたしも、ああ、これが姉小路なのか、じゃあ次は三条かな、と思いながら通ることができた。


追記(2009/07/06):
この手まり唄が聴けるサイトを見つけた。
京都倶楽部・京の頑固のひとり言
ゆえあって、京都のホテルに滞在している。そのホテルの部屋のトイレに貼ってある注意書きに、次のような英文が書かれていた。

When you sit on the seat, automatically the cold water flow. Wait for the "off" the lamp to wash.

これは、いったいぜんたい?
トイレに座っているときというのは頭は暇なものだ。そこで、その暇な頭を使ってどういう意味なのかよくよく考えてみた。が、残念ながら、わたしにはよく意味がわからなかった。もしかしたら、わたしが日本人だからわからないだけで、英語ネイティブならよく理解できるというたぐいの文章なのだろうか。

最初の when 節はいいとして、主節の flow は名詞のつもりなのか動詞のつもりなのか。名詞だとすると文として成立していないが、動詞だとしたら、なぜ三単現の s がついていないのだろう。the cold water というのも、どの cold water のことかと問いたくなる。2 つ目の文は、著者の意図を想像することもできなかった。
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