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「私」はなぜ存在するか」という本をご紹介する。

尊敬する世界的な免疫学者多田富雄、生命科学者の中村桂子、そして今をときめく解剖学者養老孟司の鼎談である。

免疫の「自己」、ゲノムの「私」、脳の「自我」。自説をやみくもに主張するのではなく、互いの知識と見識を尊重しながら各自のこだわる主題を 1 つずつ整理していく。無駄な発言がほとんどなく議論が絶妙にかみ合っている。お互いがお互いを認め、信頼し合っていることがわかる。

多田先生は本書発行の後脳梗塞で倒れた。一命はとりとめたものの声を失い半身不随となった。それからの活動がまたすごい。

文藝春秋に「鈍重な巨人~脳梗塞からの生還」という手記を発表。さらに倒れるまでは使えなかったというパソコンを片手で操作し、遺伝学者柳澤桂子との往復書簡「「露の身ながら―往復書簡いのちへの対話」、さらに社会学者鶴見和子との往復書簡「邂逅」をあいついで上梓した。

柳澤先生は長年にわたる闘病を続けながら明晰で示唆に富む科学エッセイを発表している学者。鶴見先生は、脳出血で半身麻痺になられたが世界的な社会学者だ。お 2 人とも現在ガンと闘っていらっしゃる。

どちらの往復書簡もおすすめだ。人は病気で苦しんでいても、こんなにも明るく前向きに生きられるものなのか、とうならされる。

多田先生には次のような名言がある。
女は存在、男は現象
なるほど、実にうまいことをいう。

(以前別のブログに書いた記事を改変して再掲したものです。鶴見和子先生は残念ながら故人となられました。ご冥福をお祈りいたします。多田先生の手記は「邂逅」に収められています)
コメント
この記事へのコメント
「私」という存在とは。なんなのでしょう。3年前。脳内出血で1ヶ月の意識不明から意識がもどったとき。いちおうその時点で記憶はちゃんとあって、自分が何者で何故ここにいるかは理解していて。「このまま記憶がなくなってたらどうなってたんだろう。旦那や子供は私と以前と同じように接して、でも記憶のない私にとって彼らは知らない人で。なのに、奥さんやお母さんとしてつきあうのか?そんなの嫌だ~。。そうか。。自分っていうのは、連続した意識の中にしか存在しないのかな~。。」とうことをぼけーっとした頭で、最初に考えてました。
2007/05/14(月) 19:34 | URL | Little My #GMiUtySc[ 編集]
Little My さんはそういうことを経験なさったのですか。たいへんでしたね。

哲学的なことを語る資格はありませんが、この本との関連でいえば Little My さんのおっしゃる「私」というのは「自我」のことなのでしょうね。

たとえ連続した意識がなくても、麻疹にかかったことがあればもう 1 度かかることはほぼないでしょうし何かのアレルギーがあればその反応もでるでしょうから免疫系としての「自己」は「自己」のままです。また、身体の体細胞も新陳代謝を続けるでしょうから DNA としての「私」も「私」のままです。自我というか意識というか、つまり脳だけが、自分はだれだ、と言っていることになりますよね。

実際、犬や猫の意識ってそういう感じなのだろうと思うのですよ。たぶん常に過去 10 分ぐらいまでの記憶の中で生きているのでしょうから。それでも、異物(自分と違うもの)が侵入しようとしたら抗体を作って自分を守ろうとするし、細胞が古くなったら(自分と同じ)新しい細胞を作って身体を維持しますから、脳とは違うしくみによって「自分」というものを維持しているわけですよね。強い identity が維持されているというか。

けっきょく、Little My さんが提起してくださったこと、つまり「朝起きたときに今の自分が昨日の自分と同じ存在だと思えるのはなぜか」というのは簡単なようでむずかしいですよね。睡眠によって意識は一度途切れているわけですし、今の自分と昨日の自分は厳密には同じ物体ではありませんからね。

