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将棋棋士の羽生さんと翻訳家の柳瀬さんの対談。とはいっても、実際には文化人の柳瀬さんが羽生さんをインタビューした本という感じである。

羽生さんの話はとてつもなくおもしろい。あちこち線を引きたくて、でも引いたら線だらけになっちゃうなあと思うほどだったが、図書館で借りた本なので実際に線を引くことはできなかった。

羽生さんは、将棋の理論や戦法の流行、勝負の機微などのことを将棋界以外のひとにもわかりやすく説明し、また、そういった将棋の世界で身につけた知見を、世間、社会、自然に的確に応用して説明してみせる。これは従来の棋士にはなかったことだ。

かつて羽生さんと同様に将棋の世界を極めた升田幸三や大山康晴といったひとたちも、表現する意思と技術があれば興味深い考察を聴かせてくれただろうと思う。しかし、升田は「ワシの考えはおまえらにはわからん」といいそうだし、大山は「そんなことしても何の得にもならんでしょう」といいそうだ。

それにしても、対談相手の柳瀬さんは、羽生さんを尊敬するあまりか、どうにもとんちんかんな、というか、つまらない質問をしていたように思う。

たとえば、最初のほうで柳瀬さんは「記憶」に妙にこだわっていた。羽生さんは「勝つためには忘れなければならない」「覚えることはコンピュータにまかせておけばよい」と簡単に流していたが、羽生さんがそんなことをいうなんて信じられないといったようすに見えた。

記憶が将棋の本質とあまり関係がないというのはそれほど強いわけでもないアマチュア棋客のわたしにもわかる。将棋指しは記憶力が高いといわれるが、将棋指しは職業として将棋を一生懸命に指すからその指し手を覚えているわけで、それはどんな職業のひとでも同じだろう。柳瀬さんの英語や日本語の語彙に対する気違いじみた記憶力だって同じこと。同業のわたしから見てもある意味バケモノに見えるが、しかし同時にそんなことは当たり前だろうとも思う。つまり、職業人が自分の仕事に関することで他業種の人にとって手品のような記憶力を発揮するのは当たり前だし、それ以外のときでも記憶力がよいほどよいかというと、そんなことはない。サヴァン症候群のひとが必ずしもその能力によって幸せであるようには見えないことからもわかるように、一般論からいっても、記憶は適当に取捨されてこそ価値があるはずだ。

まあ、将棋のような木でできた単純なゲームでも、極めれば他のひとにとって生きかたの参考にさえなる知恵が得られるというのはおもしろいことであり、一見くだらないと思えるような仕事や雑事をやらざるをえないわたしたちも、それを突き詰めることで何かを得られるかもしれないと思えるという点で、たいへん励みになる。
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