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縞格子さんのブログで「おとなの小論文教室」というサイトの最近の記事(「いきやすい関係」「いきやすい関係2――関心リッチと関心プア」)が紹介されていたので読んでみたらおもしろかった。

詳しくはリンク先の記事を読んでもらいたいが、乱暴にまとめれば、親しい人を白、まったく知らない他人を黒だとするとその間にいるひとたちが「グレーゾーンの住人」で、そのグレーゾーンのひとたちが互いに関心を持ち合うことで世の中住みやすくなるのではとのことだ。

なんだ、「グレーゾーン」って「世間」のことじゃないか、とわたしは思った。実際、リンク先の記事の「グレーゾーン」をそのまま「世間」と置き換えても何の問題もなく意味が通る。とても親しいひとは、身内のようなものであって世間の範疇には入らない。逆にまったく知らないひとも世間ではない(だから「旅の恥はかき捨て」できる)。このひとのいう「グレーゾーン」というのは、日本語で「世間」のことだ。

世間のひとたちが互いに関心を持ち合うことで世の中が住みやすくなるとはわたしは思わない。もう少しいえば、ものごとを考えたり決めたりする基準が世間つまり人付き合い以外にないというのが、都会人のものの見かただと感じる。世間なんて大したことはない、世界の中のほんの小さな一部に過ぎない、と世間を相対化できるものは現実にはたくさんあるはずだ。夜の星でもよい。海の世界でもよい。あるいは、ファーブルのように昆虫を観察すれば生物の世界は世間なんてものよりもはるかに広いということがわかる。

子どものころ、天体観測好きのわたしのために親が天体望遠鏡を買ってくれたことがある。貧乏な家庭だったので経緯台の屈折望遠鏡といういちばん安い製品だったがとてもうれしかった。すると、隣り近所が相次いで子どもに天体望遠鏡を買い与えた。それも、赤道儀の反射式という子どもにはもったいないような製品だった。わたしは天体観測が好きだったので望遠鏡を無駄にはしなかったが、もともと天体観測が好きでもなく天体についての知識もない子どもたちは買ってもらった望遠鏡をほとんど使うことがなかったようだ。こういうのは、世間の典型的にバカらしいところだと思う。

もちろん、そういう、世間のしばりの強い田舎にもよい面もある。部屋の中でひっそり飢え死にするようなひとはいない。何か他人と違うこと、目立つことをすればすぐに村じゅうに知れわたるから、治安もよい。そういう面を考慮しても、闊達に暮らせないことのほうがわたしにはつらい。そういう「世間」がいやだったから、わたしは田舎から東京に出ていったまま帰らないのかもしれない。翻訳なんて仕事はどこでもできるわけだけれども、いまでも田舎に帰るつもりはまったくない。

まあ、都会にも都会なりの世間がある。マスコミが作っている世界も 1 つの世間だと、最近思うようになった。先日のニュースキャスタの不倫騒動による自主謹慎は「世間」による制裁だったと思う。また、雪印食品の食品偽装を告発した西宮冷蔵のことを先日 NHK でこの事件の再現ドラマをやっていたが、いろいろな関係者から「世間」ということばが出てきた。関係者は無意識に「世間」ということばを使っただけで、「世間」の問題だとはあまり意識していないかもしれない。しかし、西宮冷蔵が雪印食品以外の取引先から見放されて倒産状態になってしまったのは「世間」による制裁だったとしかいいようがない。そういう、「世間」というものの、理屈も道理も通用しない理不尽さがわたしはきらいだ。

阿部謹也さんの「世間」とは何か (講談社現代新書)によれば、欧米人は日本人のことを権威主義的であるとしばしばいうそうだ。

権威主義的とは威張っているということではない。自分以外の権威に依存して生きていることをいうのである。その権威が世間なのである。
(中略)
何かの意見を聞かれたとき、自分の意見をきちんということが大切であるが、他の人の意見を聞きながら自分の意見をそれに合わせたりすることも権威主義的と呼ばれるのである。


そのとおりだと思う。けっきょく、他のひとたちがどう考えているのかを察してその意見に合わせる、つまり「空気を読む」のが、この国で生きやすい生きかたなのだと思う。西洋ではキリスト教などの宗教が自分や世の中の成り立ち、行動の指針を示してくれる。つまり、人付き合いからは独立した基準がある。日本にはそういうものがなく、「世間」がその代わりとしての「基準」になっているのだろう。日本にはいまでも「個人」は存在しない、と阿部さんは喝破している。

ここまで書きながら考えていたら、自分がフリーランスという職業形態を選ぶことになったのが偶然ではないということに気付いた。「世間」の中でひとの顔色をうかがいながら生きるのが嫌いなわたしには会社という世間が耐えられなかった。フリーランスにもフリーランスなりの世間はあるが、西宮冷蔵の社長のように、たとえ自分が飢えたとしても不正な仕事は請けないという自由はある。会社員にその自由はあるのか。雪印食品の社員は悪いことだと自覚しながらも食品偽装に手を染めた。(会社内の)世間には逆らえなかったのだ。
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