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【教育】国際数学・理科教育動向調査 日本の子供の弱点浮かぶ (産経ニュース)

少し古いニュースだが、小学生を対象に行われた「国際数学・理科教育動向調査」で、日本の子どもは文章題や記述問題に弱いことがわかったという。この調査は各国の子どもの数学や理科の学力を測るのが目的だったのだろうけれど、むしろ日本の子どもの国語力の低さが露呈したというのは皮肉なことだ。

数学の成績も理科の成績も国語力に負うところが大きい。それは、言語の能力と抽象化能力の高さに相関があるからではないかという気がする。畢竟、知能というのは抽象化能力のことではないか。かつて大学で心理学を専攻したものとしていわせてもらえば、心理学上、「知能」の明確な定義はなかったはずだ。それなら自分なりに知能を定義しても問題なかろう。

言語にはものごとを抽象化する機能がある。たとえば、「消しゴム」といっても、わたしの使っている消しゴムとあなたの使っている消しゴムは同じではない。わたしの使っている消しゴムでも、昨日の消しゴムと今日の消しゴムは違う。消しゴムを 5 個買うというけれど、消しゴムが 5 個あればそれらはそれぞれ別々の消しゴムだ。しかし、言語というのは、それらをすべて「消しゴム」という同じことばで表現して同じものとして扱う。文章題を解けないというのは、そのようにものごとを抽象化して考えることに慣れていないというか、得意ではないからだと思われる。

むかし塾でアルバイトをしていたときに気付いたことだが、文章題が表現している世界を客観的に理解することができない子どもがいる。たとえば、「花子さんは文房具屋で消しゴムと鉛筆をあわせて10個買いました」というような問題を読んだとき、「花子さんってだれ?どうして『あわせて 10 個』なんてわけのわからないことをいうの?自分で買ったのに消しゴムと鉛筆をいくつずつ買ったかを覚えていないの?」というような感じかたをするらしい。

その言い分は正しい。正しいが、算数の文章題を解くためにはすこぶるよろしくない。買った人は花子さんじゃなくて太郎君でもよいし、消しゴムと鉛筆ではなくてキャベツとブロッコリーでもよい。そんな個別具体的なことは本当はどうでもよいのだ。しかし、個別具体的なことがどうでもよいということが理解できていない。個別具体的なことを度外視するというのは抽象化して考えるということだ。つまり、その子には抽象化する能力が発達していない。


知り合いでちょっとした事業を始めようとして近所にポスティング(チラシを個人宅に投函)したひとがいる。そのひとがポスティングを始めた日に、自分が投函したチラシを読みもせずに捨てるひとを見かけてショックを受けた、とわたしに電話でこぼしてきた。そりゃそうだ。あんなものはダイレクトメールみたいなもので、何千、何万と配って 1 件なり 2 件なりの反応があればよしとしたものだろう。しかし、彼は自分の入れたチラシならちゃんと読んでくれるに違いないと確信していたらしい。じゃあ、君は自分の家にきたチラシをちゃんと読んでるの、と聞いたら、「いや、そんなものはすぐに捨てるよ」と答えたのでずっこけた。

落語のような話だが本人は大まじめで何がおかしいのかわからないらしい。自分のふだんやっていることを考えれば自分の入れたチラシを捨てるひとが多いということは容易に想像できるはずだ。しかし、彼は、なぜだか自分の入れたチラシだけは違うはずと思いこんでいる。これは、個別具体的なことから離れて一般的な傾向を導き出す、という抽象化作業ができていないということだろう。

実は、わたしは、大学に入るまで、知能とは論理的に考える能力のことで、知能の高いひとの代表はニュートンやアインシュタインのようなひとだと思っていた。そして、そういう知能の高さと言語能力は関係がないと思っていた。だから、大学で心理学を専攻して、WAIS という非常に古い知能テスト(IQ テスト)に「言語性検査」という言語能力を測るテストがあることを知って、変だなあと思った。しかし、今では言語能力と知能に密接な関係があるということに納得している。上に書いたように、言語能力とは抽象化能力のことだということがわかったからだ。
コメント
この記事へのコメント
算数の文章題が国語力だということは昔から感じていました。書いてあることの「本質的な意味」は抽象化しないと読み取れませんものね。
そういう意味では、読書は文字という完全抽象物から具体的意味への変換を絶えず強いられる作業であるだけに、逆方向ではあるけれど抽象化能力鍛錬には最適なものかな。
誰かじゃないが、マンガばっかり読んでるとろくな大人にならない・・・

チラシのお話しは落語みたいですね。どっちかというと自己相対化、あるいは想像力の問題ではないかと思います(笑)
これまた誰かじゃないが、自分を客観視できないとね!
2008/12/17(水) 18:17 | URL | 彩季堂 #/aF5ZJNE[ 編集]
そうですね。学力向上には読書はとても大切だと思います。むしろそれ以外の方法は思いつきません。最近のテレビのクイズ番組を見ていると、日本語についての知識がなさすぎると思われる回答者が多いですねえ。あれは本当なんですかね。盛り上げるために知らない振りをしているのでしょうか。

>完全抽象物から具体的意味への変換を絶えず強いられる

なるほど、そのように考えたことはありませんでした。文章を読んで理解するということは何かの具体的意味を知ることになるのかなあ。うーん、ちょっといまは考えがまとまりません。

チラシの話は、おもしろいですよね。そういうひとって本当にいるんですねえ。
2008/12/17(水) 23:20 | URL | たんご屋 #Qhkulfr2[ 編集]
「具体的意味」は、ちょっとまずかったですね
すべからく言語、言葉は抽象物なので、具体的かそうでないかに関わらず、「意味」あるいは「イメージ」への変換操作こそが理解ということだ、くらいの意味でした。ぼんやり状態で文章を読んでると目は字を追ってるが、何が書いてあるか分からないことがあります。そんな時は変換機能がオフなんだと思います
脳の中ってどうなってるんでしょうねえ!

2008/12/18(木) 07:37 | URL | 彩季堂 #Ip/fgraw[ 編集]
考えてみると、紙の上のシミ(明暗模様)である具体的な「文字」から、著者と読者の間で共有可能な何らかの概念を理解するということだとすると、やはり抽象化の一種なんでしょうかね。個別具体的にはさまざまな大きさ、さまざまな書体であり得る文字というものを、一律に読みとることができるということ自体が抽象化かな。
2008/12/18(木) 08:25 | URL | たんご屋 #Qhkulfr2[ 編集]
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