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子どものころから「女王」という語を「ジョーオー」と発音してきた。「ジョオー」という読みかたがあるらしいということを知ったのはほんの数年前のことだ。そのことを初めて知ったときは、ほなあほな、みな「ジョーオー」と発音しとりまんがな、と思ったが、「女王」の発音について取り上げているいろいろなブログやホームページなどを見てみたら、自分は「ジョオー」と発音していて「ジョーオー」などという発音は聞いたこともない、というわたしとは正反対の意見がけっこうあった。おもしろい。

先週のサザエさんでたまたま「女王」をテーマにした話があったので注意深く聞いてみたが、カツオもワカメもサザエさんも波平さんも「ジョーオー」と発音していたように思えた。また、将棋女流タイトル保持者の称号に「女王」というのがあるが、棋士やアナウンサーがそのタイトル保持者をどう呼ぶかをテレビで注意深く聞いてみても「ジョーオー」と発音しているようにしかわたしには聞こえない。

ただ、語の聞こえかたというのはけっこういいかげんというか、自分が知っている、または思い込んでいるように聞いてしまうということはある。たとえば、「雰囲気」という語の発音を「ふいんき」だと思い込んでいる人は、たとえ他人が「ふんいき」と発音していても「ふいんき」と聞いているのだと思う。

人はなぜ騙されるのか―非科学を科学する (朝日文庫)」というとてもおもしろい本に、著者の知り合いで日本語が流暢な在日外国人についての話がある。その外国人がタクシーに乗って「柳馬場蛸薬師」と日本語で目的地をいうと、運転手は何か英語で話しかけられたと思い込んで「アイ・ドント・スピーク・エングリッシュ」などといってくるそうだ。外国人の顔をしているというだけで相手のいったことが何でも英語に聞こえてしまうわけだ。その後、その人は、タクシーに乗ったらすぐに「どっこいしょ」といったり、目的地をいう前に「ほれ、あるやろあれ」などと前置きしたりすることで、運転手に「この外国人は日本語を話しているんだ」と思ってもらうことに成功したという。これも、人間は耳で物理的な音を聞いてそれだけで理解しているのではなくて、自分の思い込みも含むいろいろな文脈に基づいて理解しているというわかりやすい例の1つだと思う。

発音の聞き取りということだけではなくて内容の理解についても同じことがいえる。聞き手がわからないと思い込んでいれば、わかるはずの話もわからない。大学の先生の話だからむずかしい話なんだろうと思って聞くとわからないが、同じことを池上彰さんがいえばわかるということもある。

そう考えると、自分が話したり書いたりしたことのうち、意図どおりに相手に伝わっている部分はかなり少ないのだろうなと思う。わたしはお人好しなので相手のいうことは基本的に好意的に受けとめるし、たいていのことは善意で発言しているのだが、どうも、「他人がそんな人の好いことをいうわけがない」と思われて誤解されることが多いような気がする。その場合、その相手は少なくとも「お人好し」ではないのだろうと思う。けっきょく人間というのは他人の発言を「自分」というフィルターを通してしか理解できない。万物の尺度は人間、というのはこういうことなんだろうか。
NHK 教育の「トラッド・ジャパン」の再放送を見ていたら、「竹」についての話の中で、司会の江口さんが英国人の Stuart Varnam-Atkin さんに「ししおどし」の「しし」は wild boar のことだと説明していた。あれ、ししおどしは「鹿威し」と書くのだから wild boar というよりも deer のほうがいいんじゃないの、と思った。

ちょっと辞書で調べてみたら「しし」というのは野獣の総称だった。つまり、江口さんとしては「しし」とは beast のことだと説明してもよかったわけだ。いまでは聞かないけれどシカのことをむかしは「かのしし」といったらしい。つまり、「ししおどし」とは「かのしし」や「いのしし」などの「しし(野獣)」を追い払うためのしかけだ。

なお、「しし」は獣肉のことでもあり、宍戸錠さんの「宍」(しし)は「肉」の異体字だ。「宍色」といえば肌色(pale orange)のことである。元をたどれば「鹿(か)の肉(しし)」を「かのしし」、「猪(い)の肉(しし)」を「いのしし」といっていたのが、肉のことだけではなく動物自体も指すようになったのだろう。ちなみに、「唐獅子」というのはライオンの「獅子」をイノシシやシカなどの野獣を意味する日本語の「しし」と区別するためにできた語らしい。

似たようなのに「ナマコ」がある。あれはもともと「こ」と呼ばれていて、「生(なま)のこ」を「生こ(なまこ)」といったと聞いたことがある。だから、ナマコの腸(わた)のことはいまでも「このわた」といわれている。むかしの日本ではいろいろなものを1文字で表していたのかなと思う。
だいぶ前だが、世論調査で83パーセントの国民が小沢さんの幹事長辞任を求めていると新聞で読んだ。

しかし、民主党員なら話はまた別だが、そうでない人たちは彼が民主党の役職を辞めるかどうかなんてことに本当に関心があるのだろうか。こんなことを書くととんでもない世間知らずと思われそうだが、民主党(やその他の政党)の幹事長というのは国民が選挙で与えた役職でもなんでもなく政党が自分たちで決めて勝手にやっているだけのことなので、どうでもよいようにわたしには思える。町内会の役員をだれにするかというようなもので、当事者や関係者には重大事かもしれないが、周りにとってはどうでもいいことではないのか。

まあ、最大与党の幹事長が、事実上、大きな権限なり権力なりを持っているらしいということはいくら政治音痴のわたしでもなんとなく聞いている。しかし、憲法では行政の権限は内閣に属するとしているはずで、政党の幹事長なんて憲法に一切記載のない人物が首相よりも大きな権限を持っているのだとしたらその構造がおかしいのだと思う。政党の役員人事には国民が関与できないのだから権力の濫用を防ぐ手立てがない。
テレビ棋戦で若手女流棋士の山口恵梨子初段が聞き手をやっていた。高校生を卒業したばかりの非常に若い棋士で、将棋マスコミにもそれほどよく登場するわけでもないひとなので、失礼ながら何だかちょっと気の抜けた話し方をするひとだな、という印象しかなかった。

しかし、その放送を見て、ベテラン棋士の森九段が若いころに名人に剃髪して挑戦したことや、森九段の得意戦法が中飛車であることなどをよく知っていることに感心した。彼女の年齢を考えれば、本か何かで勉強しなければ知り得ないことだ。

プロなんだから当たり前のようでもあるが意外にそうでもない。これまでテレビ棋戦を見ていて、小林九段がかつて居飛車党だったことや福崎九段が振り飛車穴熊で一世を風靡したことを知らないらしい聞き手の女流棋士にあきれたことがある。テレビ棋戦の聞き手というのは突然やらされる仕事ではないはずだから、対局者の棋風にしても得意戦法にしても過去の活躍にしても、あらかじめ調べておくことができるはずなのに、まったく調べないで出演している女流棋士もいらっしゃるようだ。

山口さんは当然とはいえきちんと情報を仕入れた上で聞き手をなさっているのは立派だったと思うし、将棋という伝統文化をになっているという自覚を十分にお持ちなのだろうと思う。ぜひ活躍してもらいたいと思った。
さんしゅう

さんしゅゆの花。
正直なところ、あまりきれいと思ったことはなかったが、近くで見るとやはりきれいなものである。

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