上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
白いペンキで「カメデス」と落書きされたのカメが山梨の公園にいて、県はそのカメを保護して落書きを消そうとしているという報道があった。

今日の夕方のニュースによれば、いまのところ、その保護がなかなかうまくいっていないらしい。女性アナウンサーはそのニュースを読み上げた後で、「かわいそうですよね。カメの気持ちを考えてほしいと思うんですよね」と意見をいっていた。本当にそう思っていったのか、それとも「そういう姿勢で報道しましょう」という打ち合わせが事前にあってそういったのかわからないが、落語家が同じことをいったら客がドッと笑ったとしてもおかしくない、滑稽な発言だと思う。

もちろん、ひどいいたずらだとは思うが、ネールアートのようなものだからカメ自身は痛くもかゆくもないだろう。それに、カメが自分の甲羅を見ることができるとは思えないし、「先日背中に何か書かれちゃって恥ずかしいなあ」と意識する能力も記憶力もないだろう。だいたい、あのアナウンサーは、ペットのイヌに首輪をすることや、服を着せたり靴を履かせたりするひとがいることについてはどう思っているのだろうか。

それよりも、九州で病気に感染していないウシやブタが何十万頭単位で殺されているという報道には、ふだんは動物に冷たいわたしもさすがに心が痛んだ。人間に肉を供給するために工業製品のように飼育されているとはいえ、それほど大量の生きものがまさに工業製品のように処分されるというのは理屈抜きで何かおそろしい気分になる。シーシェパードとかグリーンピースのひとたちは何といっているのだろう。

スポンサーサイト
先日は妻の誕生日だったのでスーパーに買い物に行ったついでに発泡ワインでも買って帰ろうと思いたった。ワインの売り場に行くといろいろなワインが並べられていたが、どれが発泡ワインなのかわからない。もともとわたしにはワインの造詣などまるでない。店員さんに聞こうと思って見渡してみたが店員さんが見あたらなかったので、レジのところに行ってレジ打ちの人に「商品について聞きたいことがある」といって人を呼んでもらった。

ワイン売り場の前で待っていると、しばらくして五十代ぐらいの男性がやってきた。「発泡ワインがほしいんですが」というと「ハッポーワイン?どのようなものですか」といわれた。「泡の出るワインです」「泡の出るワイン?」「シャンパンとか泡が出るでしょう?」「ああ、シャンパンはクリスマスぐらいにしか入れていません」「シャンパン以外の発泡ワインもないのですか」「ハッポーワインというのがよくわからないのですが…」というやり取りがあって、心の中で「このひと発泡ワインも知らないのか」と思いつつも、けっきょくワインは買わずにレジに並んで買い物を済ませた。

レジを出てから、さきほど人を呼んでもらったレジの人に「さっきの人、発泡ワインも知りませんでしたよ」と言ってみたら「ハッポーワイン?ごめんなさい、わたしも知りません」「泡の出るワインですよ」「いや、ワインはちょっと…」と言われた。ここで初めて「あれ?自分の言語感覚のほうがおかしいのかな」と思い始めた。

その後、スーパーからの帰り道にある酒屋さんに寄って「発泡ワインありますか」と聞いてみた。若い店員は少し不思議そうな顔をしてから「ハッポーワインは、ちょっと…」と言いかけたが、近くにいた別の若い店員が「発泡ワイン?スパークリングワインのことだよ」と口添えしてくれたおかげで、「ああ、こちらです」と売り場まで連れて行ってくれた。わたしは内心で「ああ、そうか、スパークリングワインともいったな。さっきもそういえばよかったのか」と思った。

けっきょく発泡ワインを1本買って帰ることができたわけだが、だれでも知っているだろうと思っていた語が実はそうではなく自分のほうが少数派だったのかと思わされた体験だった。ちなみに「スパークリングワイン」といわなかったのはカタカナ語を使いたくないとかいったこだわりがあったわけではなく、単にその語を忘れていただけだ。Google で調べてみると「発泡ワイン」は 約 29,700 件、「スパークリングワイン」は約 1,160,000 件で、まったく桁が違う。カタカナ語の「スパークリングワイン」のほうがとおりがよいのかもしれない。
「聞く耳をもたない」という慣用句の意味を辞書で調べていたら、ある和英辞書に「聞く耳を持たなくなる」の訳語として become deaf と書いてあった。へえ、そういう言いかたがあるのか。で、Collins Cobuild English Dictionary を見ると

deaf
If you say that someone is deaf to people's requests, arguments, or criticisms, you are criticizing them because they refuse to pay attention to them.

