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もう何年も前、大学のときの友人が子どもを連れて遊びに来た。別にそれが目的でたずねて来たわけではないが、何かの拍子で、どういうふうに仕事をしているのか子どもに見せてやってくれということになった。そこで、翻訳支援ツールの機能を簡単に説明したあとで、DDwin というソフトウェアで何十もの辞書を一度に串刺し検索して見せた。その串刺し検索には、その子よりも親である友人のほうが感動していた。

その気持ちはとてもよくわかる。だって、わたしと同世代のひとで語学をやったことのあるひとにとって、ある単語を、いろいろな辞書で一度に引くというのは夢だったのだ。

ある単語なり表現なりを調べようとする。1 つの辞書で引いてもどうもピンとこない。だから、別の辞書でも引いてみる。それでもまだ納得いかないので専門辞書を引いてみる。うーん、なんだか日本語にごまかされている気がする、と思って今度は英英辞書を引いてみる。ああ、そうかそうか、えーっと、最初に引いた辞書にはなんて書いてあったっけ、と思って最初に引いた辞書に戻る。

外国語の学習をある程度やったことのあるひとは、こういう経験をしていると思う。あー、面倒くさい。同じ単語に対して一度に複数の辞書を横断して引けないものか、と思ったものだ。

いまでは、それはけっこう簡単にできる。パソコンに複数の辞書ファイルを入れてさえおけば、「串刺し検索」は無料のソフトウェアでも可能である。

それから何年かして、60 代の男性がうちにたずねてきたことがある。ちょっとした座興のつもりで、そのひとにも串刺し検索を実演して見せてあげた。「へえ、すごいねえ」という反応があるかと思っていた。

ところが、「それがどうしたの」と冷たくいわれてしまった。「すごくありませんか」といっても「いや、べつに」といわれてしまう。あらら、とずっこけた。

そのひとはそれまでの人生で単語や表現を辞書で調べたりしたことがないのだと思う。ましてや、同じ単語を複数の辞書で引くなんてことに何の意味があるのと思っているにちがいない。

バカにするつもりで書いているわけではない。そのひとはそういう必要のない人生を歩んでこられたわけだ。むしろ、だれもが串刺し検索のおもしろさを理解できるだろうと思っていた自分がおめでたかった。

つまり、自分のよく知らない世界のことを想像して評価することはむずかしいという話。わたしはフィギュアスケートを見て、きれいだとか、あ、失敗した、とか無責任にいっているが、少しでもスケートを経験したひとは、そういった技術をもっともっと深く理解して評価ながら見ているのだろうと思う。
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