ただ、それでも「同じである」と見なす機能そのものが「意識」なのかもしれません。それが意識の定義ではないかという意味です。養老先生の考えはだいたいこういうことだとわたしは理解しています。
2007/05/14(月) 21:32 | URL | たんご屋 #Qhkulfr2[ 編集]
この本は読んでおりませんが、「私」といった瞬間に「自我」のことのように思え「自我」の「意識」がどう連続するのかな?と。。確かに、物体としてのDNAは同じであっても、そこで意識がとぎれていては同じ「私」ではないと。言う気がするのです。周りから見て、DNA的には「私」ではあっても、そこに「私」の「記憶」がなければ「私」はいません。う~ん。難しいですね。じゃぁ、DNAが全部違っても「記憶」さえ同じなら「私」なのか?入院前の私は、それは違う、と言ったと思います。でも、いまなら、私は、そうです。と答えます。。怪我や病気で身体のほとんどの部分が移植されたとして、それでも「記憶」が同じであれば、同じ「私」として存在し続けると思うのです。もちろん、生物学的にDNAは違うから、再生産される細胞はもうもとの存在とは変わってきますが。
病院で思ったことは。「記憶」がなくなってただの物体となってしまった「私」を「私」としては扱って欲しくないな。。と思ったのでした。でも~。。。そうやっていろいろ呼びかけたり働きかけたりするから、脳が活性化したりして意識が戻ったりもするわけだし~。。。。。まぁ。「自我」の意識そのものが、非常に社会的なものだ、ということですかね。。他人との関係性の中で「私」が決まる。というか。
同じDNAを使って子供をつくりたい、という話もありますよね。でも、もし亡くなった子供のDNAを使ってもう一人子供をつくってもDNAは同じでも社会的には違う存在であって、異なる「私」がそこに存在している。
なんだか長くなりました。すいません。
2007/05/15(火) 05:46 | URL | Little My #GMiUtySc[ 編集]
Little My さん、ありがとうございます。
意識は脳の機能で、脳は神経系の一部、そして神経系は身体の一部であって免疫系や内分泌系などと連動して不可分の要素の 1 つとして自分という個体を構成している、だから意識だけを身体(自分)から分離抽出することはできない、とわたしの意識は考えています。しかし、まあそれもいってみれば仮説でしかありません。

意識こそが自分そのものであって身体はそれを維持するためだけに存在している、という考えかたもあると思いますし、実際、そう考えているひとも多いだろうと思います。

仮に意識こそが「私」だとすると、余はナポレオンであるとか、余は天皇であるとか言っているひとたちにとって「私」とは何なのか、痴呆症のひとに「私」はないのか。病気でないにしても、理想我(そうありたいと思っている自分)と現実我(実際の自分)が乖離して苦しんでいるひとの場合は、理想我と現実我のどちらが「私」なのか。といったことを考えています。

うーん、こちらこそすみません。なんだか長くなってしまいました。コメント欄で論じるほど簡単な話ではなさそうですね。
2007/05/15(火) 07:27 | URL | たんご屋 #Qhkulfr2[ 編集]
あ、すいません。基本的に私は、生態学的な立場をとっていますから「だから意識だけを身体(自分)から分離抽出することはできない」には賛同します。ただ、逆に、意識がない状態になった物体に対して、以前と同じように接しても~~と思っただけです。。意識のなくなった側から、の感想として。。ここで。議論できるような。レベルの話ではないですね。。仕事から。。逃避してます。。
2007/05/15(火) 09:12 | URL | Little My #GMiUtySc[ 編集]
どうぞいつでも逃避にいらしてください(笑)。

こういうことについてどう考えるかは、ひとそれぞれでしょうし、それでよいのではないでしょうか。クリスチャンなら、ここで書いたことなど「何を馬鹿なことをいっているのだ」と思うでしょうしね(笑)。

もちろん、相手に意識があるかないかで対応のしかたは変わるでしょうね。しかし、簡単に割り切れるものではないのが人情で、たとえば、近しいひとが病気で性格が変わってしまっても、意識がなくなっても、脳が不可逆的に機能停止しても、もっといえば遺灰になっても、そのひとはやはりそのひとであると認識し続けることが多いだろうと思います。

まあ、意識があっても、なくても、人体は「物体」ですよね。この本ではそのことも議論されています。要約して引用しますと
-----------------------
養老:生きていたら人で、死んだら「もの」という考えかたは、どうしても納得いかない。
多田:死体には「形」がある。自我はないけど「形」はある(笑)。つまりは「もの」というように考え始めたのかもしれない。
中村:なるほど。
多田:それで生きている方は、自我はあるけれど形が無い。ちょうどあうわけです(笑)。
-----------------------
といった話になっています。この部分もおもしろいとわたしは思いました。もし興味があればぜひお読みになってください。


追記:
コメントを小分けにして書いていましたが、読みにくいのでまとめるとともに改行などを若干調整しました。当然ながら、元の文意は変更しておりません。
2007/05/15(火) 10:32 | URL | たんご屋 #Qhkulfr2[ 編集]
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