上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この春に松岡農林水産大臣が自殺したとき、それを受けて安倍首相が「慚愧に堪えません」と発言した。「慚愧に堪えない」は「自分の行為を反省して、心から恥ずかしく思うこと(明鏡国語辞典)」という意味だから、安倍さんは何を反省したのだろう、ということで話題になった。

思うに、安倍さんは「残念でしかたがない」というようなことをいいたかったのだと思う。その「残念」の「ザン」と、うろ覚えで知っていた「慚愧(ザンキ)に堪えない」が頭の中で交ざってしまったのだろう。

このことで思い出すのは、評論家の呉智英さんが何かの本で、「すべからく」を「すべて」の意味で使っている文化人は俗流教養主義に冒されている、という主旨のことを書いていたことだ。

「すべからく(須く)」は「すべからく、何々すべし」と「べし」と組み合わせて使うのが伝統的である。意味も「すべて」ではなく「なすべきこととして」である。これは、「いわんや(況や)」などと同じように、漢文で読み下すときに文頭に出てくる文字に読みを当てざるをえなかったためにできたことばだ(と思う)。

しかし、本を読んでいると「日本人はすべからくお箸で食事をします」というような「すべて」の意味で使う破格の文を見ないでもない。呉智英さんは、そのような誤用をするひとは教養コンプレックスをもっていて、教養があるように見せたい、つまり虚勢を張りたいという卑しい気持ちがあるのだというのである。

それと同じように、「残念でなりません」よりもかっこうのよい知的な表現だと思って、ちょっと見栄を張るようなつもりで「慚愧に堪えない」と安倍さんはいってしまったのだろうか。そう考えると、必要もないのに「子育てフレンドリー」のようにカタカナ語を多用していたのも同じ理由なのかという気がしてくる。

なぜいまごろこんなことを書いているかというと、最近、同じような「ざんきに堪えない」の使いかたをたまたま見たからだ。

日本将棋連盟の武者野勝巳六段が連盟から引退勧告されたということについての日刊スポーツのニュース記事に、「同連盟は今回の事態を『ざんきに堪えないところ』としている」と書かれている。これも反省しているという意味にはとりにくい。「慚愧に堪えない」ということばは新しい意味を獲得しつつあるのかもしれない。


追記:
安倍首相の「慚愧に堪えない」発言については、子守男さんが「農水相の自殺は「慙愧に堪えない」?」という記事を書かれている。


関連記事:
職責にしがみつくことはない
I shall reflect on the things we should reflect on
安倍首相と「親切」ということば
子育てフレンドリー
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://tangoya.blog95.fc2.com/tb.php/187-5f18f0fd
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。