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とても残念で悲しい事件が日米で続けて起きた。バージニア工科大銃乱射事件の犠牲者とその関係者のかたがた、および故伊藤一長さんとその関係者のかたがたに衷心より弔意を表したい。

ところで、日本ではバージニア工科大銃乱射事件の実行者の名前に「容疑者」という呼称をつけて報道されている。こういう言いかたは聞き慣れてきているものの、この事件のように実際に犯行が行われているところが多くの人によって視認されているにもかかわらず「容疑者」をつけて呼ばれるとさすがになんだか妙な気分になる。

故長崎市長を至近距離から射殺し、その場で取り押さえられたうえに犯行を認めている人物も「容疑者」の呼称つきで報道されている。これにも同様の違和感がある。

Google ニュースでバージニア工科大銃乱射事件のニュース記事からチョ・スンヒ氏に関する表現を拾ってみると、次のようなものがあった。

銃乱射事件の犯人チョ・スンヒ容疑者(東亜日報)
銃乱射事件で犯行後に自殺したチョ・スンヒ容疑者(福井新聞)
バージニア工科大学銃器乱射事件の犯人、チョ・スンヒ容疑者(ライブドア・ニュース)

どの例でも、一方では犯人と断定しながら、もう一方では「容疑者」という呼称をつけるという滑稽なことになっている。

むかしはこのような習慣はなかった。Wikipedia によれば、「容疑者」をつける言いかたがふつうになったのは 1989 年 12 月からだそうだ。たしかに、その年に連続幼女誘拐殺人事件で逮捕された男性は呼び捨てで報道されていたような記憶がある。

裁判で有罪が確定するまでは推定無罪であって犯人ではなく容疑者(被疑者)であるという理念はわかるが、現実には犯人扱いで報道しているのにかたちだけ容疑者をつけてごまかしているということも多い。堀江元ライブドア社長も「堀江容疑者」と呼ばれながら実際にはほとんど犯罪者扱いで報道されていた。

本当に問題なのは、現行犯を容疑者と呼ぶことではなく、容疑者を犯人扱いで報道すること、それをごまかすためか現行犯をふくめて形式的に容疑者と一律に呼ばざるをえないのであろうことのほうなのかもしれないと思った。
コメント
この記事へのコメント
私は911テロで最初に「ビンラディン容疑者」と聞いたときに違和感を覚えました。ビンラディンがテロを画策したというのは(少なくとも当時は)アメリカなどの一方的な主張だったので、まさに「容疑者」をつけるべきケースですが、ああしたテロには呼び捨ての方がふさわしいと思ったわけです。いつも書いていますが、人間とは理屈では割り切れないものですね。

逆に、現行犯に「容疑者」をつけるのは、私はなぜかそれほど抵抗はありません。「現行犯」と伝えられても、誤認がまったくないとは言い切れない、あるいは周囲が集団ででっちあげることだってありうる…とか理由を考えてみましたが(かつてミステリを読みすぎたせいでしょうか)、まあ、単に慣らされてしまっただけなのでしょう。

英語では、事件ではない普通のニュース記事でも名前にMr等をつけずに表記する場合があったり、事件ものでは名前を the suspect と言い換えられたりと、便利といえば便利ですね。
2007/04/20(金) 21:58 | URL | 子守男 #SHLDkvn6[ 編集]
現行犯について、たしかに「真実は神のみぞ知る」ということで人が人を裁くこと自体が無茶なのかもしれません。そう考えると、古今東西これまで犯罪者とされてきたひとたちはすべて「容疑者」だったということになります。
バージニア工科大の犯人については、仮に人間が法律で裁くことがあったとしても精神鑑定で無罪になったかもしれず(米国の法律もそういうことがあるのかどうかは知りませんが)、その意味でもたしかに「容疑者」といわなければならないかもしれません。
もともと日本のメディアが、逮捕された人間に「容疑者」という呼称をつけて報道するのは日本の法律を前提にしているのだろうと思うのですが、あの事件は日本の法律が適用されないところで起きたものだというのも「容疑者」づけの呼びかたが奇妙な感じがする理由かもしれません。
また、犯人とされている人物はすでに死んでいて裁判はありませんから今後犯人が確定したり無罪が確定したりする可能性はありません。彼は日本ではこれからもずっと「容疑者」づけで呼ばれることになるのでしょうか。
2007/04/21(土) 00:21 | URL | たんご屋 #Qhkulfr2[ 編集]
「容疑者」は、日本の法律云々というより、「裁判で認定されるまでは、あくまで罪を犯した疑い」という原則に従って導入されたとおぼろげながら記憶しています。そうだとしたら、海外の事件にも使わないと逆にまずいということになるのでしょうね。

呼び捨てに対する抵抗感については、80年代になって女性のアナウンサー・キャスターがニュースに登場するようになって指摘が増えた、と以前何かで読んだ記憶があります。女性アナが「子守男が○○さんを殺害し…」などと呼び捨てで言うのは、聞いていて男性アナよりも違和感がある、というわけです。
2007/04/21(土) 01:07 | URL | 子守男 #SHLDkvn6[ 編集]
うーん、そうするとある国では犯罪に当たるが別の国では犯罪に当たらないようなケースではどう表記するつもりなのでしょう。オランダでのマリファナ使用者とかイスラム圏での姦通者とかが他国にいるような場合で、ややこしい事態も想定できそうな気がしますが。かなり恣意的に運用されているということなのでしょうね。そういえば、フジモリ氏はペルーでは犯罪容疑者ですが、日本のメディアが「容疑者」づけで呼んだことはありませんでしたね。
女性アナウンサー、女性キャスターの登場で呼び捨てに対する抵抗感がでてきたのですか。興味深いお話ありがとうございます。当時の感覚はそんなものだったのでしょうかね。いまなら安藤優子さんや小谷真生子さんがそういう言葉遣いをしてもなんとも思われないでしょうけれどね。
2007/04/21(土) 07:54 | URL | たんご屋 #Qhkulfr2[ 編集]
おっしゃるとおりですね。刑法犯の場合はともかく、政治犯だとそれぞれの政府の意図がからんでいますから、日本で呼ぶ場合も恣意的(見方によっては柔軟に?)対応しているということでしょうか。直接関係はありませんが、「テロリスト呼ばわりされていた反政府活動のリーダーも、腐敗した独裁政権を倒して新政権を樹立したとたんに大統領」ということがあり得るので、人をどう呼ぶかは難しいものです。

女性アナウンサーと呼び捨ての件は、あくまでそうした見方があるということを雑誌か何かで読んだというだけですので、本当のところは私もわかりません。
2007/04/21(土) 10:30 | URL | 子守男 #SHLDkvn6[ 編集]
革命の場合はむずかしそうです。テロ、ゲリラ、レジスタンス、解放軍などの用語も恣意的に使い分けられているのでしょうね。
日本のメディアの使う「容疑者」という呼称は差別語の自主規制と同じで、機械的に一律に適用することで考えずにすませているような気がします。
2007/04/22(日) 08:58 | URL | たんご屋 #Qhkulfr2[ 編集]
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