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若者が歴史に興味をもたないのは自分に歴史がないからだ、と何かの本で読んだことがある。

なるほどと思う。子どものころのことを想い出してみると、歴史の授業で教わることなんて自分とは関係のない大昔のことだと思っていてまったく現実感がなかった。丸暗記はもともと苦手なのだが、年号を覚えるのは化学用語や英単語の暗記よりもさらに無意味に思えて苦痛だった。化学用語や英単語なら将来何かの役に立つかもしれないが、年号を覚えることが役に立つわけがないと思っていたからだ。それはいまでもある程度そう思っている。

それでも、中年になって自分に歴史ができてきたからだろうか、歴史の意義というものが前よりは少しわかってきたような気がする。歴史も地理も、いろいろなところで働いたり旅行をしたり本を読んだりしていると自然に覚えていくというところがある。わたしは京都府出身で関東の地理などはまったくわからなかったが、東京近郊で働くようになって少しずつわかってきた。

一般に、社会科は現実的で、数学や理科は抽象的と認識されていると思うが、少なくとも子どもにとってはそれは逆だと思う。

近畿の田舎で育ち、となり町に行くことさえめったになかった子どものころのわたしにとって、九州とか関東、東北といった地域は抽象的な概念だった。ましてや、米国とかアフリカとかいわれても現実に存在するものだとはとても思えなかった。

また、自分の過去がほとんどなく将来のことのほうに関心の高いのだから、鎌倉幕府がどうしたとかローマがどうしたとか漢王朝がどうしたという話も、まさにお話にすぎなかった。経済のしくみも、社会のしくみも、政治のしくみも、そもそも経済活動、社会活動、政治活動に参加していないのだから現実感があるわけがない。

逆に、数学(算数)なら、リンゴ 2 つとリンゴ 3 つで 5 つになるというのは、非常に現実感のある話である。理科の実験にしても、学校でやっても家でやっても、どこでやっても同じ結果になるはずの現象なのだから、とても具体的で現実的なことである。だからわたしは理科が好きだった。

これは、都会で生まれ育ったひと、あるいは親が転勤族だったひとではまた違うことになるだろうと思う。そういうひとは早くから社会や地理といったものの意味を理解するに違いない。この雑文は、やはりわたし個人の歴史に由来する考えを書いているだけに過ぎないのだろう。
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