とのことらしい。なるほど。

... you are criticizing them because ... というのがミソで、どうやら英語においてもこの表現は相手を非難するときに使うものであって、政治家が国民に対して使うような表現ではないようだ。

とはいうものの、これは悪い態度の比喩に聴覚障害者を使う表現なので、英語ではどうなのか知らないが、自分が英文を書くときにはどうも使いにくいと思う。こういうことをいいたいときは Cobuild のように refuse to pay attention とでも書くか、be indifferent to などを使ったほうがよさそうだ。
子どものころから「女王」という語を「ジョーオー」と発音してきた。「ジョオー」という読みかたがあるらしいということを知ったのはほんの数年前のことだ。そのことを初めて知ったときは、ほなあほな、みな「ジョーオー」と発音しとりまんがな、と思ったが、「女王」の発音について取り上げているいろいろなブログやホームページなどを見てみたら、自分は「ジョオー」と発音していて「ジョーオー」などという発音は聞いたこともない、というわたしとは正反対の意見がけっこうあった。おもしろい。

先週のサザエさんでたまたま「女王」をテーマにした話があったので注意深く聞いてみたが、カツオもワカメもサザエさんも波平さんも「ジョーオー」と発音していたように思えた。また、将棋女流タイトル保持者の称号に「女王」というのがあるが、棋士やアナウンサーがそのタイトル保持者をどう呼ぶかをテレビで注意深く聞いてみても「ジョーオー」と発音しているようにしかわたしには聞こえない。

ただ、語の聞こえかたというのはけっこういいかげんというか、自分が知っている、または思い込んでいるように聞いてしまうということはある。たとえば、「雰囲気」という語の発音を「ふいんき」だと思い込んでいる人は、たとえ他人が「ふんいき」と発音していても「ふいんき」と聞いているのだと思う。

人はなぜ騙されるのか―非科学を科学する (朝日文庫)」というとてもおもしろい本に、著者の知り合いで日本語が流暢な在日外国人についての話がある。その外国人がタクシーに乗って「柳馬場蛸薬師」と日本語で目的地をいうと、運転手は何か英語で話しかけられたと思い込んで「アイ・ドント・スピーク・エングリッシュ」などといってくるそうだ。外国人の顔をしているというだけで相手のいったことが何でも英語に聞こえてしまうわけだ。その後、その人は、タクシーに乗ったらすぐに「どっこいしょ」といったり、目的地をいう前に「ほれ、あるやろあれ」などと前置きしたりすることで、運転手に「この外国人は日本語を話しているんだ」と思ってもらうことに成功したという。これも、人間は耳で物理的な音を聞いてそれだけで理解しているのではなくて、自分の思い込みも含むいろいろな文脈に基づいて理解しているというわかりやすい例の1つだと思う。

発音の聞き取りということだけではなくて内容の理解についても同じことがいえる。聞き手がわからないと思い込んでいれば、わかるはずの話もわからない。大学の先生の話だからむずかしい話なんだろうと思って聞くとわからないが、同じことを池上彰さんがいえばわかるということもある。

そう考えると、自分が話したり書いたりしたことのうち、意図どおりに相手に伝わっている部分はかなり少ないのだろうなと思う。わたしはお人好しなので相手のいうことは基本的に好意的に受けとめるし、たいていのことは善意で発言しているのだが、どうも、「他人がそんな人の好いことをいうわけがない」と思われて誤解されることが多いような気がする。その場合、その相手は少なくとも「お人好し」ではないのだろうと思う。けっきょく人間というのは他人の発言を「自分」というフィルターを通してしか理解できない。万物の尺度は人間、というのはこういうことなんだろうか。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。