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NHK スペシャルで「ビューティー☆ウォーズ」というのを見た。日本人が年間で化粧品に遣う金額は CD、DVD に遣う金額の 2.5 倍だという。そういう「世界一化粧品にお金を遣う日本女性の美肌熱」についてのドキュメンタリだ。

登場するおおぜいの女性は、老も若いもみな、美肌と若返りに異常な執着を示していた。化粧品会社などの企業のひとたちは、いくらでもお金の沸いてくる優良な市場として冷静にコメントしていた。しかし、何ら利害関係のないわたしは、なんとも、不気味、奇怪、グロテスクな執着を見させられたと思った。いっしょに見ていた妻も同じ感想をもったようだ。

もちろん、老いて機能の衰えたからだよりも若くてよく機能するからだのほうがよいというのは人情だ。老化したざらざら肌よりも若者のすべすべ肌のほうがよいと思うのもわからなくもない。しかし、人間はだれでも生まれて老いて病んで死んでいくのであって、老化ということをやみくもに忌み嫌うのは自分自身を忌み嫌うのと同じことだと思う。

だいいち、肌の状態だって、そのひとの人生を反映しているものだと思う。何かを記憶するのは脳だけではない。わたしの腕には、若いころクラゲに刺されたときの跡がいまだに残っている。これは、わたしがわたしである証拠、アイデンティティである。お百姓さんや漁師の日焼けした顔や固くてごつい手は、よくも悪くもそのひとの人生を反映している。そういったものを変えようというのは自分の人生、アイデンティティを否定することにはつながらないだろうか。

わたしは頭が禿げているが、かつらをつけたり養毛剤を使ったりしようと思ったこともない。頭が禿げるのは葉っぱが紅葉して落ちるのと同じ自然現象の 1 つであり、禿げているわたしは、そのままでわたしである。

別のドキュメンタリ番組で、日本を脱出してタイのチェンマイで後半生を過ごしている日本人の話も最近見た。ある男性は、日本にいたときは意思疎通に不自由はないのに疎外感を感じていたが、タイではことばは通じないのに心が通じていること感じるという。別の老夫婦は、日本にいたときは若いひとから汚いものをみるかのように扱われていたが、タイのひとたちは自分たちと自然に接してくれる、といっていた。ドキッとした。

日本人は、老いというものを忌み嫌い、自分の中から老いの要素を徹底排除しようとしすぎているのではないか。老いとはだれか赤の他人の属性であって自分には属さないものだと思いたいがために、現在老いているひとを忌み嫌って邪険に接するようになってしまっているのではないだろうかと思った。


追記:
この番組は NHK BS でやっていた再放送で最近見たのだが、本放送は 9 月ごろだったようだ。なんとも古い話題で申しわけない。
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