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解剖学者の養老先生が「言葉とモノの関係を、ムシの専門用語から考えてみる」という記事で、次のように書かれている。

正しい字があるのではない。「正しい読み方」しかないのである。(-略-)正しい発音があるのではない。正しい聞き方がある。

語弊のありそうな言い方だが、この「正しい」は「本来あるべき」というようなことではなく「多くのひとが共有する」という意味だと思う。

たとえば、「灯り」という字を手で書けば 100 人が 100 人、それぞれ異なる大きさとかたちで書く。重ね合わせてぴったりと合う文字が書かれることはまずない。それが「正しい字があるのではない」ということだろう。それでも、そういう字を読んでわたしたちは「あかり」と読んで意味を正しく理解する。正しい書き方はないのだから「正しい読み方」しかない、というのだろう。

同じように、「あかり」と発音するときに、アナウンサの発音、なまりの強い人の発音、日本語を覚えたての外国人の発音、3 歳児の発音はすべて違うはずだ。それが養老先生のいうところの「正しい発音があるのではない」ということだろう。そういう、個別具体的にはすべて異なる発音を同じ語として認識できることが「正しい聞き方がある」ということだと思う。

わたしたちの経験は、一見同じように見えても個別具体的には前の経験とまったく同じということはありえない。毎日会っている肉親の顔だって、今日見ている顔は昨日見た顔より 1 日分だけ老けているはずだ。そのような具体的には同じでないものを同じと見なすのが、脳、つまり心の機能だということを、養老先生はよく本に書かれている。

それはまあ当たり前のことで、それが「抽象化能力」ということじゃないの、と思う。

ただ、この「異なる」という点に注目したがる人と、「同じ」という点に注目したがる人がいると思う。芸術家は前者だろう。たいていの芸術作品は、世界に 1 つしかない、一回性のものだから。

わたしはたぶん後者で、個別具体的で他人と共有できないことは本人にとってしか意味がない、同じ意味が伝わるのならどういうかたちでもよいと考えているところがある。だから、残念なことに芸術はほとんど理解できないし、英語の発音がよいとか悪いとかいうことにも興味がない。
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